米澤嘉博氏、逝去
既に報道でご存じの人も多いと思いますが、マンガ評論家で、コミックマーケット代表であった米澤嘉博さんが亡くなられました。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1001/001.html
特別、親しい間柄というわけではありませんでしたが、何度も仕事でご一緒したことがあり、今回の訃報はショックです。多彩な仕事をされていたので、彼の活動の全貌が発掘され、真の評価がまとまるまでには、少し時間がかかるかもしれません。
コミケが始まったのが1975年、米澤さんがコミケの主催者になったのは80年ですが、現在のコミケがここまでの規模になったのは、なんと言っても米澤さんの力でしょう。
以前俺は2ちゃんねるの西村博之氏に会ったとき、なんとなく米澤さんに感じが似ているなと思ったことがあります。顔も世代もやってることも違うのだけど、世の中に対する柳に風的な態度というか、飄々とした感じに共通点があると思ったのです。
米澤さん以前・以後のコミケも、あめぞうと2ちゃんくらいの変化があったのではないでしょうか。ああいう巨大なシステムを維持運営する資質とは何か? について、いつか文章にしてみたいと思っていたところに、この訃報です。残念でなりません。
マンガ評論家としての米澤さんは、とにかく資料の鬼でした。たしか、個人的なマンガコレクションだけで、マンションを3つ潰した(倉庫になって住めなくなった)と、10年以上前に本人から聞いたことがあります。あれからどうなっていたのか、ついに聞きそびれましたが。
願わくば、一足先に旅立った岩田さんと、好きなマンガに囲まれて暮らしてくださいますように。合掌。
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コメント
>西村博之氏に会ったとき、なんとなく米沢さんに感じが似ているなと思ったことがあります。
どんな内容も許容する場所をつくりあげる人には逆風を受け止めるより、
受け流すような図太さがそなわっているんでしょうか…
投稿: yu | 2006/10/01 21:08
コミケの運営団体より退任されたという話は耳にしていたのですが、亡くなられたというのは今知りました。
良くも悪くも大きいものを残された方だと思います。
投稿: Aa | 2006/10/01 21:51
この記事で知りました。
ネット上の報道はまだ少ないようですね。
一応ソースを張っておきます。
マンガ評論家の米沢嘉博さん死去 コミケ代表長く務める
2006年10月01日18時48分
http://www.asahi.com/obituaries/update/1001/001.html
なんかショックです。
最近はコミケもご無沙汰しているんですけどね・・・・。
ご冥福をお祈りします。
投稿: hiro4 | 2006/10/01 22:16
あれ、竹熊さんの記事にリンクが貼って有る。
なんで気づかなかったんだろう・・・・orz
皆さんすみませんでした。
投稿: hiro4 | 2006/10/01 22:17
↑いや、ソースがなかったと思って、さっき貼ったのです。コミケ公式サイトにも通夜と告別式案内がありましたが、アクセス殺到らしく激重です。
http://www.comiket.co.jp/info-c/C71/061001.html
たぶん明け方まで繋がらないかも。
投稿: たけくま | 2006/10/01 22:22
昔下北沢の漫画喫茶でカムイ伝を読まれていたところ
を発見。シーンの衝撃が面白いように顔に出るので
「アレは鉛を飲んだシーンだろうな」とか想像できま
した。あとでその話をしたところ笑って「そんな顔
見てるんじゃない!」と。カムイ伝は自宅にあるが
どこにあるのか解らなくなったと笑っておられました。
もうあの笑顔を見る事も出来なくなったのですね。
悲しいですね。
投稿: とおりすがり | 2006/10/01 22:34
●詩人で最近俳句を読む清水昶氏のサイトに
書いたものを貼り付けます。
↓
●今朝がた、コミケット準備委員会代
表の米澤嘉博さんが肺ガンで死去された。
31年前、マンガ研究同人誌の交換会を始めて、それをマンガ同人誌の巨大交換会へと
発展させた。
今年、夏コミは44万人以上が集まった。
★この文化現象は、世界に類例の無いもので、
マンガ史でも今後本格的な研究整理がなされねばならない。
その成果がはっきりした時、日本のマンガ史も正確なものに近ずくと思われます。
●彼は、アメリカの60~70年代ころの通俗雑誌の研究や日本の発禁本の研究(平凡出版)などもあり、SFにも詳しい。SFを知らなければ、コミケという発想は生まれなかったというのがぼくの考え方です。
★53歳の死。これはあまりにも若すぎる!
昶さん、ぼくらはあまりたいしたことが出来ぬまま、大いに長生きしてるんですね。
いや、だから長生きなのか。永島慎二がかつて
「こうなったら長谷さん、長生きするしかなよ」
と言って(死んでしまいましたが)ことが、またまた思い出されます。
こうなりゃ、やっぱり10万句達成やらねばダメですぜ。
おいらは何やるべきかねえ。恥じカキ10万回か~。
●米澤さんのご冥福をお祈りします。
↑通夜・告別式の6日7日、参列したいのだが、
小生の小学校の恩師が94歳になられ、体調が
弱ったので、上京し、翌日クラス会を開くと
先生の方からお知らせがあった。
そのため行くことが出来ません。
今、お詫びのお手紙を書いていました。
マンガ学会でもずいぶんご一緒したものです。
残念でなりません。
投稿: 長谷邦夫 | 2006/10/01 22:49
>補足
たけくまサン。倉庫を建てるため千葉に
土地を買われたという話しを聞いています。
建物が出来ているのか?不明ですが。
同人誌収納・整理、もう始まっていたのかも。
投稿: 長谷邦夫 | 2006/10/01 22:52
>長谷先生
同人誌の管理については個人の蔵書とは別に、もうだいぶ前からコミケット準備会名義で千葉県旭市に大きな倉庫を借りているはずです。コミケ第一回からの同人誌が「基本的に全部」収められているそうで、数があまりに膨大なため、キチンとした整理はまだなされてないとか。
投稿: たけくま | 2006/10/01 22:59
米沢さんはエロマンガの歴史を俯瞰するエッセイを連載されていましたが、完結したのでしょうか?
あのエッセイ単行本になったら面白いと思うんですが・・・
投稿: | 2006/10/02 01:44
米沢さんに会ったのは二回。
一回目はTokon4の合宿、オークションの部屋で、「劇画アリス」を競り落とした記念に「阿島俊」名義でサインをもらった時。
二回目は94年頃のコミケ。
俺は晴海の会場の警備員のバイトで、通りすがりの米沢さんにガードマン服を着て挨拶した。
「昔、吾妻さんの同人誌作ってました。」
あきらかに、あやしいガードマンの相手をしてくれました。
ご冥福をお祈りします。
西村氏に似てるというのは、激しく同意します。
投稿: イチロウ | 2006/10/02 01:53
私のところは両側に接点があったんで、
西村さんと対談してもらおうという話も何度か出てたんですけど、スケジューリングの問題があって実現はしませんでしたね。
残念です。
投稿: 某 | 2006/10/02 04:20
文化庁メディア芸術祭漫画部門の審査員の一人だったと思うんだけど、影響出るでしょうね。
投稿: noname | 2006/10/02 04:26
米澤氏のご冥福をお祈りします。願わくば彼の集めた資料が散逸することなく、しかるべき財団などの手によって、米澤記念館などの形で、彼の業績とともに、広く一般に展示・開放されることを望みます。マンガ評論の土台を築いた人として評価は不変でしょう。
投稿: Father U | 2006/10/02 06:17
「コミケの原点はSF大会である」
という話を今年の2月に
当の米沢さんから聞いたばかりでした。
先日の竹熊さんへのインタビューで
70年代はマンガもSFも音楽も演劇も
混在していた、というコメントをお聞きして
米沢さんのお話をもう少し
きちんとした形で聞かないとまずいな
と思っていた矢先でした。
投稿: アセチレン・ランプ | 2006/10/02 13:52
>ランプさん。
ぼくの大学での講義は、間違っていません
でしたね。
米澤さんとは、もっとSF昔話しをしたかった。
ほんと70年代のことを書こうとすると、
自分が行けなかったところに、若い米澤さんが
居たんではと思ったりするんです。
その辺をお聞きしたかったですね。
投稿: 長谷邦夫 | 2006/10/02 18:31
退任発表の時点で肺ガンだろうなとは思っていたのですが、こんなに早く逝かれるとは思いませんでした。残念です。イベントで何度もお顔を拝見しましたが、数年前のSF大会で楽しそうにコミケ昔話をしてらっしゃったのが特に印象に残っています。僕はそのとき、タダ酒で潰れてすぐに寝てしまったのですが、ちゃんと聞いておけば良かったな。
投稿: ポン一 | 2006/10/02 23:09
記事検索で来ました。
本当に驚きでした。
そして、早すぎる死。
ご冥福お祈りします。
投稿: 通りすがり | 2006/10/03 18:41
数十年前にOUTに載っていた米澤さんの似顔絵と、その横に添えられていた「米やん」の文字。
あの頃から、今まで,同人誌のお兄さんというイメージは変わってないのですが、こんな形で訃報を読むことになろうとは思いませんでした。53才とは…若すぎます。
週末にほとんどネットにつながなかったのが悔やまれます。
投稿: 永田電磁郎 | 2006/10/03 22:46
早稲田の『現代マンガ図書館』様の方でも
資料の確保場所問題はいずれ出るでしょうが
何とかなると願うばかりです。
こういう方々が、100年後の人のチカラと
なるのでしょう。
別世界ですでに活動を始めてると個人的に信じてます。
投稿: 羊崎文移 | 2006/10/13 14:02