「団塊パンチ」と赤田祐一(1)
ちょっと遅れましたが、友人の赤田祐一くんが責任編集をした「団塊パンチ」が発売されているのでご紹介します。
赤田くんは「クイック・ジャパン」の創刊編集長であり、元祖謎本『磯野家の謎』、そして『バトルロワイヤル』という2冊の大ベストセラーを企画した鬼才編集者。彼については以前、この「たけくまメモ」でも「共犯者としての編集者」というエントリで紹介したことがあります。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_2.html
それで「団塊パンチ」ですが、今回、俺はまったく関わってないので客観的に接しましたけれども、まずタイトルの直球ぶりに笑ってしまった。団塊パンチ。ちょうど団塊の世代の青春を象徴するのが、60年代創刊の「平凡パンチ」で、これがその後「ポパイ」「ブルータス」と続く若者向けライフスタイル・マガジンの基礎になるわけですね。それを読んでた世代が定年を前に、新たなライフスタイルを模索し始める時期が、ちょうど今でしょう。
団塊の世代と言えば、戦後のサブカルチャーを最初に享受した世代であって、いわば「若者」を象徴する言葉だったわけですよ。それがサラリーマンを象徴する言葉になり、いまや「定年」を象徴する言葉になりつつある。そこに「パンチ」ですから、「青春」と「老い」が共存する、なんとも複雑な意味を内包したタイトルであります。
編集後記によれば、このタイトルを考えたのは赤田くんではなく、白夜書房の末井昭さんだとか。かつて荒木経惟とともに「写真時代」をヒットさせて、今はパチンコ雑誌の重鎮になっている人。あの人ももろに団塊世代のはずだけど、なるほど、いかにも末井さんらしい韜晦的ユーモアが感じられます。
◆
で、中身なんですが、これがもう、笑ってしまうくらい赤田祐一なんですよ。企画から、著者の人選に至るまで、初期「クイック・ジャパン」と変わらない赤田テイストで貫かれている。「赤田くん、懲りないな(笑)」というのが最初の俺の感想でした。
ちょうど今、各出版社ではいろんな企業とつるんで、「団塊向け」ライフスタイル提案企画を続々と立てているわけですね。2007年から彼らの定年がはじまるというので、まあ、いうならば退職金めあて。定年後は山梨にログハウス建てて、庭でハーブ栽培しながらソバでも打ちませんか、とかですね。夫婦で豪華客船で世界一周しましょう、自分へのご褒美、みたいな。金を落とさせる企画ばっかり。
で、赤田くんとしては、そういった部分にはまったく興味がない。
長年つきあっていて思うのは、彼、本当に商売っ気のない編集者なんだよね。「いや、ちゃんと考えてますよ」と彼は言うだろうけども。でも発想の順番として、「自分の興味」や「やりたいこと」が一番で、その後に商売がくる。「やりたいこと」ができなかったら、平気で会社に辞表書く人ですからね。要するに限りなく作家に近い編集者、俺の言う「編集家」なんですよ。
そういう人が、『磯野家の謎』や『バトルロワイヤル』みたいな、100万部超えのベストセラーを2冊も出しているから、世の中面白いわけですが。100万部越えなんて、まず普通の編集者にとっては一生に一度も経験できないと思いますよ。2冊とも、著者は別にいるわけだけども、赤田くんがいなかったら世に出なかったことは間違いない。ところが彼としては、別にベストセラーを狙ったわけではなくて、自分にとって面白いものを出したら、たまたまそれがベストセラーになっただけ。
実際、この二つはそれぞれ彼が別の会社にいたときに出しているんだけど、ベストセラーを出した直後に、いずれも赤田くんは会社を辞めている。なぜかといえば、会社が「同じこと」を要求してくるからですよ。「また、磯野家みたいなベストセラー出してくれ」と。会社としてそう思うのは当然だけど、赤田祐一としては、同じ事やるのは面白くない。それで、自分が本当にやりたいと思う企画を出すわけですよ。
たとえば磯野家を出したあと、彼は「QJ」の企画を出したんだけど、とても売れそうにないから、会社(飛鳥新社)としては「そんなのはやめて、また謎本出してくれ」と。彼は、仕方なく第二弾は出したけど、三冊目は作らなかった。それで辞表を書いて、太田出版に移籍してしまいました。
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コメント
>磯野家で
飛鳥新社は13億円くらいでしょうか
お金が出来た。税金を取られたくなくて
「日刊アスカ」を刊行。(一応別会社)
ぼくは、この編集部マンガ班に1年、
月給を貰って在籍。
創刊6ケ月で10億が消えた~と
社長がいってましたね。
赤田さんのおかげで、遊ばせて
もらったことになります。
30億でも、日刊は不足でしょうが
そのくらいの赤字覚悟で3年刊行
できたら、ちょっとしたコミックペーパーが
出来たかも。
とにかく、あまりにも人材が弱体でしたね。
投稿: 長谷邦夫 | 2006/05/03 12:18
日刊新聞のたちあげには、最低50億はかかると聞いたことがあります。『日刊アスカ』は、たしかに無謀だなあと思って見ていました。
長谷先生は、本当にご苦労さまでしたが(笑)。
投稿: たけくま | 2006/05/03 12:30
飛鳥新社は『磯野家の謎』で暴走しちゃいましたが、
太田出版は『完全自殺マニュアル』や『バトルロワイアル』の大ヒットが
あっても特に暴走はしませんでしたね。
さほど儲かっていないであろう思想書の刊行にお金を回したんですかね?
赤田氏の飛鳥新社復帰後の仕事では、ダディ・グース『少年レボリューション』には
狂気を感じました。
帯やカバーに一言もダディ・グースの本名を入れていないというのも男らしすぎます。
おそらくこの企画を通せる編集者は日本で赤田氏くらいなものだと思います。
投稿: 原 | 2006/05/03 14:31
↑確かに。しかし「少年レボリューション」、売れなかっただろうな……。
投稿: たけくま | 2006/05/03 14:54
>レボリューション
彼なんですか。買いましたが…。
ホント、売れそうになく積み上がって
いました。
「日刊アスカ」~ちょうどフジオプロへ
行かなくなったあとでした。
それに、サンデーで「シェー」ブームを
作った関根進氏が編集主幹で
声を掛けてきたので行ってみたんです。
ところが、同氏が出て来なくなっちゃった。
何があったのか不明なんですが、
彼はガンになっていたらしい。
現在、どうされているのか?
ポスト誌を伸ばした立役者でしたが…。
投稿: 長谷邦夫 | 2006/05/03 19:26
> 長谷邦夫 様
>それに、サンデーで「シェー」ブームを作った関根進氏
(勉強不足ですみませんが)ガン&関根というと、この方でしょうか?
http://www.9393.co.jp/naorugan/index.html
投稿: shi-ta | 2006/05/08 19:24