平田弘史先生訪問記(其ノ六)
さてお楽しみいただいた『平田弘史先生訪問記』ですが、今回で一応の区切りにしたいと思います(番外編はまだあります)。
それと申しますのも、実はあれ以降のインタビューがさらに2時間近くに及びまして、また近日中に追加取材を行う予定もあり、以上あわせてこの七月下旬に青林工藝舎から刊行予定の『叛逆の家紋』に掲載することが決定したからです。
さすがに「たけくまメモ」と内容がダブリ過ぎるのもなんですので、当ブログではこのくらいにしておきたいと思う次第ですが、せっかくなので以下、活字化予定の内容の一部をご紹介いたしましょう。
●我が人生は貧乏神との戦い!
17歳で父親を亡くされた平田先生は、残された家族(母親・弟妹6人)を肉体労働で養う日々を送ります。そのころ、先生の一年上級の先輩が漫画家になっていたのですが、数年後、乗り換え駅でバッタリ会ったのがきっかけで漫画の道に入ることになりました。
たちまち圧倒的な才能を発揮し人気作家となりましたが「生活のためとはいえ、いやそれゆえにこそ、半端な作品を出すことは自分が許せない性分」のため、たびたび休筆を繰り返し、そのたび貧乏のどん底に。
結婚して五人の子供をもうけてからも、休筆癖は変わらず、『それがし乞食にあらず』を地で行く窮乏生活が一家を襲います。だが生来の前向きな性格と、しっかり者の奥様による内助の功でピンチを切り抜けます。「世の中には貧乏が顔に出る人と、出ない人がいますが、先生は全然貧乏に見えませんね」と筆者が問うと、先生答えて曰く「俺たち夫婦は心が金持ちなんだよ!」
●麻酔なしで盲腸手術!
19歳で盲腸になったが手術はなぜか麻酔なしという超豪快さん伝説! 腹を切り裂かれ内臓が引っ張られる感じを実感! 切腹する武士の気持ちをイヤと言うほど味わう! 考えただけで痛そうですが、先生にとっては生命と死を深く考察するきっかけに!
●『お父さん物語』はアルバイト作品!
80年代後半、平田先生一家は杉並の持ち家50坪を売り払い、伊豆に八百坪の広大な土地を購入しました。だがその前後3年近く仕事をまったくせず、建築の陣頭指揮をとる毎日。大工ですら気が付かない水平の歪みまで指摘し、ついには「俺がやる!」と勝手に工事を始めるなど、先生は楽しかったでしょうが雇われた側には地獄であったでしょう。かくして立派な屋敷が完成したものの、人生何度目かの貧乏が一家を襲った!
八百坪の屋敷に住みながら貯金ゼロ! 電話代も払えぬ有様に!
ぼちぼち仕事をしなければならなかったのですが、それまで数十年の劇画家生活で「神経が疲労困憊、逆立ちしてもアイデアが浮かばぬ状態」だったゆえ、劇画を描く気が起きず、とうとう日雇い人夫に出る決意を固めます。だが、そのときひとつのアイデアが先生の頭に浮かんだのでした。
「まてよ、日雇い人夫なら誰でもできるが、俺にしかできないバイトがあるんじゃないか。そうだ、マンガのアルバイトならできるかも知れない!」
たまたま講談社ヤングマガジンから原稿依頼があり、かくして始まったのが先生初のエッセイマンガ『平田弘史のお父さん物語』だったのでした。先生曰く「お父さん物語は、だからアルバイト作品なんだよ」。しかし気楽なエッセイといえども己の全てをさらけ出し尽くしてしまった力作に、業界話題騒然!
●今明かされるチョンマゲ(正しくは総髪)の秘密!
伊豆に来てからチョンマゲ(※註)を結うようになられた先生ですが、これも床屋代を節約するためと判明!
「最近は若い連中の間にもチョンマゲ(※註)が流行ってるじゃねえか」
「は?」
「ほら長髪を後ろで束ねて…」
「ああ、ロンゲを結わえるあれですね。チョンマゲ(※註)とはちょっと違うのでは」
「俺も最初はああしてたんだが、それだけだとまだ鬱陶しいんで、丸く結わえたらチョンマゲ(※註)になった。おかげで頭が軽くて快適だ。昔の人の知恵は素晴らしいもんだねえ」
なんていうか、先生、貧乏・貧乏とおっしゃられますが、正直全然貧乏には見えませんのですが。横に座られている奥様も「あの時は大変だったわねえ、おほほほ」とお笑いあそばされるのみで、本当に素晴らしいご一家です!
※註 こういう髪型はチョンマゲではなく、正しくは総髪というらしい。コメント欄のぼぼぶらじるさんのご指摘を参照。しかし先生も細かいことには拘らないのか当方の間違いを否定されなかったうえ、一般の現代人には総髪という言葉はなじみが薄くかえってピンとこないと思われるので、註を加えたうえであえてそのままにしておきますが、正しくは総髪です。
●天理教脱会の真相!
親の代からの敬虔な天理教徒であった平田先生。しかし若い頃から、ある「違和感」を抱き続けていたと告白します。
その違和感は、教団の機関誌から『教祖・中山みき伝』の劇画連載を依頼されたところで頂点に達しました。当初は己のライフワークにしようと、それまでにもまして徹底的に史料を調べ、執筆を開始された平田先生でしたが、よくよく原史料に当たると、中山みきの教えと、教団の教えに食い違いがあることが判明。
「そもそも、中山みきさんの本当の教えは“身のうちひとりひとりに社(やしろ)あり”なんだ。要するに、自分の心の中に神さんはいるので、“教団を作れ”なんて一言も言っておらん。だから、教団があること自体間違っておるし、彼らが神を代理できると考えることも間違っている。
天理教に限ったことではない。仏教もキリスト教も、イスラムにしたところで教祖が教団を作ったわけではないよな? 必ずその弟子だの身内だのと称する、凡人どもが教団を作る。組織ができると、組織を維持する目的が必ずできてしまう。そうしたら信者を集めなければならない。人を集めるために、権威を作って、階級を作るんだよ。
中山みきその人を尊敬することと、教団に属することはまったく別の問題なのだ。他人の私利私欲の道具になってたまるかよ。この事実に気付いた俺は、そのことを劇画に描こうとしたのだ」
当然、天理教本部的には青天の霹靂と申しましょうか、パニック状態に。かくして平田先生渾身の力作『中山みき伝』は連載打ち切りと相成りました。もちろん先生は泰然と、家族を連れて教団を脱会したことは言うまでもありません。
そもそも、誰よりも物事の本質を突き詰める性質の平田先生に、教団の宣伝マンガを依頼した天理教本部の認識が間違っていたのではないでしょうか。
●宇宙の原理=オマチン思想とは?
天理教を離れ、以後いかなる宗教とも無縁の生き方を選んだ平田先生でしたが、中山みきの「身のうちひとりひとりに社あり」を実践するべく、伊豆山中にて独自の人生哲学・そして広大な宇宙哲学を展開していきます。
それが「宇宙の原理=オマチン思想」であります。その深遠な哲学の一部は、『お父さん物語』や先生のホームページで展開されておりますが、このあたりの話もタップリお聞きしましたので、お楽しみに!
◆
そんなこんなで、とっ散らかった感じになってしまいましたが『平田弘史先生訪問記』、お楽しみいただけましたでしょうか。で、最後になりましたが「其ノ零」で予告した例のアレをアップしてひとまず締めくくろうと思います。そう、例のアレですよ!
「先生、最後になりましたが、色紙に一筆お願いしたいと思うのですが」
「ああ、いいよ。どんな言葉がよろしいか」
「萌え、と」
「燃える?」
「イエ、草冠に明るいの萌えでございます」
「なんでだ?」
「最近、軟弱な若者の間でこの言葉が流行っておるのです。あえて先生ご揮毫によるこの言葉を示すことで、軟弱アニメに萌える若者の背骨に、一本シャンとした気合いを通したいのであります」
「わかった」
かくして、先生にご揮毫いただいた色紙が、左の写真です。今度はクリックすると拡大するようにしましたので、たっぷりとご堪能ください! ついでに、お孫さんに萌え萌えの先生の写真も。
ちなみに訪問記はこれで終わりますが、近日中に「俺の愛した平田劇画ベスト3」をアップするつもりですので、お楽しみに!
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コメント
こ・・・これが・・・
「萌え」
素晴らしい・・・
投稿: 会社で読んでる人 | 2005/06/09 22:58
す、凄い・・・
画像はブログ等で貼付していいのでしょうか?許していただけるのなら、是非。
投稿: 中村情苦 | 2005/06/09 23:09
で、萌えTシャツ発売は?
投稿: 長谷邦夫 | 2005/06/09 23:43
>で、萌えTシャツ発売は?
なんなら私が制作費全負担します。
#銀座で一晩よか安そうだし:)
投稿: 弾 | 2005/06/10 00:03
日本中のオタクの壁紙が「萌え」で埋め尽くされますように。
投稿: メモリ | 2005/06/10 00:29
ひとつ訂正。同級の編集者ではなく、
「一年上級の先輩が漫画家になっていて、数年後、乗り換え駅でバッタリ会ったのがきっかけ」でした。
投稿: 弘史左衛門 | 2005/06/10 00:53
↑了解しました。
投稿: たけくま | 2005/06/10 00:54
平田弘史先生訪問記、面白かったです。
リアルタイムで「お父さん物語」を読んでましたが、二十年近く経った今でもその内容は鮮明に覚えています。
御長男に対しての受験の心構えを説く話では当時、特に胸打たれるものがありました。
このブログにて平田先生が劇画を描いていたと初めて知ったので驚いています。
早速、アマゾンにて注文をさせていただきました。楽しみに待っている次第です。
これほど壮観な「萌え」は初めて見ました・・・・Tシャツが出るんなら欲しいですねぇ。
投稿: 田中秀太 | 2005/06/10 01:00
一応、青林工藝舎のほうで「萌えTシャツ」を作る動きはあります。決まったら、当ブログでお知らせしますので。
投稿: たけくま | 2005/06/10 01:11
鼻血出ました
投稿: なまもの | 2005/06/10 01:12
たましいが口からちょっと漏れました。
投稿: azk | 2005/06/10 01:21
色紙の右上に「命名」と書くと「萌之」と読んでしまいそう。
健やかに育ちそうだ。
投稿: gato | 2005/06/10 02:28
もう、名言の連発ですね。
お孫さんと一緒の平田先生の笑顔が、とても幸せそう。
この萌え色紙写真は、永久保存ですね。
「萌えTシャツ」が発売になったら、絶対購入します。
投稿: 人(hito) | 2005/06/10 04:07
いや、単純にカッコイイなぁ
平田先生の字の入ったTシャツ
欲しいです
投稿: へのへのもへじ | 2005/06/10 08:02
Tシャツ買います!
大中小の壁紙もぜひとも…
投稿: 本田 | 2005/06/10 08:42
最高でした! 楽しみました! 歴史に残る名エントリをありがとうございます!
投稿: 佐々木 | 2005/06/10 11:39
一級上の先輩とは
宮地正弘さんです。
その辺のところは篭目舎の
「紙魚の王国」2(そういえば続刊はどうした?)所収の
宮地さんのインタビューもご参照下さい。
投稿: アセチレン・ランプ | 2005/06/10 11:43
「俺たち夫婦は心が金持ちなんだよ!」
そう言い切れる人生を目指します(涙
投稿: かとー | 2005/06/10 12:25
頭蓋をガンガンぶん殴れらるかのような至言の数々。
石原豪人先生と並ぶ凄いお方なのだなあ、と改めて思いました。
投稿: ごま | 2005/06/10 18:24
最近ここ読んでから企画書に目を通しても内容が入ってこない....もはや平田病ですよ(ヲイヲイ)
投稿: tko222 | 2005/06/10 19:06
大分前に電波新聞社が移植して出したX68000版のイースというゲームの題字がなぜか平田先生だったと思います。カタカナで豪快に「イース」、と書かれていました。当時はこれ、本当に平田先生かなあ、同姓同名の別人?とおもってました。本当に平田先生が書かれたのだとしたら、一体どんな経緯で平田先生に依頼することになったのか興味あります。是非、このことも伺っていただきたいです。
投稿: AM | 2005/06/10 22:20
「平田語録」が作れそうなくらい濃い名言の数々、楽しませていただきました。
「たけくまメモ」の題字も平田先生にお願いされては?!
投稿: syuu | 2005/06/10 22:41
萌えという単語がこれほどの迫力を
持ったことに驚きました。
投稿: 横田 | 2005/06/11 00:17
平田先生の生き様に改めて感服しました!
『叛逆の家紋』の刊行も楽しみです。絶対買います。
とりあえず「萌え」色紙は携帯の壁紙にさせていただきました。
投稿: 秀之進 | 2005/06/11 00:39
漫画家のことを先生と呼びたくない僕ですが、平田先生だけは先生と呼ばせていただきます。
本当に素敵な人だと思います。
素敵な生き方をされている平田先生と、先生を素敵に紹介されたたけくまさんに敬礼。
投稿: nomad | 2005/06/11 01:19
http://oomori-jisinkei.cocolog-nifty.com/nisinippori/2005/06/post_7c5e.html
投稿: これかな | 2005/06/12 04:25
もう公としては漫画家は引退されていますが、先日中城健先生にお会いする機会がありました。
中城さんも天理教で、エントリーにある「中山みき伝」を描かれています。平田先生の後を引き継いで
描かれたのかどうか、その経緯はお聞きしませんでしたが、300ページを越す大作でした。
中城先生も今は漫画を描くのにPCソフトを活用されているそうで、あの年代のお方特有のものなのか、
お年をめしても好奇心あふれるパワーを感じました。
投稿: hagi | 2005/06/14 17:25
中条先生の「中山みき伝」は、まさしく平田先生降板後の仕事ですね。
中条先生で思い出しましたが、14年くらい前、三鷹から武蔵野市に引っ越したとき、引越業者が俺の本の多さを見て、いきなり「お客さん、マンガ家さん?」って聞いてきたんですよ。
ビックリして理由を聞いたら、「いやこないだマンガ家さんの引越をやってねえ。その人もすごい本の量だった」と。
その引っ越されたマンガ家さんが中条健先生だったんですよ。いや中条さんの名前が出たのでつい思い出してしまいました。
投稿: たけくま | 2005/06/14 20:01
ご返答ありがとうございます。
後で調べましたところ300ページではなくて
1000ページ超えていました!
訂正させていただきます。
そういえば、「本は捨てられないねえ」と
おっしゃっていました。
投稿: hagi | 2005/06/14 21:54
あ、俺の書き込み名前間違えてました。
中条→中城、ですね。失礼しました。
投稿: たけくま | 2005/06/14 23:46
まあ、月代剃ってないで、
後ろで束ねる平田さんみたいな髪型を総髪というんだよ。
半髪と言われる「丁髷」が武士階級の髪型であるのに対して、独身者、浪人者、儒者、神官、山伏など、「主家に勤めない武士でない
者の」髪型で、むしろ侍とは対極にある髪型。
月代はもともと兜をかぶる為に蒸れるから剃るのであり、
本来いつでも戦場に立ち武家奉公できるという心構えの顕れ。それがないということ。
平田さんも別に丁髷といってないのでは?
よいしょはいいけど、過ぎるとねえ。
むしろ、「侍」ではなくさぶらわない自由業の髪型だからね。
反乱を起こした由井正雪も平田系の総髪だろう?
今の世の中、月代剃る人はさすがにおらんだろうし。
ご存知の通り茶筅髪で平田さんも一本かいてるんで、
ちと調べれば分かることは
ライターならチェック必要かと。
投稿: ぼぼぶらじる | 2005/06/16 06:00
↑ああ、これはどうも。勉強になりました。
投稿: たけくま | 2005/06/16 06:05
>たけくまさん
ああご丁寧にコメントをどうも。
気がつきませんで、
ご挨拶が遅れましたことをお詫びいたします。
平田さんのコンテンツが移ると寂しくなるので見ないようにしていたのですね。
平田さんの漫画には、やたら工作して物を作るシーンが出てくるのですね。
罠なども実際作れば機能しそうなほど物理的に理が通っています。
新首代引受人で落とし穴に落ちて上から石を落として石埋めにされるシーンがあるのですが、その石が一個ずつ縄で一定の間隔に数珠繋ぎになっているのですね。
一つ落とすと、重力で引っ張られて、別の石が落ちる、そうすると引く力が落ちた石の分だけ強くなり連鎖的に全ての石が一つの石を落とす手間で全部穴の中へという仕掛けです。
気がつくとなんと言うことはないのですが、やけに感心して自分が落とし穴を作る場合はそうしようと思った記憶があります。
通常の作品だと瓦礫がガーッと落ちてくるという記号的な表現なのですが、そのあたり平田作品には物理に支えられたリアリティがあるのですね。
お宅拝見記でその辺の疑問が氷解しました。
義士伝など、どういうきっかけでどんな歴史資料を使ってああいう物語を作られるのかというところも取材して書いていただくとありがたいです。
投稿: ぼぼぶらじる | 2005/06/23 18:47