【レジュメ】朝カル「ブログ論」(1)
※この土曜日に行う朝日カルチャーセンターで使用するレジュメです。参加希望者は下記URL参照のこと。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_9f5d.html
■パーソナル=マスメディアとしてのBlog
※於・朝日カルチャーセンター新宿校(6月3日)
◆出版の耐えられない「遅さ」
●ミニコミからマスコミへ
▲80年代初頭のミニコミブームについて
→「自分メディア」の希求。70年代末から80年代初頭にかけて、大学生を中心に全国的なミニコミブームが起きた(コミケとは別の現象)。
→ブームはやがて終息したが、当時の有名ミニコミ編集・執筆者の多くがマスコミ進出を果たす(例。田中康夫・神足裕治・えのきどいちろう・中森明夫・いとうせいこう、等)。彼らはやがて80年代以降のカルチャーの担い手となっていく。
→竹熊は、1978年、高校2年時にミニコミ「摩天楼」を創刊。200部ほどのものだったが、編集・執筆を通じて、メディア作りの面白さに目覚めた。
▲ミニコミ者から見たインターネットの画期性
→ミニコミ最大の弱点であり、マスコミとの最大の違いは「流通」にある。
→コミケは、なぜ発展したのか? 理由は「流通」を押さえたこと。表現の場所に、読者がわざわざ買いにくる独自の市場造りに成功した。
→インターネットの出現で、「流通」問題があっさり解消された。
→ネットの欠点は、ビジネスモデルが立てづらいこと。しかしそもそもの制作原価がタダに近いので、表現&自己宣伝ツールとしてやる意味は多いにある。
●出版はなぜ「遅い」のか?
▲版元・取次の問題
→ネット時代になって露呈した出版の「遅さ」。表現から読者までの間に、中間介在者(版元・印刷・製本・取次・書店)が多すぎる。
→通常、入稿から発売まで最低2週間かかる。ネットなら、タイムラグがゼロ。
▲編集者の問題
→編集を介して読者とコミュニケートするもどかしさ
→「息の合う編集」はライターにとっての財産であるが、社員には異動がある。
→ビジネスと表現の狭間で、編集者にも悩みがある。
▲他人の軒先で商売するライターの「限界」
→執筆者は自由にものを書く権利があるが、編集者にはボツにする権利がある。
→すべてを個人でコントロールするには、編集と執筆を兼ねるしかない。それが可能となるのがインターネットの利点。しかし、これには矛盾もある。
▲編集と執筆を兼ねることの矛盾
→作家は作品を創り、編集はメディアを造る。
→作家に必要なものは主観であり、編集に必要なものは客観性である。主観と客観の役割を分離できることが、分業のメリット。
→直接読者と対峙する際、客観性のない表現は危険。
→したがって個人メディア製作者は、第一に編集者としての才能(客観性)が必要となる。
▲「遅さ」によるメリットもある
→「速さ」を売りにする限り、新聞・雑誌はネットの前に破れる運命にある。
→「遅さ」を売りにする書籍は、生き残る。
→署名確実性(発行責任)がある書籍には、「ソース」としての価値が発生する。
→紙メディアの「しぶとさ」。一度紙に印刷され、世に出た表現物は、半永久的にこの世に残り、改変もきかない。ゆえに「引用元(ソース)」になりうる。
→デジタルデータは、一般に改変が聞きやすく、匿名性が高い傾向にある。引用しようにも、元データがネットから消滅する可能性もある。これでは、長期的な展望にたった言論は存在しずらい。言論の確実性において、書籍以上のメディアはない。
→将来的には、ネットと書籍(単行本)は共存関係になるはずである。
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