手塚伝説(その4)アニメ篇その他
●手塚が最初に8ミリで作った自主制作アニメは、なんと男女の交合を描いたポルノ作品。本人の証言がある事実であるが、もちろんどこにも発表されていない。
●日本初のTVアニメ「鉄腕アトム」は空前のヒットとなったが、あまりに多忙になったため手塚はキレて「労働組合を作ろう」と言い出した。社長は自分だということを忘れていたのだ。
●虫プロ倒産後も、手塚はマンガで得た収入を惜しげもなくアニメに注ぎ込んだ。理由を聞かれると、「マンガは本妻、アニメは愛人。愛人にはいくら金がかかってもしかたがない」と答えた。
●NTVの24時間テレビで2時間アニメ「バンダーブック」を作ったとき、作品は好評だったが手塚は放映終了後も気に入らないシーンを直していた。まだビデオで商品にする発想のない時代で、金をどぶに捨てるようなものだった。
●同じく24時間テレビで「マリンエクスプレス」(註・これは「フウムーン」が正しいかも。下のコメント欄参照)を作ったとき、テレビで放映している最中に手塚はまだ絵コンテを切っていたという嘘のような本当の話がある。スタッフは、コンテがどうせあがらないとわかっていたので、監督の手塚に内緒で作品を完成させていたのだ。
●手塚がスタンリー・キューブリックから『2001年宇宙の旅』の美術デザイナーとしてオファーを受けたことは有名である。だがそのとき、手塚は虫プロ経営で大変な時期で、「残念ですが、ボクには260人ほど食わせねばならない責任があるので」と、せっかくの申し出を断った。するとキューブリックから「そんなにたくさんのご家族がいるとは知りませんでした。それはさぞかし大変でしょう」と返事が届いた。キューブリックは、手塚に本当に260人も家族がいると誤解したのだ。
●大友克洋が初めて手塚と会ったとき、手塚はいきなり「ボクは君の絵、虫メガネで見たけどどこもデッサンが狂ってないね。でもボク、君の絵だったら描けるんだよ」と言って大友をあきれさせた。
※註 上のキャプションで「ディズニーに無許可」は、バンビについては間違っていました。当時ディズニー作品の日本での公開は大映が独占契約を結んでおり、鶴書房は大映の許可を得て手塚に「バンビ」を描かせたものです。手塚がディズニーに無許可で描いた作品は「ピノキオ」のほうでした。ちなみに、いずれも現在、復刻されております。
| 固定リンク
「アニメ・コミック」カテゴリの記事
- 「海からの使者」DVD、8月15日(夏コミ3日目)頒布開始!(2010.08.13)
- 本日21日、下北沢トリウッドで「海からの使者」上映&トークショー(2010.08.21)
- 田中圭一制作総指揮のマンガ作成ソフト、なし崩しで情報公開へ!(2010.10.05)
- コミPo!と私(1)(2010.10.17)
- 早速、コミPoで傑作が!(2010.10.27)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
なんかすごい才能のある漫画家さんがデビューすると
激しくやきもち焼いたらしいですねこの方。
投稿: たろ | 2004/12/19 22:09
"でもボク、君の絵だったら描けるんだよ"
手塚なら描けると思う。
投稿: きん太 | 2004/12/20 04:40
人間的には云々と色々聞くけど、
でも、嫌いになれないんだよなあ。神様。
投稿: ぽりんき | 2004/12/20 10:48
めちゃくちゃな子供っぽい人だったみたいですね、手塚さん。
ただ、たとえば新人に嫉妬するにしても、政治的に潰すのではなく、最後まで作品で勝負しようとしたのが手塚さんで、それは、やっぱり偉いと思います。
投稿: たけくま本人 | 2004/12/20 10:51
原稿修正で聞いた話をひとつ。
赤塚がジャンプの「手塚賞・赤塚賞」の発表パーティに行ったとき、手塚先生が入賞した青年に
「キミのあの作品、何ページの何コマ目、~の
ように直すともっといい」と、具体的に指摘して
いたそうです。
ちなみに赤塚は候補作品は全てぼくまかせ。
審査当日、適当に目をとうすだけでした。
「先生、全部中身を記憶してるんだよ。すげえ」
と、赤塚はしきりに感心してました。
新人に対する<警戒心>は人一倍あったんですね。どんな作品だろうが、欠点をみつければ
直したいというのも天才だなあ~。
投稿: 長谷邦夫 | 2004/12/20 11:06
とてもおもしろかったです。ごくろうさまでした。
それから手塚さんが唯一描けなかった絵というのがあって、それが確か諸星大二郎の絵だった、とかいう話もありましたね。まだ伝説には早いですけどいつかこういうのの宮崎駿版もやってほしいなあ…。
投稿: あまねく | 2004/12/20 15:52
>あまねくさん
僕は昔、たった一度だけ手塚さんと仕事をしたことがあります。もう17年くらい前ですが、双葉社のスーパーアクションという雑誌で、手塚治虫・諸星大二郎・星野之宣の鼎談をまとめたんですが、手塚氏の「諸星さんの絵だけは描けない」という発言は、まさにその際に出たもので、僕が文章化したんです(プチ自慢)。
ちなみに諸星・星野ともに手塚賞作家ですが、このときが初対面でした。手塚治虫含めて一同に介したのは、これが最初で最後だったはずです。
投稿: たけくま本人 | 2004/12/20 17:50
いつも楽しみに拝見しております。
>24時間テレビで「マリンエクスプレス」を作ったとき、テレビで放映している最中に手塚はまだ絵コンテを切っていた
に関して、岡田氏の書籍↓(下記URL参照)によりますと「マリンエクスプレス」ではなく「フウムーン」で放送中にコンテを切っていたとなっていますがどちらが正しいのでしょうか?
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakugaku/No6.html#anchor1840406
#ハッまさかどちらの作品でもコンテを....(^^;)
投稿: あとむ@正直日記 | 2004/12/20 20:41
うわっ!長谷さんもいる!
投稿: 通りすがり | 2004/12/20 20:47
楽しく読みました。手塚伝説は色々聞いたことがありますが、ここで読んだのは初耳のものがほとんどでした。
手塚先生のマンガ家人生を描いた作品は色々ありますが、代表的な本があれば是非読んでみたいのですが。あと、以前NHKでドラマになっていたのをたまたま目にしたことがあって、確か高額納税者に名前が載ったときに怒って税理士を呼んで・・・(今後こちらに載るかもしれないので省略)というエピソードであったのを覚えています。こちらのタイトルも知りたいです。(入手は困難でしょうが・・・NHKミュージアムとかに行けば見れるかな?)
投稿: おりとがすり | 2004/12/20 20:48
>あとむさん
あ、すいません「フウムーン」だったかもしれません。なんかネタは確かと言いながらボロが出てくるなあ…。
基本的にここで紹介したネタは、僕が昔「一億人の手塚治虫」という本を編集したときに集めた資料がもとになってます。
そうだ、マリンエキスプレスは最初のほうのフィルムが放映されているときに、最後のあたりを現像していたってエピソードだったかも。
今から本文を直すとアレなので、原文に注釈を加えておきます。
投稿: たけくま本人 | 2004/12/20 21:23
>おりとがすりさん
NHKのはトキワ荘のドラマかな。
すみません、あの当時はほとんどテレビを見てなかったのでそのエピソードは見逃してます。
ただ、基本的に手塚は税金対策をほとんどやらなかったはずです。むしろ高額納税者名簿に載ることを誇りにしていたはず。これは高橋留美子さんなんかと一緒ですね。ただ、手塚プロになってからは知りませんが。
投稿: たけくま本人 | 2004/12/20 21:28
>「フウムーン」だったかもしれません
マリンエキスプレス79年、フウムーンが80年の作品なので、案外どちらの作品でも絵コンテを切ってらしたかもしれませんね、さすがは世界の手塚先生....
投稿: あとむ@正直日記 | 2004/12/20 21:43
たまたまある番組の公開録画で手塚先生をお見かけしたことがあるのですが、あの似顔絵の赤い鼻は、風呂に入っていないとああなるんですとおっしゃってました。で、ちゃんとしているとああはならないとか。
ということは、赤い鼻の時は風呂に入っていない時だったということ……!?
まことに風のようにあらわれ、原稿があるからと風のように去って行かれました。今でもあの背中が忘れられません。
投稿: 通りすがりさん | 2004/12/20 22:56
非常に面白かったです。
ところで、手塚先生が自動車の教習所に通ったものの、原因は不明ながら
途中で辞めてしまった話や、
手塚先生の奥さんが実に運転が下手で、車を幼稚園の送迎バスにぶつけ、
乗り合わせていた園児たちの親御さんたちにカネを配って謝って回り、
挙句の果て手塚先生本人がそれを漫画(マコとルミとチイ)に描いて、
恥を全国に晒してしまった事への記事はないのでしょうか。
投稿: | 2004/12/21 18:30
↑よかったら詳しく教えてください。もしソースがあればそれも。後者の話は、悦子さんの本に出てきたのかな?
投稿: たけくま本人 | 2004/12/21 19:39
締め切りに遅れに遅れて・・・とうとう上がった原稿がその日のうちに『単行本』になった、という伝説を聞いた事があります。
ガセでしょうか・・・・?
投稿: | 2004/12/22 09:00
>>たけくまさんへ
悦子婦人が幼稚園の送迎バスに車をぶつけた話については、
『手塚治虫漫画大全集 第273巻 マコとルミとチイ』 がソースです。
この作品は手塚先生と悦子婦人の育児日記てを漫画家したもので、
手塚先生自身が作品解説で
『「マコとルミとチイ」は、いうなれば私小説です』
『この漫画でかかれている三分の一は、ぼくの創作です』
と解説しています。
つまりこの言葉を真面目に受け止めるならば、三分の二は実話という事です。
(実際には七割くらいが創作だと思いますが)
この作品はわりと面白く、子供にバルタン星人人形を買ってやる為、既に深夜だというのに
手塚先生がタクシーを飛ばして銀座のオモチャ屋巡りをして、結局何も買えなかったり、
奥さんと子供たちが家族旅行に行ったは良いものの、
後から温泉宿に向かう事になった手塚先生は宿泊先の名を度忘れして、
一件一件温泉宿をしらみ潰しに回る羽目になり、タクシー代だけで
当時の金額で10万円超もかかった挙句、結局家族と合流する事ができなかった
駄目エピソードなどが色々と収録されています。
一番の見物は、何といっても私生活における手塚先生の亭主失格っぷりですが。
ぜひ一読をお勧めします。
投稿: 12/21 06:30 午後 の投稿者 | 2004/12/22 18:51
>午後の投稿者さん
「マコとルミとチイ」は、大昔に読んだのですが、細かいエピソードは忘れていました。
でもあれって、漫画家によるエッセイ漫画の元祖みたいなものですよね。長谷川町子の「サザエさんうちあけ話」より早いんじゃないかな。
どうもありがとうございます。
投稿: たけくま本人 | 2004/12/22 21:39
豊田有恒「あなたもSF作家になれる(わけではない)」に手塚さんとのエピソードがいろいろとありましたが、その中で「手塚さんは虫プロで赤旗を振りたかった」ということが書かれていました。
手塚さんは共産党員だったと聞いたことがあります。だから国民栄誉賞を受けられなかったとか。
そのへんの真偽はいかがでしょうか。石坂啓がずいぶん左なカンジなのでむべなるかなとも思いますが。
投稿: nomad | 2004/12/23 00:57
いや僕の知り限り、共産党員だったことはないはずです。政治的には、明確に左翼というよりは、内心はほとんどノンポリに近かったんじゃないかなあ、と僕個人は想像しています。
だいたい手塚さんの世代の文化人の場合、左翼がかっていたり共産党・社会党のシンパだったりするのは、当たり前なのです。それがマスコミの圧倒的多数派で、良識派と思われていたわけですから。このあたりは宮崎駿も同じですね。
手塚・宮崎の共通点は、お金もちのお坊ちゃんだったということですね。戦前戦中に「オタク」ができたような家庭ですから、ほとんど特権階級に近いといってもいいです。ブルジョアで知的な家庭の子息が左翼にかぶれるというのは、ある時期までは当然のことでした。
共産党うんぬんというのは、確か万博の頃に京都の府議選で共産党候補の応援をしたことがあったはず。あと赤旗でも連載を持っていましたが、同時期に「産経新聞」でも「青いトリトン」を連載していました(笑)。
要するに、赤旗とサンケイで同時に連載するくらいの政治意識だったということだと思います。
投稿: たけくま本人 | 2004/12/23 01:23
あ、あと創価学会系の「希望の友」で『ブッダ』を連載していたことも有名ですよね。ある意味、なんでもありでしたね。
投稿: たけくま本人 | 2004/12/23 01:27
藤子伝説とかはないんですか?
Fの人は個人的に手塚より好きなんですけど。
投稿: 金岡 | 2004/12/23 02:40
30年ほど前に、「赤旗まつり」で手塚先生サイン会をやってました。
よくそんな時間あったもんだと、今になって驚いています。
その時描いてもらったレオの色紙、今でも持ってます。
投稿: | 2004/12/23 12:08
そういえば、「あれだけの人が国民栄誉賞もらえなかったのは
共産党員と誤解されていたからだ」とか書いてあった本読んだことあるな
投稿: | 2004/12/23 22:21
ゴルゴ13が出た時凄まじい嫉妬に駆られて
あろうことか文壇に登場して、たかを批判を
激烈大展開、ってのは本当なのかしら。
投稿: | 2004/12/24 03:51
↑それは僕は知りません。が、『ブラックジャック』は『ゴルゴ13』にインスパイアされている部分があるとは睨んでいますが。ニヒルな主人公、高い金を請求する、冷酷なようでいて実は、といったあたりに影響が感じられます。
投稿: たけくま本人 | 2004/12/24 05:10
http://www.google.co.jp/search?q=cache:33t057PxGmoJ:ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413+%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB%E3%80%80%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%80%80%E6%89%B9%E5%88%A4&hl=ja
ググってみました、真相はよくわからにゃい。
でも、もしかしたら、読み物それよりも、「プロダクションでガシガシ作成」という方法論についての嫉妬なのかもしれない。いや全くの想像ですが。初期の初期ゴルゴがどういう風に作られていたのか知らないですし。
文壇って一体何だろ。昭和の文壇、ってSFとか推理物からのアプローチなのかな。
投稿: | 2004/12/24 05:24
>マンガは本妻、アニメは愛人
いずこかでその話は聞いたような気がしますが、
感慨深い言葉です。
手塚氏のアニメへの取り組み方を批判される
某大御所もおりますが、日本アニメの大きな
部分が手塚氏のポケットマネーで作られた
「巨大な実験場」だと感じています。
まともな理性だけでは日本アニメのスタイルは
作られなかったと思います。
結局、手塚氏の全財産をかけた狂った大実験の
過程で、
林、富野、安彦、高橋、五武、芦田といった
人々が出てきたのだと考えております。
投稿: fz133 | 2004/12/28 01:11
ブラック手塚も好きなとーりすがりのものです。
手塚さんのこの手話であれば、(絶版かもしれないけど)講談社現代新書・「手塚治虫」桜井哲夫著がおすすめです。
あの中では、最後漫画家になる決断をしたのは母親に背中を押されたからって書いてましたけど。
引導を渡した教授って、その後手塚さんの博士号の指導教官になっていたような。
投稿: とーりすがりその2 | 2005/01/02 23:15
Welcome to the world of the darkness.
投稿: Jonathan | 2005/05/04 23:53
手塚氏が放映中にまだ絵コンテを描いていた作品ですが、「24時間テレビスペシャルアニメーション1978-1981DVDボックス」のブックレット、西村緋禄司インタビューによれば、「大自然の魔獣 バギ」1984年となっています。坂口尚氏と西村緋禄司氏がこういう事はやめてくださいと申し入れをしたとあります。
オタク学入門では、フウムーン放映中に手塚氏が絵コンテをとなっていますが、フウムーンは、監督・絵コンテ坂口尚で、漫画家山田卓司さんが、手塚氏にフウムーンについて質問したら「フウムーンは私が海外にいって不在の時に坂口尚が勝手に作った作品」と冷たいコメントをかえされたという逸話もあります。
投稿: さとぴー | 2005/07/14 02:29
へぇー手塚って、いい加減なハゲのおっさん
だったんだ。
尊敬してたけど、約束を守らない人間は屑だよな。
今時は子供でも情報収集できるから、一部の人しか知らない事実で、間違った人物象の形成を抑止するにはblogは有効だよね。
事実なんだから、本人がどう思おうが関係ないし、なにしろ死んでるしね。
ま、仕事なんだから、いいネタしこまないとマズイだろう。
よく教えてくれたよ。
投稿: ugatta | 2005/10/21 12:35
↑そう言う言い方ってないと思いますよ。(汗
手塚さんも好きで約束守ってなかったわけじゃないとおもいますし。
売れてる作家なら「約束を守れない」というのはもう妥協するしかないでしょう。
投稿: 桜井 | 2007/05/29 07:35