OTAKU展、その他
ここのところ年末進行レベルの忙しさが続いているので、今日はざっと軽めに書きます。明日以降、詳しく触れるネタもありますのでそのつもりで。
●OTAKU展に行って来た
ようやく。いや気が付いたら12日になっていまして、もう後がない(展示は本日まで)ので、かなり無理して行って参りました。しかし土日なんで、ある程度混むだろうとは思っていましたが、まさか1時間半も行列に並ばされるとは。あんなに並んだのは『ドラクエ4』の発売日以来、いや1977年の『劇場版宇宙戦艦ヤマト』以来でしたよ。そのとき、本とか何も持って行かなかったので「しまった」と思いました。ちょうど本田透さんの『電波男』が送られてきていたのに、鞄に入れて持って行くのを忘れてしまって烈しく後悔。その
●本田透さんの『電波男』
なんですが、しろはたの宣伝を見る限りでは小谷野敦『もてない男』のオタク版というか、そのハードコア版みたいな好著のようです。まだ読んでないので違ってたら申し訳ない。でもなんか凄そうな本ですので、読んだら感想を書きたいと思います。
●それでOTAKU展
ですけれども、とにかくものすごい数のオタクが殺到していましたよ。中に入ると、もう隅から隅までオタクの部屋というか、秋葉原と中野ブロードウェーとコミケを会場狭しとギュッと高圧縮したような展示でありました。いや大変面白かったんですけど、不思議な感じもしました。
それというのは、ここにあるものはオタクであればすべて見知ったものばかりでしょう。もともとのイタリアでの展示では、企画者の意図として「日本のオタク事情をよく知らない欧米人に、オタクを疑似体験させる」という狙いがあったと思うわけです。それで、その試みはたぶん成功したと思うんですけどね。とにかくあの、ガジェットに埋もれる感覚というのは実際そこに身を置かないとわからない。理屈ではなく、体験で圧倒するという種類の展示ですよね。
ところが、昨日会場に足を運んだ限りでは、たぶん観客の9割8分くらいがオタクで、みなさん、どう考えても普段の生活で触れられているというか、アキバや中野やコミケに行けば原則いつでも体験できるものを見に行って喜んでいるんですよ。いや俺も確かに喜んだというか、ニヤニヤ笑いながら斉藤環氏の労作「オタクの部屋の模型」とか見てたんですけどね。
でもそこにあるのは、俺自身の部屋と実はそう大差なかったりして。これを美術館まで行列つくってわざわざ見に行く意味とは何かというのを考えてしまいました。ある意味、究極の自己言及というか。ここにオタクの秘密があるように思えてならない。そのうち、また何か書くかもしれません。
あと、吾妻ひでお特集があるんで買った大塚英志編集の『Comic 新現実 Vol.3』に、今回のOTAKU展を企画した森川嘉一郎氏と大塚氏の対談が載っていたんですが、これが全然かみ合ってないというか、大塚さんの苛立ちが突出していて面白かった(特に俺は両者を知っているだけに、なおさら)。
世代の違いもあるけど、そもそも大塚さんと森川さんではキャラがまったく違うので、おそらく性格的には最悪の取り合わせだろうなと思いました。オタク(大塚英志流に言うなら、ひらがなの「おたく」)という言葉が発生した時代背景と政治的意味を、森川さんが共有していないことに大塚氏が烈しくいらだって、さかんに挑発するのだけど森川さんは全然乗ってこない。このかみあわなさはむしろ見事なくらいです。
このへんに関しては伊藤剛氏のブログでもいろいろ突っ込まれてます(特にコメント欄で展開された大塚批判は、ポイントを突いていると思う)が、けっこうやっかいな問題を内包していますので、俺も暇ができたら考えてみたいです。
それはそうと、
●吾妻ひでお『失踪日記』の増刷は
版元情報によれば、今週の末あたり(18日頃)から店頭に並びそうです。ちょうどその頃、俺の『ゴルゴ13はいつ終わるのか? 竹熊漫談』も発売されますのでよろしく!
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
はじめまして。
現在アメリカの田舎在住なのでめちゃめちゃ興味深く読んでます。
「失踪日記」重版状況そうなんですか。今月頭にamazonに注文して、今月末にこちらに来る家族に持ってこさせようとしてたのですが、昨日になって、amazonから在庫無し1ヵ月半後出荷というろくでない返事が来たのでキャンセルしてしまいました。読みたかったなぁ。
投稿: atsu | 2005/03/13 10:44
伊藤さんのところで、ちょっと森川批判をしたん
ですが、ほんと、かみあっていないのが、ぼくに
は不満でした。
大塚論はさんざん読まされてきたので、やはり
森川さんの反論(まあ、彼からすれば反論など
ありません、ということで、ああなったと思い
ますが…)が読みたかった。
大塚さんが、それを彼なりに引き出す役目を
やらずに、突っ込みばかりというのが、また
つまらない。
この対論は、雑誌に掲載されることが
あらかじめ分っていたのだから、二人の
読者に対するメッセージなり、サービスが
あってしかるべきでしょう。
その気が無いなら、森川さんは出て来るべき
ではなかった。
展覧会が私のサービス・メッセージであり
理論ですでも良かった。
展覧会の人気に、ちょっと大塚さんは
やっかんだカナ?
彼等の性格をよく知っていれば、それなりの
面白さはあるかも…でも、燃焼しきれず
煙ばかりで、ゴホンゴホンでした。
投稿: 長谷邦夫 | 2005/03/13 13:28
森川さんという人は、直接会えばわかると思うんですが、感情をあまり表に表さず、かつ非常にデジタルな受け答えをする人なんです。結構長い質問でも、あっさりイエスかノーで済ませてしまうような。では話ベタかというと、そうではなくて、持論であればよく通る声で滑舌よく何時間でも話せる、そういう人です。
だから当意即妙に、相手の話題を受けて座談を広げていくタイプではないですねえ。
活字になったものだけを見ると、まったく森川氏にやる気がないように読めますけど、これは伊藤君も自分のサイトで言ってるように、大塚さんの話の持って行き方に問題があったのではという気が僕もするんですよ(ホストは明らかに彼なのだし)。もちろん僕も伊藤君も、森川氏とは共通の知り合いなので、ひいき目が入っているんじゃないかと言われると、返答に困るんですが。
たとえば日常会話でも、つい森川さんに会話を預けるつもりで話題を振ったら、ポーカーフェイスのまま「そうですね」という一言で会話が終わってしまって、カックンとなってしまうようなことがよくある。それは彼の欠点でもあるんですが、反面、誘導尋問がまったく通用しない手強い相手でもあります。
批判というものは、やはり相手の論旨を把握したうえで、その論旨の矛盾をつく形でなされるべきものだと思うんですが、あの対談での大塚氏は、森川氏があの展示で試みた主旨をはなから否定したうえで、大塚氏の自説に巻き込もうとしている(誘導尋問)感じがしました。
森川氏がAというテーマで表現しているものに、大塚氏はしつこく「Aはどうでもいいから、Bについてどう思うか」と聞いていたような印象を受けました。そこで森川氏がBについて何かを述べたら、大塚さんの思うつぼなんでしょうが、まったくそこに乗ってこないので大塚氏がひたすらカッカしていった、という感じです。
もちろん大塚氏の持論そのものには同意できる部分も多いです。僕自身も、世代的には大塚氏の側なので、森川さんの世代(オタクでいえば第二世代?)のオタク的歴史認識に対する関心の希薄さに、苛立つことはあります。
しかし、これはたとえば僕の世代が親から戦争で苦労したことを聞かされて、頭では理解できても、その感情を含めて体験として共有できないことと、ある意味同じではないかと思います。森川さんとしては「そんなことを聞かれても」って気持ちだったのではないかな。
僕の個人的体験でいえば、数年前に2ちゃんねるの西村博之氏にインタビューしたとき、今回の大塚さんと同じようなスカされ方をして、内心パニックになったことがあります。やはり西村氏もこちらの土俵には絶対に乗ってこないタイプで、相手が年上だろうが関係ない。
情緒にとらわれない、強烈に個人主義的な傾向を持つ若い世代が出てきた印象があるのですが、西村さんと森川さんは、この意味で似たところがあると思いました。
投稿: たけくま | 2005/03/13 15:21
なるほどね。わかりました。
貴兄の言うように、大塚さんが展示を
最初から否定してしまっているんですね。
やっぱり、これが原因ですね。
ちょっとケツノアナがちいせえ~
というところでしょうか。
投稿: 長谷邦夫 | 2005/03/13 16:20
あんま関係ないんですが、森川さんに対しては世代的なものより帰国子女である面が大きいのじゃないかと最近漠然と思ってます。
「オタクの歴史認識に対する関心が希薄」というより(まあ関心も薄いんでしょうが)、その種の価値観の対立に巻き込まれることを事前に回避しているんじゃないかと。私も欧米人と文章のやり取りをする場合はできるだけ価値観の対立みたいなものに対してニュートラルな立場をキープできるよう気を遣うので、そういう作業を無意識におこなう回路ができてる感じなんじゃないのかなあ、と思いました。
欧米における人種や宗教やイデオロギー的な対立は巻き込まれると洒落になるものじゃないので、民族やナショナリズムに依拠しづらい日本人は海外に出る際にそういう反射神経を高める必要はあるんじゃないかという気はします。
ただ、いっぽうで森川さんも案外英語だとストレートにバリバリそういう議論してそうな気もするんですけどね。言語の特性かも知れませんけど、欧米人でも英語だと直球なのに日本語だと本音を押し隠すような表現するひとが多い気がするんで。
投稿: boxman | 2005/03/13 16:50
( ;´ⅴ`) 暗号だらけで何を言ってるかさっぱり分からないれすよ
投稿: ののたん@狼 | 2005/03/13 23:18
↑(笑)
まだ新現実よんでないですけど、どっちもどっちな雰囲気ですね。
私はどっちの世代にも共感できない、というかどっちにしろ同じ・・・という偉そうな見方してます。
でもまあ、大塚さんはトラブルらないほうがおかしい作家だと思いますんで。一読者として暖かい目で見守りましょWW
投稿: 中村情苦 | 2005/03/14 01:04
↑×2の人へ
登場人物
森川嘉一郎
学者。「趣都の誕生」という本で秋葉原(おたく趣味の町)について考察。
東京都写真美術館で「おたく:人格=空間=都市」展をプロデュース
大塚英志
編集者/作家。
『Comic 新現実 Vol.3』で森川氏にインタビューしている。
伊藤剛
マンガ評論家/作家。
BLOG上でおたく展に関して言及
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20050307
長谷邦夫
漫画家/漫画研究者。
伊藤剛氏のBLOGコメント欄で森川・大塚対談に関して言及。
長谷氏のBLOGはこちら
http://d.hatena.ne.jp/nagatani/
BOXMAN
謎の人。豊富な知識と読ませる文章で中の人が只者ではないことを予感させる。
BOXMAN氏のBLOGはこちら
http://d.hatena.ne.jp/boxman/
投稿: 通りすがり | 2005/03/14 14:51
↑
勝手にリンク張ってしまいましたが、問題あるようなら消してください。
投稿: 通りすがり | 2005/03/14 14:53
東京なのに、本がおいてませんでしたOrz
今度、渋谷で見つけて必ず読みます・・・
投稿: 中村情苦 | 2005/03/14 16:20
西村博之氏は帰国子女ではありませんが
大学時代に一年間アメリカ留学(心理学)を
経験していますね。
投稿: | 2005/03/14 17:03
大塚英志って
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2004-31,GGLD:ja&q=%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E8%8B%B1%E5%BF%97%E3%81%A3%E3%81%A6
投稿: | 2005/03/14 19:49
自分は森川嘉一郎さんという方を良く存じないのですが
森川嘉一郎さんはオタクなのでしょうか?
激しく村上隆臭がするのですが。
今回のエントリーを読んで、以前同じ様なエントリーを読んだ記憶があるなとデジャブを感じたのですが
↓これでした。
佐々木俊尚の「ITジャーナル」
ひろゆきとライブドア社長の共通項って?
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/5ce555962d2fecb9531d1a44535dcf18
>けっこうやっかいな問題を
この問題は突っ込んでいけば結構面白いと思います(笑)
投稿: 忍天堂 | 2005/03/14 21:09
村上隆は激しく嫌い…というかお前オタク仲間にいれたらん、という気がしてます。
逆に森川氏が「決してアートにはしないように」と念を押したという点は村上臭からは離れているのでは、と思います。
僕自身にも言える事ですが、オタク間の近親憎悪って厳しくて、オタク趣味はオタク趣味であってアートなんかっていうチャラチャラしたもんと魂の込め方が違うんじゃいっ俺ぁ本気で人生棒に振ってるぜ、という視点があるのではないかと思います。
アートは他者とコミュニケートするための媒介という意味を持ち、それゆえに流通し文化という経済活動となりますが、オタクグッズは自分自身に沈潜するための依り代で、文化にも経済にも寄与しない。だからこそアートの持つ商業主義的側面から切り離されていてその対象固有の価値は純粋だと。で、俺のオタクグッズは理解者が極少なゆえにアートよりも上なんじゃい。
という価値観からは、村上は敵。と思います。
えー。だから森川氏の方にシンパシィは感じますね。
オタクは文化ではなくライフスタイルだと。
投稿: nomad | 2005/03/15 01:21
>けっこうやっかいな問題を内包していますので、俺も暇ができたら考えてみたいです。
期待しながらのんびり待ってます
投稿: | 2005/03/15 01:50
>>忍天堂さんへ
●たけクマさんのような業界人ではないんで恐縮ですが、一般人の目からテレビで拝見したかぎりでは、森川嘉一郎さんは『エリート官僚』みたいな人だなとW
村上隆とはまた違った「目」を持つオタクだという印象です。なにか…ロボットみたいだ、と思いました。
●それにしても、う~ん、オタクには今回、問題になった新しい世代という風な性格の人は多いと感じますね。今、二十歳なんですが、友人にも【強烈に個人主義的な傾向を持つ若い世代】と思われる人もいて、会話が通じない!とちょっとまごつくこともしばしば。しかも、それがメディアに登場するような「高い知識」を持った人ではなく、一般人かまたはそれ以下の知識を持つ人の場合は、さらに別の意味でも話が通じないというか(だからって自分が頭いいという意味では絶対ないです)
●どこか、今までってイメージが大切にされていた気がします。例えばジャーナリストになりたい人は、社会の真実を暴くとか、真実を追い求めるといった職業の付属品やドラマも享受した人が多かったのに、今の世代はむしろそのドラマを拒否しているというか・・・偏見ですかね。でもテレビを見ていると、ヒーローはヒーローでも「どうして三十分で敵倒さなきゃいけないわけ?巨大ロボットって本当に必要なんですか?まあニーズがあるなら」といって、怪人を冷徹に潰していくゴレンジャーみたいに見えてくるのですが・・・・・・。
●昔「世界まる見え」か何かで、天才特集の回があったんです。その中で【先天的な天才】と【薬物によってIQアップした天才】とが比較されていて、モノホンの天才は一瞬見た景色を完全に模写できる能力を見せつけてくれるのですが、どこか会話が変なんですよ。まさに【土俵には絶対に乗ってこない】という例えが当てはまるんです。そして以外なことに、薬物によって天才になった人物は「ボクが天才だって?たしかにボクのIQは高いかもしれない。でもそれよりも、人類のために貢献したアインシュタインやエジソンの方がずっと尊敬できるし、偉いんだ。」という風な発言をして、ちょっと感動してしまいました(笑)私が今回の記事を読んで、初めに頭に浮かんだのがこの映像でした。
まあ、まだ新現実読んでないんですけどねOrz
あと、「しろはた」は面白いホームページですね。たけクマさんのブログもここから入りました!
投稿: 中村情苦 | 2005/03/15 01:53
すいません。絡むつもりはないのですが…根本的な部分をちょっとだけ
>だからこそアートの持つ商業主義的側面から切り離されていてその対象固有の価値は純粋だと。
えーと「商業主義的側面から切り離されているもの」こそが「アート」というジャンルの本質です。
>俺のオタクグッズは理解者が極少なゆえにアートよりも上
アートの方がオタクより遥かーに理解者が極小です。
ちなみに周辺に熱心なアートファン(ギャラリー周りしてる方とか)っていらっしゃいますでしょうか
投稿: たけなか | 2005/03/15 02:03
↑
あなたは、
「画廊巡りすらしていない門外漢が生半可な知識でかれこれ言うな」
とでもおっしゃるおつもりか?
また、
>「商業主義的側面から切り離されているもの」>こそが「アート」というジャンルの本質です。
などと、不朽の名作「サルまん」、第1章基礎テクニック篇最終話、「若気の至り対策」作中のアイハラ氏のようなことをおっしゃっておられるが、さまざまなアート・マーケット、オークションなどでその「アート作品」が恐るべき金額で取り引きされ、高い価値なるが故の高い価格なるか高い価格なるが故の高い価値なるかは判然しないものの、そうした行為が社会に是認されかつまたそれがゆえにその価値を社会に認められている事実をいかに見ておられるのでありましょうか? 私としては大いにいぶかしからざるを得ないものであります。
投稿: 上北沢 | 2005/03/15 04:59
この手のアートよりの話題になるとよく見かけるアンチ村上的な意見ですが、具体的に何が切っ掛けでこの様な見解を持たれたのか興味有りますね。
私は精々でTVとか雑誌のモデルグラフィックスのインタビューくらいしか接点がないのでピンと来ないですね。現代アートやってる人が「オタクは駄目、アートの方が上」と言ってるところは聞いた事が無いし。
因みにアート作品が高値で取引される事の問題に関してはアーティストの中にも自覚してるしてる人がいて、ウォーホールとかデュシャンとかユニークな活動をしているようですね。デュシャンなんか凄く尖ってる人で、便器を逆さにしてサインだけしたりして。「あんたこれ買えますか?アートですよ。」ってやった訳ですよ(笑)
個人的な見解ですが、オタクの敵はアーティストと言うよりは、オタク的ジャンルの物に理解を示そうとせずに決め付けてかかる人ではないかと。
投稿: 三葉虫男 | 2005/03/15 05:17
↑まあよしやしょうよ
芸術うんぬんは岡本太郎さんの本なんかがたのしく読めると思うなあ。
「ピカソのサインがあったら億なのかよ」というツッコミとかあるし。
便器の話は私も知ってます(笑)
しつこいカキコすみません。
↓の人は話を元に戻してみましょうWW
投稿: 中村情苦 | 2005/03/15 05:29
一日家を空けて始発で帰ったんですが、けっこう濃いコメントがこんなに…。すべてにコメントを返せませんが、ここでの話題はまた回を改めてやることになると思います。
一言、僕の意見を言わせていただければ、森川さんは根っからのオタクで、少なくとも村上隆氏とは違うと思いますよ。
で、村上氏の活動がオタクから「嫌われる理由」はなんとなく想像つくんですが、彼はアカデミックなアート界(日本画界)の異端児で、実は「アート」の側からも嫌われていますよ。その中で、彼が「力ずくで自分を世の中に認めさせる」というその手腕に関しては、僕はほとほと感心しているんです。
実は今度出る「ゴルゴ13はなぜ…」は、実はタイトルに偽りありで、後半、いや全体の3分の2くらいまでが、僕なりの一種の「オタク論」になっているんです。そのへんを含めて、たぶんここでの問題はまた取り上げることになるのではないかと思っています。
えと、これから寝るんで、すいません。起きたらまた仕事です…。
投稿: たけくま | 2005/03/15 06:21
>現代アートやってる人が「オタクは駄目、アートの方が上」と言ってるところは聞いた事が無いし。
こういうのって、上か下かという話をする時点で不毛なんだと思う訳ですよ。
どういう基準で評価するのかも不明だし、オタク一般とかアート一般という大雑把なくくり方がそもそも無理ですよね。
オタク一般とアート一般で上下を比較できるとしたら、それぞれのイメージに対する世間的なステイタスくらいなんじゃないかと思うんですけど、そんなものはどうでもいい事ですし。
自分の中ではアートよりオタクが重要、といった個人的な価値観の表明以上の話はできないんじゃないでしょうか。
いや、アンチ村上隆的な感情というのは、僕も分かるんですけど。
投稿: ポン一 | 2005/03/15 09:16
>この手のアートよりの話題になるとよく見かけるアンチ村上的な意見ですが、具体的に何が切っ掛けでこの様な見解を持たれたのか興味有りますね
これについては、僕の場合は単純に「自分の領域が侵犯されている」とか「ハイカルチャーの領域から恩着せがましく手を差し伸べられている」といった感覚に対する反発でした。
村上隆の例の、オタクとして見て魅力的とは言いがたい造形のフィギュアが高値で売れた時に、これはデュシャンの便器やウォーホルのポスター販売みたいな、消費する側の反応も含めて作品としている表現なのだろうという理解をしまして、それはそれでアリかなと思い直しました。
(それでも村上氏本人の醸し出す雰囲気はやっぱり好きではないので、TVで見たりすると「ケッ…」とか思ってしまうのですが…)
ところで、デュシャンの便器が高値で売れたと報道されたら、便器業界の人は不快に思ったんでしょうかね。
投稿: ポン一 | 2005/03/15 10:23
<おたくはライフスタイルだ>
なかなか実感のこもった言葉ですね。
オタ嫁座談会を読んで感じたことも
同様でした。
村上隆、作品の実物を見たことがない
ので、「感動!」がいまひとつ不明。
絵はタイクツだし。
投稿: 長谷邦夫 | 2005/03/15 10:31
ヤマトをリアルタイムで見ていたオタク第一世代?です。以前から”村上隆、けっ”と思っていただけに、ここまでのコメントは我が意を得たり、と痛快に思いました。
ある意味、アートの側からOTAKUを利用するような動きがあることはむしろ自慢していいのでは‥‥そのうちアートの世界が美少女とメカに溢れるかもしれませんよ?
ただ個人的にはそれよりもサブカルチャーまたはアングラ系として手軽に?楽しめる今の状況のほうが居心地がいいような気がしますね、宮崎氏は既に権威かもしれませんが(卑近な言い方をすれば劇場に行かないと新作が見られない)、庵野カントクには簡単にそうならずに我々に美味しい駄菓子を与えつづけてもらえたら、なと。
P.S.いいトシなので普段は隠れオタクです、ただ社会学経済学的にオタクを研究するのが趣味なので、竹熊氏の考察には常に感慨し、体験談には驚き(ブリッコに執筆していたとは!?)を感じています。イイ時代です。
投稿: 居士 | 2005/03/15 14:28
●しかし、ここであえて道化を演じると、別段、村上隆さん「だけ」がオタクを利用しているわけじゃないんじゃないですか?実体験として、誰でも値段の高いアニメ関連グッズのカモにされているわけであって、五兆円企業などと煽てられていいようにメディアや学者に使われるのはいつもの事じゃないですかOrz オタクを研究する人も、みなオタクだし、どこかマスターベーションから抜け出せない気がするんです。
●万が一、村上隆さんがオタクにつけこんだのだったら、つけこまれる隙が出てくるほどオタクが世間の理解を得られなかったという反面も伺えます。たしかに、アートもオタクも他人に理解してもらうものではありません。しかし同時に、トイレの便器や宮崎さんや富野さんのアニメは、どこか強烈なメッセージを全方向へ訴えかけているような仕掛けがあるし、それが廻り回ってオタクの良い土壌をつくったとも言えるのでは?庵野さんのエヴァだって、オタクだけに当てはまるテーマではないと思う。
●一オタクとしての意見として、私は「イタイなあ」と差別されながらも、普通の人にもいいマンガ・アニメを見てほしい努力がしたいし、そういう入り口に、村上隆さんのようなゲテモノがあってもいいと思います。テレビで見るかぎり、あの人なんか怖いし、作品は別として認めざるを得ない部分もたしかにある。仲間内でのオタク会話などは至極の時間ですが、それだけだといづれオタク内でも話の合わない世代が出てきて、内ゲバで分裂して押しつぶされるような気がする・・・。
投稿: 中村情苦 | 2005/03/15 16:07
芸術っておたくでしょ。
投稿: | 2005/03/15 18:41
>実体験として、誰でも値段の高いアニメ関連グッズのカモにされているわけであって
これについては、自分が評価しているモノを買うという行動は、評価する主体としての自分の優位性を感じられるという点において、そこで起こっている事の実態が搾取であっても、やはり快感だという事なんじゃないかと。
岡田斗司夫さんの「消費エリートとしてのオタク」という考え方がありますけど、あれは搾取されているという事実に目を向けない事でプライドを保ち、楽しく踊りましょうという事なんでしょうかね(個人的には好きな考え方ではないです)。
一方で、オタク業界の外部からの視線を受ける、評価される側にまわるのは、上げられるのでも下げられるのでもイヤだというのはありますね。
ジャパニメーション(死語?)がスゴイ、とか言われても居心地悪いだけだったし…。
そんなのただの自閉じゃんと言われれば、まったくその通りだとしか言えないんですけど。
投稿: ポン一 | 2005/03/15 19:20
すいません。僕のコメントがだんだんおもしろい方向に行っているようで。
ケンカをするつもりはないです。
僕が書いたのは「オタクの側から見た村上へのケッという気持ち」であって、芸術そのものをケッと思っているわけではありません。僕だって美術館くらいは行きますし。
デュシャンもウォーホルも「芸術?ケッ」ってやった人で、その「ケッ」という行動、様式が、なんかスゲー新しい視点の提供だったわけですよ。その意味では美術表現の新しいムーブメントなわけで十分以上に本質的な芸術なんだと思っています。
僕が書いたのはオタクの側からの嫉妬であり、自分たちの価値観をアートとかスカした奴が誤読して土足で侵食してくる行為への否定的な感情を表したに過ぎません。嫌いなのは村上ひとりであって、芸術が嫌いなわけじゃあないんです。
「お前ら明るく金になるええトコの出のくせして、俺の汚いコタツに何足つっこんでくんだよ!」って気持ちなんです。
投稿: nomad | 2005/03/15 23:19
>「お前ら明るく金になるええトコの出のくせして、俺の汚いコタツに何足つっこんでくんだよ!」
や、そういう事だったんですか。私も恐いもの知らずと言うか、能天気なところが有りますので釈迦に説法となってしまったみたいですね。でもお陰で腑に落ちる物が有ったと言いますか。
以前読んだインタビュー記事でも村上氏自身マンガ家になろうとしてなれなかった挫折が語られてましたが、そんな「チョッとずれた人」が纏わり付いて来る感じと言うのは嫌といえば嫌かなぁ?と(苦笑)
私が当初村上氏に感じてたのは、「アート畑の人の癖にケッタイな所に目をつけるお人だなぁ」という程度でした。モデグラ紙上で見たココちゃんもやりたい事は分かるけど少々古過ぎるし、肝心のおたくの欲情を駆り立てそうに無いところがガッカリだったり、母乳縄跳びや初期のDOB君の毒の強さは凄いと思ったけどムカツキはしなかったんですよね。
だからあさの氏の力の入れ具合に反比例するかのように反発が起こって行く様に戸惑いを感じてました。ある意味私が鈍かったんだろうなぁ、と今更ながら思わされております。でもお話を聞けて本当に良かった。友人なんかと面と向かって話すにはチョッと気恥ずかしい内容でもありましたので(^^;
投稿: 三葉虫男 | 2005/03/16 00:13
>「お前ら明るく金になるええトコの出のくせして、俺の汚いコタツに何足つっこんでくんだよ!」
オタクであり、美術もやってるのでこういった議論にはコウモリ的に身の置き所のなさを感じます。
村上氏の美術界での評価はたけくまさんのおっしゃる通り毀誉褒貶激しいもの。それは「日本画壇の異端児」だからってだけでなく、アートビジネスで成功者たるために海外での評価を得る=外人をビビらせるためにかなり「戦略的に」オタク的なものを表現手段として選んでいるあたりが美術界においても嫌われてるんではないのかな、と。
彼は作品だけでなく芸術とカネの(特に日本の芸術業界における)システムそのものに意識的にコンタクトしていく部分も含めて評価の対象になっている作家だと思います。げんだいびじつって、なかなかかねになんないんですよ。常識的には。だからあえて美術で成功する!っつーのも彼のコンセプトのひとつになっているのでしょう。少なくとも自覚的にやってるから、毀誉褒貶を受け止める気概だけは誰にも負けない人だと思います。しかし、やっぱりあの「利用」感がいかんのでしょうね。。。
芸術の文脈でもマンガや美少女やメカはもちろん語られていて、ヤノベケンジとか会田誠とかはけっこう一般的にも名前の出ている作家だと思いますが、村上隆のようにビシバシに反発されないのはそれに「利用」感がないからではなかろうかと。芸術やってるようなタイプにはオタク気質の人がかなり多いですし、本来なら美術作品にオタク的文化が絡んだりその逆だったりするのは当然あってしかるべきだと思うんですよ。現代の日本でなにかに耽溺する傾向を持って育ってきたら、アニメとかマンガとかオタクであることは殊更特別なものではないと思いますし。本棚を描いたらマンガの背表紙を描かざるを得ないって感じで。
長い上とりとめもなくてすみません。
投稿: room | 2005/03/16 12:19
何故「おたくさあ」と呼び合っていたかという視点はどうでしょう。 80年頃の高校生でクラスで運動で目立つわけでもない、不良のようにタバコを吸ったり族をするわけでもない、いじめも今のように盛んでない、そんなクラスの中間に浮いた存在だが、頭の中だけは発達したミニ大人達が、お互いのことをお互いでだけ認め合って記号としての敬語で呼び合う。
投稿: 1963 | 2005/03/16 20:21
ども。僕も現代芸術がお金にならないことは良く知っています。僕の友人にもヨーロッパやオーストラリアで活動していた現代芸術家がいますので。
「俺の汚いコタツ」っていう感覚がどこから来るかといえば、実際に収入に結びつくかどうかというよりも、たけくまさんの言葉で言うところの「不毛」さかげんにあるんだろうと思いますよ。
他のオタクもそうではないかなーと想像しますが、僕が嫌いなのは村上ただ一人!
ヘボくて貧相で魅力の無いオタグッズの劣化コピーを商売のために使う、「不毛」に対する覚悟も無い奴、として村上が嫌いだ、と思うんですよー。
投稿: nomad | 2005/03/17 00:05
はっ。
すっかり村上の悪口に。
すいません、スレ違いですたー。
投稿: nomad | 2005/03/17 00:13