朝日カルチャーセンター
というところでトークというか講演みたいなことをしてきましたです。テーマは「日本アニメの現在」。なのだけれど、実際はハウルが公開されたばかりということもあり、宮崎アニメについて持論を展開し、その上で参加者交えて「しゃべり場」みたいに語り合う、という内容になりました。
しゃべり場にするというのは朝カル側の希望でもありました。それで入場していただいた人に、ハウルが面白かった人・つまらなかった人に席をわかれてもらって、講演の後半はディスカッションに当てたわけです。
前半は宮崎アニメのルーツとして政岡憲三の『すて猫トラちゃん』(1948)、フライシャー兄弟『バッタくん町へ行く』(1941)、あとは『王と鳥(やぶにらみの暴君)』(1953)の一部をそれぞれ上映、そういったものの影響の上に宮崎アニメは成り立っているということと、宮崎の独自性について持論をくっちゃべりました。会場には多摩美の学生もおり、俺の授業と一部重なるところがあって申し訳なかったところも。
本当はいろいろ独自のコンテンツを用意する予定だったんだけど、自宅のパソコンがいきなり絶不調になったのが痛かったです。宮崎アニメの中から「落下シーン」だけを引用していたら、いきなり映像製作用のパソコンがぶっこわれてしまって。なにかのタタリかもしれない。
宮崎はよく「飛行の作家」と言われているが、それは同時に「落下の作家」ということでもあり、どちらかと言えば落下シーンに切れ味があると俺は睨んでおるのです。ラピュタなんてあんた「空から少女が降ってきた」ってなくらいで、落下・上昇・落下・上昇で最後は宇宙空間ですからね。あそこまで上下運動にこだわる映像作家というのは確かに他ではあまり見たことがない。
ただあれだよなあ、当日の参加者の半分くらいは20歳くらいの学生で、80年代半ば生まれですからね。国民作家としての宮崎しか知らないんですよ。今時の若い人に、宮崎アニメって昔は全然お客が入らなかったんだと言っても、なかなか信じてもらえない。「カリオストロの城」があまりの不入りで公開打ち切りで、その後数年間、宮崎は映画が作れなかったくらいですから。しかしそうした時期にマンガの「ナウシカ」を描き、企画がまったく通らなかったにもかかわらず、「トトロ」とかその後に繋がる企画を地道に立てていたのはやはりスゴイ人ではある。
それで一度軌道に乗ると、今度は何作ってもお客が入るようになってしまって、これはこれで別の意味であきれます。『紅の豚』とか『もののけ姫』みたいな変な作品でも大ヒットだから、もうわけがわかりません。『千と千尋』は面白かったがそれでも客が入り過ぎ。『ハウル』は、俺は明らかに「失敗作」だと思うわけだがとりあえず客は見に行くわけだよな。
ブランドというものの恐ろしさを伝えていると同時に、たぶん一番あきれているのは宮崎本人に違いない。
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