伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(2)
さて、伊藤剛の「つまらなくなった言説批判」であるが、伊藤がどこまで意識したかは知らないが、かなりの部分私(竹熊)にも当てはまる耳の痛い批判にもなっている。というのは、そもそも私が相原コージと『サルでも描けるまんが教室』(復刊計画が進行中。続報は後日!)を始めた最大の動機が、まさに「最近のマンガはつまらなくなった」という実感にもとづいているからなのだ。
そこでマンガの「様式」をパロディ化することで、この際一度、徹底的にマンガを解体してしまおう、というのが私と相原の共通認識であった。当時進行しつつあった商業主義的マンガ状況に対し、相当の悪意を持って始めた連載だったのである(しかもそれをスピリッツという「100万部の商業雑誌」で描いたところがミソ。よくあんな不届きな連載をさせてくれたものだと、編集部には感謝している)。ちょうど手塚治虫が死した8ヶ月後に『サルまん』の連載を開始したという事実も、偶然とはいえ、今となっては感慨深いものがある。
断っておくが、べつに私は「手塚が死んだ」から「マンガはつまらなくなった」と考えていたわけではない。ただ「ストーリーマンガ」が、総体として、80年代に入ったあたりから急激に「つまらなくなった」と感じていたことはまぎれもない事実である。具体的にはある時期から『少年ジャンプ』が読めなくなったことが大きい。
『ドラゴンボール』が天下一武闘会をはじめたあたりで、世間の人気とは裏腹に、私は作品に対する興味を失っていった。こういう試合試合で引っ張っていく作劇は、遠くは『アストロ球団』に始まり『リングにかけろ!』で完成したジャンプ・スタイルである。『アストロ』は今でも好きな作品だし、『リンかけ』まではまだシャレとして楽しめたのだが、アンケート主義とあいまって、あらゆる連載が毎回試合を行うことで「強いやつのインフレ現象」を示すに及んで、私ははっきりついて行けないものを感じた。それはもはや、少なくとも私の考えるストーリーとは呼べないからである。
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