【訃報】岡田史子さん逝去
たった今、某所から連絡が入ったのですが、マンガ家の岡田史子さんが今月3日、ご逝去されていたようです。本葬は明日本日(8日)である行われたとか。年齢もまだ55歳とお若く、まったく予期しないことだったので驚いてます。
岡田史子さんは、1967年に『COM』でデビューし、その「文学的」かつ斬新な作風で漫画界に強烈なインパクトを与えた人です。特に少女漫画の文脈とは別の場所から登場した「女性作家」の草分け的存在であり、当時、マスコミではつげ義春と並び称されたこともありました。
萩尾望都や竹宮恵子など70年代女性作家にも多大な影響を及ぼし、また「非少女漫画的女性作家」という文脈では、高野文子に代表されるニューウェーブの先駆的な作家であったといえます。近年、マンガ家としての活動は、ほぼ停止状態でしたが、根強いファンを持ち、一昨年と昨年に飛鳥新社から2冊の傑作選が出たばかりでした。
本葬は明日(4/8)、11:30から埼玉県所沢市小手指町 所沢教会 にて執り行なわれるそうです 執り行われたそうです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
※すみません、俺の勘違いで、本日は7日だとばかり思ってました。今日は8日ですよね。俺の周囲では早い人は昨日の段階で情報に接していたようですが、俺が知ったのは本日夕方でした。上記の文章を一部訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。
ODESSEY1966~2003 岡田史子作品集 (Episode1)
ODESSEY1966~2003 岡田史子作品集〈Episode2〉
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コメント
岡田史子さん、と言えばワタシにとっては「ぞんねんぺるたい」が思い浮びます。奇天の「SF少年少女競作大全集」に載ってた特に印象的なマンガでした…(手で触れただけで人が死ぬ能力を得た主人公の短編)。別の情報では保険の外交員をやってらした、と聞きました。ご苦労も多かったでしょう。自分の中では、かなり印象深い方でした…。ワタシも哀悼の意をば…。
投稿: vio | 2005/04/08 22:45
「ぞんねんぱるたい」でした…申し訳無いです…。にしても文学的なマンガでは喰えないこの現状を少し呪いたくなる気分です…。
投稿: vio | 2005/04/08 22:49
萩尾望都が持ち上げたこと、四方田犬彦が持ち上げたことで神格化されたが、一方で呉智英に切り捨てられたことでも分かるように、毀誉褒貶の激しい作家でした。私が思うには雰囲気に埋没するところが、女性作家には共感を呼び、男が見るには内容がないと見えた作家ではないかと思います。エンターティメントが描けない以上、メジャーになることは出来ないわけで、商業漫画家としては限界のある人だったと思います。文学味と言ってもつげ義春のように多数の共感を呼べるような作風でもなかったので、こんなもんかな、と言うのが正直な感想です。
投稿: jwtoshi | 2005/04/08 22:58
僕も「ゾンネン・ぱるたい」で初めて知りました。
>>vio様
奇天ではなく東京三世社の少年少女SFマンガ競作大全集ですね。すみません揚げ足取りで。82年ですからもう23年も前…。
ご冥福をお祈り致します。
投稿: tonae | 2005/04/09 00:05
間違えて憶えてました…。御指摘恐縮です>tonaeさん(当時の東京三世社と奇天との記憶がゴッチャ…)
必ずしも呉さんの評論や価値観がワタシには絶対とは思えないのですよ。自分の中にアニマ的要素がかなりあるとはいえ作品的な価値としては高かったとワタシのゴーストが囁くのです。宮崎さんが手塚さん死去の時に向けたコメントの
ニュアンスは出来れば避けたいとも思っています。どうか。> jwtoshi さん
投稿: vio | 2005/04/09 00:40
上の書き損じは全て削除してください、すみません
確か70年代末の宝島です、呉智英の岡田史子・24年組批判が載ったのは。
これは今読んでも読ませるだけでなく、当時の文化全体の状況に対してマイルストーンと呼び得るほど非常な徴候を顕しているので、未読の方は何所かで是非読むべきですし、紙媒体かネット上で採録されなければなりません(国会or大宅、等で記事のコピーを送付して貰えるのかな?)。忘れているかもしれないので著者の呉さんに告知しないと。
初学者は取り敢えず、呉の「師匠」である石子順造や呉が袂を分った漫画主義の連中が少女マンガについて何を云ったか、調べられ。http://yossy32.hp.infoseek.co.jp/mcsummary.htm
http://www.infonet.co.jp/apt/March/index.html
http://www.geocities.jp/mandanatsusin/somokujifr.htm
(周知ですが、『全体像』の加筆部分は駄目駄目であって、情報センター版を態々求めたりしました)http://www.hcn.zaq.ne.jp/debugger/fuzi/fuziFrame.html
そういえば、呉智英はCOMIC新現実などでのみなもと太郎の証言("岡田史子はどうでもいい")についてどう考えているのかな。http://www.fuunji.net/
忘れてた。東浩紀に「岡田史子なんか知らない」という文章を依頼するとか。流石に断られるか。
>宮崎さんが手塚さん死去の時に向けたコメントのニュアンスは出来れば避けたい>What!?
akakiTiysque
投稿: 確か70年代末の宝島です、呉智英の岡田史子・24年組批判が載ったのは | 2005/04/09 04:44
いいからおちつけ。
投稿: | 2005/04/09 06:45
別に呉さんの評価が正しいとは思ってません>vioさん。ただ毀誉褒貶が激しいと言ってるだけで。私も岡田史子と同じく北海道の出身で彼女はちょうど10才ぐらい上ですかね。あんまり北海道という感じはしなかったですね。なんでキリスト教に帰依したのかも良く分からないんですが、その辺りも含めて良く分からん作家でした。彼女の作品は文学味というよりは文学趣味を感じました。岡田史子がどう思っていたのか興味があるのは、彼女に影響を受けた竹宮恵子や萩尾望都が、ホモマンガを開始したわけですが岡田史子の作品には直接的にそう言う描写はなかったかと思います。フォロワーがホモマンガ~やおい傾向の作品を描いていたことをどう思っていたのかなあと。まあ、多分自分のフォロワーの事なんか興味がなかったと思いますが。
投稿: jwtoshi | 2005/04/09 08:32
重複コメントは削除しました。
ところで、いくら一線を退いていたとはいえ、岡田史子ほどの作家の死が、死後5日間も知られなかったのもスゴイ話です。
昨日は上のエントリをとりあえず放り込んでから、評論家のヤマダトモコ一家と会っていたんですけど、そしたら俺の携帯に共同通信から、それでヤマダさんの家に読売新聞からあわてて取材の電話が入りました。
どうやら、俺のブログを見て岡田史子さん死去を知ったみたいで。まあ、書いてみるもんだなと。
俺は俺で、伊藤剛氏からのメールで知った。伊藤くんは、岡田さんに近しい人がミクシイの岡田史子コミュに葬儀の案内を書き込んだのを読んだらしい。葬儀自体は、ほぼ身内のみのものだったようです。
呉智英の岡田批判は僕も読んだことがありますが、あの人は作品の好き嫌いがはっきりした人ですからね。岡田史子だけではなく、吉田戦車が登場したときだって「ひょうきん族みたいなもの」と切って捨てた人ですから。このときの「ひょうきん族」は否定的文脈で使っていたわけだけど、いまだに僕は吉田戦車と「ひょうきん族」に関連があるとは全然思わないし、呉さんが批判した意味がよくわからない。
どうも呉さんの場合、初期のいがらしみきおや相原コージへの評価は極めて高かったことから、「男のルサンチマン」に裏打ちされたナンセンスはツボにはまるんだけど、吉田さんのような純粋ナンセンスはピンとこない人みたいですね。
まあ俺自身、世間的評価が高くても実はよくわからないマンガはいっぱいありますし、人間なのだからそこは仕方がないです。
投稿: たけくま | 2005/04/09 08:46
「COM」時代のぼくは、やはり宮谷一彦が
最大の関心作家だった。そしてパロディに
お目覚め中だったので、岡田マンガ的なものには
興味がなかったなあ。
そんなにすごい作家?まあ、昔、1冊しか読んでないんで、何も評価できなんですが、当時の
ぼくの感じ方は薄かったということです。
関心が強ければ、彼女のパロディを描いていた
はず。(笑)
復刻されたものを読んでみようかとも思って
いたのですが、まだ購入していませんでした。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
投稿: 長谷邦夫 | 2005/04/09 09:18
別冊宝島13『マンガ論争』(1979)での呉智英のコメントを見つけました。
「岡田史子 『COM』投稿新人としてデビューした。素人っぽい線が逆に新鮮で、既成の約束事を無視して、詩のように直接情感に訴え、若い読者を魅了した」(p251)
記述はこれだけです。
投稿: quimito | 2005/04/09 11:03
岡田まんがについてはあまり知らないのでコメントのしようがありません。なんかみおぼえのある絵柄だな~という程度。
呉さんのまんが評論はあまり好きになれません。特定の批評家だれそれ氏をよく叩くのですが、私の目にはそのひとの論と呉氏のものは実はおなじ構造でできあがっているように映ります。
同属嫌悪っぽいのですね。
夏目さんの批評理論も呉さんへのアンチテーゼとして生まれたものでないかと思います。そうだとすれば、その姿勢は正しいのですたぶん。
投稿: ああ | 2005/04/09 11:28
http://media.excite.co.jp/book/special/okada/p01.html
2003年におこなわれたインタビュー(近影つき)があります。好感を抱きました。
投稿: ああ | 2005/04/09 11:34
× 毀誉褒貶の激しい作家
○ 毀誉褒貶に晒された作家
投稿: gotieiみたいな行為ですが | 2005/04/09 15:10
岡田史子...懐かしい名前である...亡くなられたという..。
昔、「COM」という雑誌が、存在していた...。
「漫画少年」だった私にとって「COM」は「バイブル」だった。
岡田史子、宮谷一彦...そして「ガンケ・オンム」。リアルタイムで読んでいた私にとって、彼等は憧れでした。当時、田舎に住んでいた私にとって「COM」の発売日を楽しみにしていた。
彼等の次回作を期待して...
今回、Blogで「漫画家との出会い」を書こうと思ったのだが、少し時間をおいてみようと思う...。
...漫画を描くという行為を教えてくれた先輩達に愛を込めて...
まだBlog...慣れていません。
岡田さんのご冥福をお祈りいたします。
投稿: takk | 2005/04/09 20:35
眠いので少しだけ書きます。
呉智英の岡田史子・24年組批判が載ったのは月刊宝島本誌の少女マンガ特集の号です、わたしの記憶では79年頃だったのですがhttp://www.tinami.com/x/girlscomic2/2/page4.htmlかもしれません。
注意すべきは、村上知彦や米沢嘉博よりも呉智英の方がマンガ評論家としてはひとつ下の世代で、呉は大塚英志や夏目房之介と同じ世代なのです、『全体像』で吊された4人の評論家はマンガ評論の各世代に対応しており、津村喬は村上米沢高取英中島梓のダミーなのです。呉の当該のエッセイは少女マンガに留まらず70年代以降のオタク=新人類文化の本質を突いた、痛い所を突かれるものなのですが、あれだけ立てたエッジは何処へやら、呉氏は『全体像』の増補部分その他では後退したつまらない事しか書いていない(書けない?)ので。
周知でしょうが、みなもと太郎はCOMIC新現実で「24年組の起源は矢代まさこをはじめとする末期の貸本であり、岡田史子はとりあえず関係無い」と述べています。呉智英は何故盟友の証言を参照しないのでしょうか。
akakiTisque
投稿: 呉智英の岡田史子・24年組批判が載ったのは月刊宝島本誌の少女マンガ特集の号です | 2005/04/10 02:45
↑ああ、萩尾・竹宮の直接的なルーツはたしかに矢代まさこですね。初期のは絵柄がそっくりだったし。
岡田史子は、24年組の起源というよりも、彼女自身も24年組なんですよ。たしか萩尾さんと同い年のはず。デビューは岡田さんのほうが2年くらい早いだけで。ちなみに竹宮恵子のデビューも『COM』でしたね。
岡田史子が、確か『COM』の一期生で、竹宮さんは半年後か1年後くらいにデビューしている。でも作風は全然違うというか、竹宮さんは最初からエンターテインメントでした。
岡田さんの萩尾・竹宮への影響は、絵柄ではなく詩的な言葉使いなどに感じることができますが、作品的影響というより、精神的な影響を強く感じます。
ある種、非商業的な部分で先鋭的な表現を試みていた岡田の姿勢に、同世代の女性作家は勇気を与えられたというようなものではなかったかと僕は思います。
投稿: たけくま | 2005/04/10 07:50
↑↑あと、もうひとつ。呉氏が評論家としてひとつ下の世代というのは、ちょっと違うと思います。石子順造が主催していた70年代初頭の『漫画主義』に新崎智という本名で評論を寄稿していますから、評論家デビューは米沢氏や村上氏と同じくらいか、少し早いのではないでしょうか。
投稿: たけくま | 2005/04/10 08:05
またお一人、マンガニューウェーブの源流たるCOM作家が他界されてしまったという事でショックです。高野文子に多大な影響をあたえた作家なのに、飛鳥新社の本では逆に高野文子さんが寄稿している。
時代なのかな?と思ったものでした。
ご冥福をお祈りします。
投稿: さとぴー | 2005/04/11 02:49
岡田史子遺作原画展と語る会を開催します。
日時:2005年9月3日 午後3時 「語る会」
評論:すずき おうじ氏
パネルディスカッション:
同窓の岡田繁幸(コスモバルクの育ての親)他
原画展2,3,4日
同窓生主体の遺作原画展です
是非ご来場を
投稿: しずない | 2005/07/30 19:14
北海道静内町出身の漫画家、故・岡田史子の「遺作原画展と語る会」を平成17年9月3日午後4時~5時30分に、静内町公民館で開催します。
参加費無料。鈴木翁二氏(漫画家、浦河町在住)の講演とパネルディスカッション「岡田史子の作品とその時代」のほか、特別出演者として永く彼女の理解者だった青島広志氏(作曲家、ピアニスト、司会者、イラストレーター、マルチタレントとして活躍中)も参加予定。また、遺作原画展は9月2日(金)~4日(日)まで静内町公民館で下記の時間で開催しています。
●2日(金)13:00~19:00
●3日(土)10:00~16:00
●4日(日)10:00~14:00。
※詳しくは、田畑(T0146-42-0163)まで連絡を。
投稿: 同窓生 | 2005/08/20 10:36
同窓会による「遺作原画展」を拝見しました。在学時も卒業後も接点の全くなかった私は、今回の訃報と彼女の業績にただ驚くばかり、その生き様に触れたいとの思いだけで、引きつけられるように足を向けました。
短時間で感想を持つのもおこがましいのですが、半生を過ぎた今の私なら直視も共感も可能なメッセージ、高校生時ならべた机の先で生み出された作品と聞くと、その逸材ぶりに驚嘆の一言です。「天才」とはこういうことかと思いしらされました。
実年齢をはるかに超える精神世界での成熟度、そこで生じた諸々を彼女は「漫画」で表現していたのですね。ただ作品を前に、彼女に子ども時代はあったのだろうかと少々不憫に感じたのも正直なところです。これを機会にじっくりと彼女の世界に触れてみたい、そう思いました。
それぞれ第一線で活躍しながら、企画・準備に当たられたT君、N君、O君、I君、Mさん、それに高田さんを偲ぶに最もふさわしいエピソードを披露してくださったI君、ありがとうございました。
管理者さま、場違いな書き込みの失礼お許しください。彼女の生き様に我が身を引き比べて振り返る、そんな温かなひと時を持てた報告と感謝の気持ちを、どうかお汲み取りください。
投稿: しの | 2005/09/05 17:51
岡田史子さん逝去のこと 秋もおわりちかくに知りました。COMの頃の岡田さんの作品には強く惹かれるものがありましたが、痛くて見続けられませんでした。存在の痛み...が投げかけられたまま 受け取る腕もなく空中に漂っていました。つづく漫画家たちは 塵に塗れながら答えを模索していました。なぜ..ここにいるのか...なぜいなければならないのか...ここでなにをしたらいいのか...という果敢な問いかけを商業漫画のうえで続けたひとは幾人かいます。晩年の岡田さんのお顔を見て 答えは得られたのだと思いました。死はいづれ誰にもおとづれます。岡田さんにありがとうとお疲れさまでしたのことばを遅ればせながら 送らせていただきます。
投稿: luca | 2005/10/29 05:36