コミックマヴォVol.5

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2006/05/03

「団塊パンチ」と赤田祐一(2)

Amazon.co.jp:団塊パンチ 1 (1): 本

太田で「QJ」立ち上げて、あそこの会社のサブカル路線の基礎を作るんだけども、身体をこわして「QJ」の編集長やめるんですよ。で、身体こわした体験から、今度は「健康雑誌」の企画を立てるわけです。これもあまりにも直球で、本人には悪いけど笑いました。でも企画が通らないので、そのかわりに『バトルロワイヤル』という、どこの版元も出したがらなかったもの凄い小説を見つけて、出した。これがまた大ベストセラーで、映画化もされて。

当然太田としては、「バトロワみたいなのをまた作れ」って言うじゃないですか。それで赤田くん、また辞表を書くハメになってしまった。はたから見ていると、彼の人生はこれの繰り返しなんです。

よく再就職できると思うけれども、彼くらいの才能と実績があれば、声をかける版元はありますよ。で、その後いろいろあって、今は古巣の飛鳥新社に戻っているわけですが。

とにかく、まあその、赤田祐一という編集者は、身体はサラリーマンでも、心はフリーランスなのだから、好きにやらせるのが一番なんですよ。そしたらまたポッとベストセラー出すでしょうよ。そういう人なんだから。まあ、会社的には他の社員の手前、特別扱いするわけにはいかないのだろうけど。いっそ赤田くん、自分で会社作ればいいと思うわけですが、経営となるとまた別の話になるしね。ライターと違って編集者は、会社というバックボーンがないと企画が通せないし。まあ、なかなか難儀な人生であります。

話が大幅に逸れましたが、「団塊パンチ」なんですけどね。俺から見て、売れるかどうかはまったくわからない(赤田くん、申し訳ない)。話題にはなると思うし、現になっているけども。狙い目は面白いから、そこそこ行くかもしれないけど、「熟年世代のQJ」になるかというと、今のところはなんともいえない。

問題は、赤田くんはまだ43歳で、「団塊パンチ」で取り上げられている「60年代」は、あくまで20歳も下の世代である赤田祐一の頭の中の60年代であるということ。これが、当の団塊の世代に受け入れられるかどうかが勝負の分かれ目になるのでしょう。

たとえば俺自身のことをいえば、20代の若い人から「憧れの80年代」の話を聞くと、彼らがどんなに80年代に詳しくとも、違和感が生じることは事実としてある。要するに、その時代に生きていた人間と、そのときには幼すぎたり生まれていなかった人間の「空気」の違いであって、これはもう、どうしようもないところなんだけど。

とはいえ、

赤田祐一マガジンとして「団塊パンチ」を読めば、こんなに面白い雑誌はない。

もちろんこれは特殊な読み方であるし、赤田くん的には必ずしも本意ではないかもしれないですが。

まだ細かいコラムまで全部読んでませんが(なにしろ異常にボリュームがあるので)「団塊パンチ」で面白かったのは、「未来は後方にあり」というこの本全体の編集方針と、巻頭の座談会で征木高司さんが発した「出所する」という言い方。つまり、団塊世代が学校を出てから、会社や家庭や子供の教育や家のローンやらでヒイヒイ言っていた、人生の短くない時期を「監獄」に見立てて、定年とはそこから「出所すること」だという。これは、あの世代の「実感」なのかもしれないと思って面白かった。

「過去は前方にあり、未来は後方にあり」

というのは、赤田くんも尊敬する森永博志さんの言葉だけど、これはまさしくその通りだと思う。だいたい、時代の変わり目とか、新しいことが始まる時期というのは、必ずルネサンスの形をとるのは歴史が教える事実でありまして。

たとえば俺はいま、こうしてブログを書いてインターネットで配信しているわけだけれども、これってミニコミを作っていた10代の頃、「いつかこういうメディアを持ちたい」と夢想していたことがそのまま実現しているわけなんだよね。ほとんどタダで自分のメディアが持てて、全国に自分の記事が配信できるなんてのは、ちょっと前までは夢物語だった。これなんて、まさに「過去は前方にあり、未来は後方にあり」だと思う。

結局、赤田くんのつくりたい雑誌とは、年齢には関係なく、「あらゆる世代の青年に向けて」作られたそれなのだと思うわけです。その意味では、「団塊パンチ」は、実は団塊世代のオジサン以上に、20代の若者が読んでもおかしくない造りになっている。それが商売としての雑誌にとって、いいことのなのか悪いことなのかわかりませんが、赤田マガジンとしては、まったくこれで正しいのであります。

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コメント

ポパイのインタビューはすぐ買いましたが、
今回の本どうなんでしょう?

昨日、店頭でパラパラやったんですが、
買わなかったんですよ。
赤田本だったと気がつかない程度の
パラパラで、批評も何も出来ませんが。

投稿: 長谷邦夫 | 2006/05/03 12:23

いやまあ、基本的には何も変わってないと思いますけどね。しかし、誰に向けてこの本を作っているのだろう? というところでは確かに疑問がありましたが。明らかに「赤田祐一」に向けて作っているので、それがこの本のいいところでもあり、欠点かなとは思います。

投稿: たけくま | 2006/05/03 12:28

「過去は前方にあり、未来は後方にあり」って、アボリジニかどこだかの定説だと記憶してました。
人間は過去を見ながら、ひたすら後ろ向きにひたすら歩きつづけるわけですが、過去は遠ざかるにつれてぼやけるし、周りの地形からある程度の未来は予測できると。とはいえ、後ろ向きに歩いてるわけですから、この先に自分が嵌る程度の穴があれば、そこで自分の人生はおしまいなんですよ!
あれからいろんな比喩や例えを耳にしましたが、これ以上に説得力のある人生訓は耳にしたことがありません。

投稿: どっこい | 2006/05/03 22:19

過去はいつでもあたらしく
未来は不思議になつかしい・・・

投稿: ぺけ | 2006/05/04 06:25

確か「平凡パンチ」って
「平凡さ、平凡な時代にパンチ」っていう意味だったと思うんですが、
「団塊パンチ」だと
「団塊さ、団塊な時代にパンチ」と意味になってしまうのでは?

頑張れ!金魚糞世代。

「過去(70年代全共闘時代)は(金魚糞世代にとって)前方にあり、(金魚糞世代の理想とする)未来は後方(過去になってしまった70年代全共闘文化)にあり」

「アッラーのほかに神は無し」的なロジックですね。

「団塊アクバル」って雑誌名の方がぐっとくるなあ。

投稿: ぼぼ | 2006/05/04 07:52

>「平凡パンチ」
マンガを描いてほしいということで
編集部に呼ばれたとき、ウチは
今、人気の劇画とか、永島慎二は
要らないんだ。
「君の作品は、ちょっと変わっている
から頼んだ」と、言われました。
『東海道戦争』(筒井康隆)を
8ページで描けという注文でした。

「ぼくは、それを250ページで
描いているところなんで、お断り
します」
カッコイイ~パンチより、ぼくは
ヘンなやつだった。
歳月茫々…。

投稿: 長谷邦夫 | 2006/05/04 11:56

団塊パンチ…。なんだか、ものすごいインパクトがあるタイトルですね。
本来の団塊の世代の人はストレートに団塊と呼ばれることに抵抗は無いんでしょうか?
そういえば、この前山科けいすけ先生がビックコミックで団塊の世代のことを、新入社員に「あ、かたまりの人」と呼ばせていて、笑ってしまいました。
ちょうど今から外出するので、書店によることが出来たら探して見ます。

投稿: 永田電磁郎 | 2006/05/05 12:24

>長谷先生

ちょっと変わったSF戦記物だから、ちょっとページを与えて、ちょっと変わった長谷にでも描かせようって企画ですかね。
安易な編集者ですね。それが当時は「カッコよかった」のでしょうか。
8Pは少な過ぎます。
いやしくもパンチを名乗るならポンチ絵には多少敬意を払うべきかと。

ところで、長谷先生の「東海道戦争」、手に入りにくいんですが、
ebookかどこかで電子出版で出せませんでしょうか?
「空中血戦記」と「蜘蛛の城」はでてるんですが。

しかし、ファッションや漫画を除いてテキストベースの雑誌自体は本当に買わなくなりましたね。

>永田さん
C級サラリーマン講座は仕事部屋に全巻ならんでたり。ww
あれは小さいのにハードカバーなんですね。

投稿: ぼぼ | 2006/05/07 22:47

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