コミックマヴォVol.5

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2006/11/24

大泉さんとオタク対談2

の2回目が、更新されてました。

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
↑連載としては4回目にあたります。

前回俺が話した「オタク密教」についての続きです。内容は、10年前から折りに触れて話してきたことで、ここらで「先に進みたい」思いも個人的にはあるんですが、ここのところ改めて「オタクについて語ってくれ」という依頼が多いです。ただ、俺は自分の世代(第一世代)について語ることがせいぜいなので、第二世代・第三世代については正直、よくわかりません。ともあれ、ここで語っているオタク論は、これまであまり語られなかった領域の話ではないか、とは思います。

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コメント

>『エヴァ』で庵野さんが、創作者の立場からオタク批判をぶった時に、激烈な反発をかったのはそのせいですよ

なんか違うと思う。

投稿: Aa | 2006/11/24 13:12

「顕教/密教」とはそういう事でしたか。
宗教用語になぞらえて言えば、
現在、問題になり始めているのは、

「国家宗教」になったオタク世界

でありましょう。

オタク文化が、いかなるプラットホーム(つまりマンガ雑誌→TVアニメ→同人系商品→PC→ネット、等送り手側のハードの事ですが)に依拠して産業化されてきたか、
また、制度側は如何にして、少なくともバブル期にはカルト宗教として弾圧されたオタク教を、国教化するまでに至ったか。

考えるべき事は山とあるかと思います。

投稿: めたろう | 2006/11/24 13:17

この話題はボクはあまり詳しくないのですが、なかなか興味深いものを含んでいると思うのですが、残念ながらあまり盛り上がらないんですよねいつも

投稿: たにしんいち | 2006/11/24 16:32

この対談はさっき初めて読んだ。竹熊さん自分が分析されるのはイヤなんですか!? これはものすごい意外だったわ。しかし他のもの分析しまくりじゃないですか。自分がされるのはイヤという気持ちが1人の中で両立してること自体が注目すべき現象のように思えるが。

投稿: サエズリ・コトリ | 2006/11/24 16:46

竹熊先生、こんにちわ。
いつも、ブログの方は大変楽しく拝見しております。

今月号の「サピオ」に掲載された「ゴーマニズム宣言」で今回は再販制度の問題を取り上げています。

小林よしのり氏は「再販制度は現在漫画家にとって必要不可欠なものであり、それを撤廃し、低下価格化することは、漫画文化の死滅を意味する」などと現行の再販制度の維持を訴え、それに異議を唱える人間やブックオフなどを激しく非難しています。

その点については私もどうかと思いますが、ふと考えてみたのは、再販制度が本当に漫画家にとってプラスになっているのかということです。小林よしのり氏は本が単行本の売れ具合で収入を得ている人間にとっては価格の低下は人件費、コストの面で致命的になるということを主張しています。わたしもそれにはある程度納得できるし、仮に再販制度がなくなったとしてもまた新たな問題が発生するのではないか
とも思っています。

そこで是非、先生は以前、漫画家の収入についての本を書き、竹熊先生に、今回の「ゴーマニズム宣言」を読んでいただき、小林氏の主張と再販制度の意義について、コメントをお願いしたいのです。

大変ご多忙かと存じますが、再販制度についてよりよい理解につながるかと思いますので、是非、お願いいたします。

投稿: ネスカフェ | 2006/11/24 19:14

ごめんなさい、ごめんなさい。
ビンボーなんです。
今日もブックオフで定価780~1000円くらいのちょっと古いムック本を
105円で3冊買ってきたばかりなんです。
日焼けもないしカラーページがキレイで105円。
ありがたや、ありがたやなんです。

投稿: にょろ | 2006/11/24 19:54

『ガイナックス・インタビューズ』を読むとわかりますが、
竹熊さんの説は正しいと思いました。
ガイナックスの上層部、とりわけ山賀さんはオタク密教な人ですね。
また、摩砂雪さんも「アニメ美少女」の魅力がわからない、という人でありながら、
スキルだけで劇場版「DEATH」の綾波の笑顔を描けてしまう。
また、キャラクターを愛しているのなら、いわゆる低クオリティーの関連商品を
大量に発売する(とりわけゲーム)「ガイナ商法」もやらないでしょうね。

また、宮台真司氏の、オタク世代も新人類世代も
リーダー層は「あえて」「ネタ」の諧謔で趣味に接していたのに、
フォロワー層は「マジ」で「ベタ」だった、という説とも
リンクしますね。

投稿: 原 | 2006/11/24 20:16

オモシロイですね対談。

QJの山賀博之氏対談も読んでます。

氏は後に「まほろまてぃっく」を監督するわけですけど、この作品の原作は第2~第3世代に(ほぼ自覚的に)商売をするという性格のもので、山賀監督がどういう心の整理(笑)をして作ったのかすごい興味ありますね。

投稿: nonbug | 2006/11/24 20:31

凄く興味深く読ませていただきました。
自分はいわゆる第三世代で、現役のオタクと自覚していますが、
最近のオタクは子供の頃からずっとアニメを見てそのままオタクになったのではなく、
何かショックを受けるような作品を見て一気に階段を駆け上がるような入りかたが多いのではないでしょうか。
自分もそうだったのですが、オタクでない友人にガンダムだのエヴァだのを紹介すると一様に皆顕教的な振る舞いを見せます。
そして見る目が肥えてくると今度は密教的な振る舞いに変わります。
だから自分たちの世代は入り方が顕教的だっただけに、その時のショックは忘れられない。
でも世間の流れとしては密教的な事の一つも言えないと分かってないと思われる。
なので顕教と密教の入り混じった新世代のオタクが発生するのではないでしょうか。

投稿: TKM | 2006/11/24 21:24

密教系顕教系の概念は、オタクという言葉が無かった頃の「マニア」と「フリーク」のニュアンスに近いと思いました。
ちなみに私は、周りでオタクだろとか言うのに対して、
「俺はまんがマニアだ!間違えるな。」
とか言ってました。
多分密教系ですね。

投稿: エイジロー | 2006/11/24 22:54

タイトル見て率直に思ったこととして、「まだこんなことをあーだーこうだ言いたがる人がいたのか!」と思ってしまいました(笑)。わたし的には自分や他人がオタクか否かなんてどーでもいいです。例えばアニメオタクかどうかとかで、私個人のその人に対する人格の好き嫌いってことですら全然確定しませんしー。

というわけでネタで読ませて頂きましたが、竹熊さんが提唱される密教系顕教系っていう分類分けはなるほどと思いました。ちなみに私はここでは第三世代の新人類系に分類されるようです。

ただ私は、可愛い萌え絵を見て素直にこういうのもいいかもと思えない人(密教系の人?)はあんまり好きじゃないです。まあそれを黙ってるならいいんですが、要するにただの捻くれ者のくせに素直に可愛いと思う人をバカにするとなると「あまり好きじゃない」が「人格的に嫌い」になりますね。ホントは内心そういうのも割と好きなくせに嘘付け!って感じで(笑)。で、そういう類の人が嫌いだから、最近は「わざと」割とオタク顕教的に振舞ってみたりしてます。と言うか、ごく素直に観れば、最近の作品でもおもしろくて萌えもあるのもアニメでも漫画でもたくさんありますよ!まあ大して萌えなくてつまらんのもたくさんあるでしょうけど(笑)。

>密教的な「萌えって気持ち悪いよね。でも気持ちの悪いことをあえてやるのが面白いんだよね」

あと、この部分で変だなーと思うこととして、「萌えって気持ち悪い」ってどういう感覚なんですか?や、そもそも言葉の意味が判らないというか…。綺麗に描かれた萌え絵見るのって、基本的に快楽があることだと思うんですけど(笑)。「萌えって(萌える人達が)気持ち悪いよね」っていう意味なんですかね?確かに、上の世代の方のこういう言葉の意味が感覚的に解らないのでイライラしますね。

それから、「萌えなんて簡単に作れる」っていうことが論旨の前提になってるニュアンスがそこはかとなく感じられた気がしましたが、今の時代でユーザーからガッツリ支持される萌えを作るのって、ものすごく大変なはずですよ!絵のレベルとかも同人でも商業でも数年前とは総合的に格段に上がってますし、そういうユーザーをバカにした態度で作った、本気でやってない(作り込んでない)萌えなんて絶対に大して支持なんかされません。そういうのってユーザーに敏感に察せられますし、そこまで記号だけで人を虜に出来るなんて到底思えません。

投稿: うどん粉 | 2006/11/25 00:35

> 「萌えって気持ち悪い」ってどういう感覚

有名な萌えの定義に、「"萌え"とは対象への到達不可能性による絶望が予め自らの内に含まれた渇望である」というのがあります。
つまり、「気持ち悪い」という感覚は、「対象が目の前に実在しないことが分かっているにもかかわらず、性衝動を持ってしまう」、その実現の不可能性、虚無性、ナルシシズム、等もろもろを含めて「気持ち悪い」と言っているんではないでしょうか。

投稿: sakumo | 2006/11/25 00:54

ラムちゃんは良いですよ。

投稿: 門弟廃村 | 2006/11/25 01:25

密教の人が顕教の人を理解出来ないのは分かりますが、
何故、密教の人は顕教の人に対し馬鹿にした態度をとるのでしょうね?
特に岡田氏は顕教の人相手に商売しているのにと思いますが。

投稿: 忍天堂 | 2006/11/25 02:13

世代的なアレには宮崎勤事件の洗礼を浴びたか否かの違いもデカいかと思う。

投稿: 87分 | 2006/11/25 03:26

おそらく、「第2世代」というものが誕生したのは、
この瞬間なんじゃないでしょうか。

野田昌宏「SFは絵だねえ」

「そうですね、ぼくもアニメは大好きです」

一同「ギャフン!」

投稿: 石川誠壱 | 2006/11/25 04:08

個人的には「おたく側の惚れた弱み」と「作り手側の惚れさせた強み」ってのも有ると思います>岡田発言
おたく顕教から密教へ鞍替えした人は一度は惚れている訳ですが、ある瞬間に「惚れた側は愛着の対象無しではいられないけど逆はそうではない」事に気づいて一種醒めた状態になってるかと。で、一度「惚れ」を経ているが故に落差の大きさを知っているので、未だにドップリ首まで浸かってる人を見るとバカにしたくなるんでしょうね。誤解を恐れずに書くと惚れるってマインドコントロールにかかるようなものですから。
「あいつまだ主導権取られっ放しなのか、チョロ過ぎるにも程がある」
って見てるんじゃないですかね?萌えが気持ち悪いってのも近いかも。岡田斗司夫氏が思い切った発言をする裏には何を言っても対象作品のファンが離れないという確信が有るからだと思います。同類としてMSのゲイツ氏とか挙げられますね。

蛇足だけど村上隆氏が嫌われるのは萌えキャラのあざとさ(歪さ)を容赦なく表しちゃうからでもあるんでしょう。私が氏の作品群に模型雑誌で出会った時は嫌悪半分好奇心半分の何とも言えない感じになったものです。

投稿: 三葉虫男 | 2006/11/25 04:16

僕は当時、中学生だったんですが、やはり宮崎事件の影響は大きいですね。
その当時の、オタクである事は基本的に後ろめたい、忌まわしい事だという刷り込みが、オタク業をやっていてもどうしても抜けません。

投稿: ポン一 | 2006/11/25 04:19

「アイドルオタク」のほうの、
第1世代から現在までの変遷史をまとめている人は、
誰もいなんですよね。

もし、やるとすれば、
ひょっとしたら最適任者はオレかも知れないんですが
(宝泉薫センセイだって、手に余る)
あんまりやる気が起きないなあ。

構造が、そちらのほうのオタク事情と、ほとんど相似形で、
そんな驚くほどの結論にはならないから。

第2世代がおニャン子以降。

投稿: 石川誠壱 | 2006/11/25 04:22

燃える対談ですね続きが楽しみです!
世代論って安直な気がして好きじゃないんですが。
竹熊さんの語り方は面白いと思います。

投稿: 無職 | 2006/11/25 08:42

対談では話題にしませんでしたが、俺がオタクの「密教/顕教」を考えるときに、常に念頭にあるのが「プロレスオタク」なんですよね。俺自身はプロレスにはさほどの思い入れはないんだけど、たとえば1980年に村松友視の『私、プロレスの味方です』がベストセラーになりましたが、あれはまごうことなき「オタク密教」の本ですね。

村松さんは団塊世代で、そういう言葉こそ使ってないけど、あの本で提示された見方は、その後あらゆるオタクジャンルに浸透したと僕は考えています。

要するに村松さんは、「真剣勝負/八百長」の二項対立で語られがちだったプロレスに、あの本ではじめて明快に「観客論」を導入したわけで。たとえば、あるレスラーがワザをかける動作を見て、「あのワザには説得力がある」というような言い方をするわけですね。

一種の「演劇」としてプロレスをとらえたうえで、シナリオや役者の「演技」を「鑑賞」するという態度をとる。それこそ過去のレスラー同士の因縁や、プロレス業界の裏側の構造まで含めてプロレスを「読む」ということを始めた。真剣勝負か、八百長かという従来の見方は浅いのだと。そういう「裏」を含めて、すべての事情を洞察したうえで「味わう」のが、プロレスの正しい見方なんだというわけです。

しかし仮に「演技」であっても、肉体同士がぶつかりあうわけだから、時には事故(ガチンコ)も起こる。人が死ぬことだってある。それで、プロレスファンには昔から根強い「ガチンコ幻想」があって、そこを上手に刺激し続けたアントニオ猪木を、「過激なプロレス」として称揚したわけですね。

あの村松の本には、オタク密教の考え方のすべてが詰まっていると、俺は思うわけです。これについては、いずれ詳しくエントリ化してみたいと思います。

投稿: たけくま | 2006/11/25 09:01

ちょっとズレちゃいますが、プロレス勝負に
「観客論」という面白さに似た印象を持った
ことが有ります。

浜名湖競艇へ取材に行かされた時のことです。
入り口にズラッと並んだ予想屋の口上です。
どのレースで、どの選手が勝つかを「親戚論」で
説得している人がいたんです。

ボートはお互いに同じエンジンで争う。
技術的には、直線から最初のカーブに
かかった時に『決定』してしまう。
この時の状況を見て、ゴールに入る前に
船券がパッと空に散るんですよ。
つまり、レーサーに特別な差が差が無い。

では誰が「勝利」を手にするか?
A選手はB選手の妹を嫁さんにしていて
前回はBが勝利しているから、今回は
A選手に勝ちを譲る~。
Cの親父はDの親父の会社の社員だ。
親父を部長にしてやりたいCは
Dにキチンと負けてやるぞ~ってな
論理だけで、勝負予想をしていた。
いかにも「関西」って感じで面白かったです。
バクチが親戚関係や上下関係で決するという
この予想屋さん。この極秘?ウラ関係を書いた
メモを封筒に入れて、それを売っているわけ。

投稿: 長谷邦夫 | 2006/11/25 10:09

↑それはものすごい話ですね(笑)。

投稿: たけくま | 2006/11/25 10:27

オタクの世代間の断絶って、やはり95年、エヴァ、オウムの頃を境にするのでしょうか。

直前のセーラームーンの頃というのは、パロディ意識が残っていたものが、エヴァの映画版に対しての反応はガチンコな部分が肥大してた様に思います。

投稿: めたろう | 2006/11/25 13:01

フランス人オタクのジャリー・セバスチャンは顕教オタクなわけですね。岡田氏のネタになってたし

投稿: alfa | 2006/11/25 14:41

おたく的オレでも、ディアーズのキャラに萌えて、オナニーしてしまったとか公言するのは恥ずかしいよ。おたくじゃない、みんなの前では、萌えをかくしておくよ。顕教と密教は両立するし、「あえて」とか宮台用語に影響されすぎ。

投稿: 匿名希望 | 2006/11/25 15:04

萌え対象でオナニーする、のは萌えじゃないんじゃないかと思うんですが
定義でそうなっているのならしょうがないか。
といってもそれは萌えとは違うようなきがするんだけどなぁ

投稿: ゆ~やん | 2006/11/25 15:08

密教とは要するにツンデレであると理解しますた。

「なっ……べ、べつに、本気で好きなわけじゃないんだからねっ!」

東氏はさしずめ「素直クール」ですか。
確かにツンデレから見るとnew typeかもしれませんw

投稿: nu | 2006/11/25 15:18

クリエイティブが基本的に全てパクリであるという断定は、
ちょっと強引な気がします。
自然現象などからインスパイアされて創作する物や、
脳内から湧き出たビジョン「幻視」を、
メディアに定着させようとする試みはオリジナルと言っていいはずです。
(例:特に初期の諸星大二郎の作品のいくつかなど。)
成果物が結果的に何かに似てるという指摘は出来ても、
それは本質を見ていない気がしますしね。
そういうものは領域的にはアートになっちゃうかもしれませんし、
プロの作品商品として成立しているケースは本当に少ないと思います。
しかし、この世のひとにぎりのオリジナル成分を無視してしまうのは、
創作というものを見誤ってしまう危険があると思います。

テーマが「萌え」だったので、その領域世界に絞った説明だったのかとも
思われますが。萌えアイテムの組み合わせで萌えキャラを作るのは、
そう言えるかもしれませんね。

以上、仏陀に教えを説くかのような事を書いてしまいました・・
すんません。

投稿: エイジロー | 2006/11/25 16:23

上記対談において注目すべきは、むしろ
<手塚~宮崎/富野世代まではあった、「オリジナリティ信仰」が、ある世代以降からは持ち得ないモノとなり、批評とパロディが自己表現の前提にならざるを得なかった>
という論旨でありましょう。

オリジナリティへの信仰は「確固たる自己(内面)表現」への信念に他なりません。
次世代は、それに対してが懐疑を示し続けたわけですが、それでも「構造に対する信頼」はあったと思います。批評というのはオリジナルの再構築で構造を持っています。
えーと、プロレスや作品の裏を読む、には、その裏にある内面(ストーリー→構造)を想定しなければならないという事です。

現世代の世界観は、「表に見える断片情報こそが全てだ」であるのだろうと思います。
例えば提示されたキャラクターに付随する情報は一件内面に見えますが、
それは「設定」であって「物語」ではないのです。

投稿: めたろう | 2006/11/25 17:20

初めて投稿させていただきます。

上記の対談、非常に興味深く拝見しました。
非常に面白い分類の仕方だと思いますし、腑に落ちる点が多々ありました。私世代的には第三世代のオタクにあたると思うのですが、周囲のマンガやアニメ好きな人たちと話して非常に違和感を感じていたのは、私がどちらかと言うと密教側に針がふれているからなんだと。

私と同じくらいの世代だと「広くいろんな人にメッセージを伝えたい」「分かって欲しい」という意識が希薄で「分かる人が分かればいいじゃん」みたいな土壌が出来ていたので、余計に妄信的というか批判意見が気にならない感覚があると思います。

投稿: リカルド | 2006/11/25 17:59

私も初めて書き込みます。
対談の方、続きの方も楽しみにしています。
この内容がタダで読めていいのかと思うくらい面白いし、興味深いです。
ただ勉強不足で申し訳ないのですが、大泉さんの書いたという「綾波ポエム」はどこで読めるのでしょうか?
掲載誌、書籍など教えて頂けないでしょうか。
対談中に話題が出るたびに気になって仕方ありません。

投稿: Vista | 2006/11/25 18:26

↑「庵野秀明スキゾ・エヴァンゲリオン」(太田出版)のあとがきで読めます。本は品切れですが、古本屋とかブックオフなんかで結構簡単に手に入ります。壮絶なポエムですよ~。

投稿: たけくま | 2006/11/25 18:56

>長谷さん
横レス失礼します。
25年程前の、とあるSF研の知人の話です。

競艇レーサーのやる気(第一カーブのインサイドに突っ込む気合)はエンジンの調子=善し悪しで決まる。
つまりは支給されるエンジンの抽選でほとんど勝負が決まる。
オートバイ・マニアは、調整中のエンジン音で調子が判るので、耳で船券を買う。これで8割方当たる。
ゆえに、競艇は競馬と違って予想の仕様が無い。

などとのたまって学生のくせにガテン系の扮装で競艇場へ通っておりました。
現在の競艇界のエンジン事情は知りませんゆえ、昔話と聞き置きください。

投稿: トロ~ロ | 2006/11/25 20:16

めたろう
>現世代の世界観は「表に見える断片情報こそが全てだ」であるのだろう

その考え方は、サイバーパンクが20年以上前にやってたもので、
“現世代の”とするのは違うんじゃないか。
それこそ、魂(ソウル、スピリット、ゴースト)の概念を加味せねば、
現世代を語れないだろう。
昔士郎正宗がサイバーパンクにゴーストを持ち出した所に意味があった訳

で、オリジナリティ信仰といった思考とはもう関係ないんじゃないか。

心が大事→目に見えるものが全て→表面の物プラスαの何かがあるかも
という所が現在の世代の概念じゃないかと俺は思うけどね。

投稿: にせロッカー | 2006/11/25 20:45

「おたく」って、趣味人やマニアというよりもメディア・ジャンキーって単語のほうが親和性が高いと思います。資本主義社会の商品流通に隷属する最下層の中毒患者w
テレビジョンでファンを拡大させた「プロレス」に、商業「アニメ」や「エロゲー」といったメディアありきの「情報商品」の真髄が垣間見えるのは必然です。
クローネンバーグの「イグジステンズ」という映画がありましたが、あれはまさに現実社会のゲームを「ゲームとして映像化した」傑作でしたが、ゲーム中の人間がゲームの外の世界を想像する作業の難しさは、まさに想像を絶する困難をともなうわけです。
「おたく」がおたくを自家撞着を超えて論じるには、メディアの外から概観するしか方法はないと思います。

投稿: どっこい | 2006/11/25 23:03

うは、間違いない。そのとおりだと思います。
ネットやめて、とりあえず急いでオナニーして、ねます。

(いや、真面目に面白い意見だと思ってます)

投稿: 無職 | 2006/11/26 02:11

>資本主義社会の商品流通に隷属する最下層の中毒患者w
ってなあ・・あんた。
どうもおたくって自虐的意識が強いな、
虐げられてきたからか?
どっこいよ。

投稿: にゃー | 2006/11/26 03:15

論点がずれずれなのですが;
途中からファインアートと商業デザインの関係に
脳内変換して読んでしまいました〜

なんだかファインアートに少なからず
劣等感を持っていた半カケ卵デザイナーとしては
クリエイティブのくだりに、共感してしまいました。
霊感!なるほど!

投稿: たなし | 2006/11/26 03:47

対談、楽しく読ませてもらいました。
「顕教/密教」という考え方は面白いと思います。ですが、庵野監督が顕教というのは違うと思いました。庵野監督は美少女萌えではないからです。何か新しいモノを作ろうと意気込む姿勢や、オリジナリティを求めることは普通のオタクの萌えとは違うと思います。オタクには消費者(顕教)、批判者(密教)以外にも生産者(?)がいると思います。

投稿: ぼる | 2006/11/26 03:49

うん、厳密な分類をすると生産者は「オタク」には含まれないと思う。
で、オタク色濃厚な生産者である庵野氏をオタクとして分類するのには、
無理があったのではないかと思うんだ。

氏に仲間意識を抱いていたオタクが、映画版エヴァで庵野氏は実は
オタクサイドでは無かったと知って、裏切られた感情を抱いて反発したと
言うのが庵野叩きの実情なんだと思う。
それまでのオタクの心を解っているかのような作品群からすれば、
無理からぬことだけれども。ガイナには「おたくのビデオ」なんてのも
あったしな・・(庵野氏はメインに入ってないけど)
そして、エヴァでのオタク達を指弾するかのようなメッセージは、
ちょっとあんまりな感じだったので、オタクによる庵野叩きは、
さもありなんといったところだ。

オタクである私の、個人的意見を言えば庵野氏の作品には
とっても楽しませてもらったので、いつも新作には期待している。
ただし実写はイマイチなのでアニメでやって欲しい。
やはりアニメで輝く人なんだと思う。

投稿: ぬるはち | 2006/11/26 05:32

>ぬるはちさん

しかしそうなると、コミケの同人誌作家はオタクではないと? 彼・彼女らも「同人誌」を生産している人なわけで。いや、これは重要な問題で、揚げ足とりではありません。

僕は以前、二次創作やパロディ、その色が強い商業作品生産者(ガイナックス作品含む)を「消費型創作者」と呼んだことがあります。

投稿: たけくま | 2006/11/26 09:56

>>ぬるはち さま

>映画版エヴァで庵野氏は実は
>オタクサイドでは無かったと知って

おたくがおたく批判する欺瞞に腹を立てたのではないでしょうか。
ましてや作品破綻を視聴者のせいにしているわけだから。

投稿: Aa | 2006/11/26 10:12

おたくは、自分がおたくであることに、ダメ意識とかコンプレックスをもっているそうだよ。だから、おたくは、消費者でもあり自己批判者でもある。むしろ、顕教で密教徒であるのが普通。そんなおたくでも、だいじょうぶだといいだしたのが、岡田斗司夫で、それ以降、おたくキモイといわれつつも、商売上の理由もあるのか、おたくであることが、社会的にほんの少し認められつつある。昔にくらべたら、かなりお宅趣味を告白しやすくなってきた。

投稿: 匿名希望 | 2006/11/26 13:59

>匿名希望さん
>だから、おたくは、消費者でもあり自己批判者で>もある。むしろ、顕教で密教徒であるのが普通。
私も同じ意見ですね。
どんなオタクにも顕教で密教は同居している。
ただ、最近の若いオタクの人は顕教寄りであるとは思います。

(使えるメアドに変えました)

投稿: ぼる | 2006/11/26 14:17

 1997年のエヴァブームの時は僕も劇場に行きましたけど、作品はひどいなと思って、あの人波の一人になるのは嫌だなと思いましたね。
 最初はすごく期待していたけど、期待したぶん、納得できなかったですね、僕も。要するにこいつら(大勢の観客)はどこ見てんだ、って話だよね。作品見ないで監督だけ見てる。
 ニュースで劇場が映されて「感動した」とか言ってる奴を見て「バカじゃねえの、駄作じゃねーか」と思っていた記憶はあります。
 「庵野さんはオタク批判して誠実だ」とかさ。

萌えが信仰心ゆえに客観的な作品分析ができない状態だとするならば、竹熊先生は庵野監督に萌え狂ってるからエヴァ分析ができないんだろうな~と当時から思ってましたよ。
夏エヴァ以前はシンジは庵野監督の分身、エヴァは庵野監督のプライヴェートフィルム、庵野監督はアスカとみやむーにはまってたと言っていたのは竹熊先生自身だったのに、夏エヴァ以降はエヴァはオタク批判のためだけの作品ってことになってしまったのは、エヴァという作品を矮小化させてるだけだと。
オタク現象批評よりは作品批評のほうが自分としては読んでて面白いんで、エヴァ再映画化にあわせて1冊丸ごと書き下ろしエヴァ評論集みたいな本を出してほしいっす。

投稿: 国立珠美 | 2006/11/26 15:35

>たけくまさん
コミケの同人作家はオタクもおり、そうでない人もいると思います。
同人誌でも創作系とかパロディ系とかありますよね。
一言で括ってしまうとかえって分りにくくなる気がします。

私のイメージするところは、
パロディとか版権系の同人は、自動車産業にたとえると、
メーカーのクルマのファンが、それをベースにカスタムカーとか作って、
それが高じてカスタムガレージを開店しちゃうようなものかと。
基本的にベースのクルマ(パロディネタ)がないと成り立たないものです。
ですからメーカーのする生産とは少し意味が変わる物じゃないかと
捉えているんですが。もちろん産業の一部ではあります。
そういう意味で、たけくまさんが言われる「消費型生産者」という
概念に同意します。
そして「消費型生産者」の人たちはオタクの範疇に入るように思われます。

私が「生産者」とした時には、2次創作を考えに入れてなかったですね。
産業内勢力として無視できない大きさになっているようですし、
それでは、「生産者」(※消費型生産者でない)は、オタクに含まれない。
と加筆修正したいと思います。

ガイナックスについては、振り幅が大きくて、作品によって
「生産者」---「消費型生産者」の間で揺れている様に見えますが、
どうでしょう。

投稿: ぬるはち | 2006/11/26 21:20

「萌える阿呆に見る阿呆、同じアホなら萌えなきゃ損々」
といったところでしょうか。

投稿: 忍天堂 | 2006/11/26 21:44

にせロッカー様
昨日の内にレス頂きましたのに、返し遅れて申し訳ありません。

えー、当然サイバーパンクをはじめとして(というより俺の中では筒井康隆さんが事始でありますが)、虚構の中では、生産者にしても批評側にしても、世の中が向かって行く方向性として、例えば「構造が解体されてフラグメントへ」みたいな話は提示されておりました。

それらは先見性と洞察による「幻視」「予言」でしたし、既に社会の中に起きていた事であっても「予兆」というべき、量的にはまだまだ規模の小さいモノでありました。

で、「オタク教」というのもマイノリティ、カルトも良いとこだったわけでございます。

で、20年30年を掛けて(我々の世代はその変化を実地に見る羽目になったわけですが)、
上記の世界観というものは、一般に浸透し、現実の人々の規範になりつつあります。

あの頃のディストピアSFが現実化するとは因業な事よ、という嘆きはさておき。

これが私が更に上で言いかけた「オタクの国教化」すなわち制度になったオタク文化の話につながるのであります。

人間の内面が、社会の規範が「オタク顕教」化する、というのがどういうことか、乱暴にいうなら、
「宮崎勤が人間の内面の典型になる」
ということです。

私の後輩はこれを「人間のゾンビ化」と呼んでおります。
私はゾンビ映画を観た事がない為、はじめに説明された時はピンときませんでしたが、
最近この後輩が宮崎勤の文章を引用した小論文を書いたので、何となく理解出来るようになりました。

外部情報に対して反射行動しか起こせない、もはや内面の欠落した人間。
外部情報の裏側に構造と、そして時間軸、すなわち歴史を妄想できない人間。
これらは、統合失調症の破瓜型というのの特徴だったと思いますが、

それがこれからの人間の典型となるのです。
でもって、付け加えるとすれば。

これから、急ピッチでマイノリティに転落してゆく、密教側の皆様よ。(俺も含めて)

さあ どうする どうする。

投稿: めたろう | 2006/11/26 21:44

長文ついでに付け加えるなら、

にせロッカー様に指摘して頂いた、士郎正宗のゴースト、、、云々は、問題の対談のケツの方で水木しげるや南方民族の方々を引き合いに出された、「アニミズム」の話に繋がってきますね。

日本人の神様が、明治の近代天皇制以前のアニミズムに回帰する、というお話。

アニミズム(八百万の神)→近代天皇制→占領軍の、TVメディアによる洗脳→マスメディア崩壊後のネットによる洗脳の継続→受け手側から逆流する、オタクパワーによる逆侵略、、、、。

実はこれ、コミックビーム今月号で狩撫麻礼さんが「月の光」の中で展開してたネタ。
占領軍がプロレスを神として、というあたりは最近出た日テレ誕生にCIAが噛んでた、てな新書も参考にしてるとは思いますが、大枠は連載前から練っていたのでしょう。
オモロイからよんでみてね!

と、他人のふんどしがとれたところで、失礼致します。おやすみなさい。


投稿: めたろう | 2006/11/26 22:16

大丈夫か・・

投稿: にゃー | 2006/11/27 02:15

>ぬるはちさん

僕は、厳密にいえば、あらゆる創作は「二次創作」だと考えているわけです。オリジナルというものは、本当はこの世に存在しないのだというのが、たとえば手塚治虫や宮崎駿、富野由悠季といった世代のクリエイターと、俺や庵野さんなどの世代の違いではないかというのが、大泉さんと話をした骨子です。そして、上の世代が「創作」というものに「疑いを持っていない」ことを、ある意味批判しつつも、どこかで「羨ましい」とも思っているわけです。

だから、僕が上で言った「消費型生産者」とは、何を造ろうが元ネタを意識してしまって、「消費型生産」しかできないことを「自覚」している世代の人たち、というふうに言い換えることもできると思います。手塚や宮崎は、俺に言わせればそうした部分に無自覚であるがゆえに、「強い確信に満ちた創作」ができるのではないかということです。もちろん、そこには才能がなければなりませんが。

>匿名希望さん

僕の知る限り、初期オタクの側に「強いコンプレックス」というのは、実はそんなになかったような気がしますね。顕教・密教問わず。ただ親とか教師の側から、マンガやアニメばかり見ているとバカになる、と子ども時代から言われ続けた、たぶん最後の世代だったので、そういう意味では、無理解な大人社会に対する反発心はあったと思います。

僕が興味深いのは、「おたく」を「おたく」と呼び始めたのは当の「おたく」たちなんですね。中森明夫氏にしても、本人を見れば一発でわかるけれども「おたく」ですから。彼は80年代アイドルオタクだけれど。

ただ、中森氏が「おたくの研究」を書いたときの「おたく」は、明らかに「顕教=ミーハーおたく」を指していたと思いますよね。自分を棚にあげて、「痛いオタク」をあげつらっていたことは否めない。要するに、「おたくの研究」が83年に発表された時点で、密教と顕教がはっきり別れていたと思うんですね。

その後、岡田斗司夫氏が、エッセイなどで「痛いフランス人オタク」のセバスチャンを面白おかしくとりあげていたけれど、確かに僕も読んで笑いましたが、あれは中森明夫氏が「痛いおたく」をバカにしたエッセイ書いたのと同じ構造だなあ、とは思っていました。僕の密教/顕教論というのは、たとえば83年時点での中森氏の態度はどういうことだったかということや、「痛いオタク」を面白おかしくエッセイに書く当の岡田氏が、オタキングを名乗っていることをどう考えるか、ということでもあるわけです。

投稿: たけくま | 2006/11/27 08:53

ああ。だから「オタクの自意識」が表題なんですね。
病識の無かった中森氏の時点、
病識(自己言及/メタ意識)を持つようになった岡田氏の時点、
オタクが無意識化する世代の出現、というところでしょうか。

投稿: めたろう | 2006/11/27 10:48

たけくまさん、「元ネタがないクリエイティブはありえませんから」といいながら、宮崎さんにオリジナリティがないというあなたの考えはわかりません。あなたが宮崎さんに求めているオリジナリティとはなんなのでしょう。あなたは最初からオリジナリティなどないと思っているのでしょう?

まあ、これは揚げ足とりにすぎないのですが、たけくまさんの考えの根本がまちがっているということを端的に示しているので指摘しました。

宮崎さんとたけくまさんの違いは、元ネタが同じものをみても、宮崎さんと同じものが作れたかどうか、ということです。

自分の作品を他者の批判にさらすことに対する感性の有無はあるかもしれませんが、ほとんど影響ないでしょう。

別に宮崎さんを擁護するわけではなく、あまりにたけくまさんの意見がイタすぎるので、ついつい書いてしまいました。

この手の議論は、コロンブスの時代に終わっていたのではないですか?

それから、批評家、パロディが創作家でない、という意見にもまったく不同意です。

それでは

投稿: おとう | 2006/11/27 11:14

>おとうさん

「宮崎駿にオリジナリティがない」とは、僕の言葉足らずでした。「宮崎駿には、自分の作品が二次創作という自覚がない=オリジナルだと確信している」と言い換えます。

しかしこうした錯覚は、宮崎氏ひとりの問題ではもちろんなく、優れた創作者が面白い作品を作るうえでの条件だったりしますから、この問題は複雑で、やっかいです。

投稿: たけくま | 2006/11/27 12:19

>たけくまさん
>オリジナルというものは、本当はこの世に存在しないのだ

言い切っちゃっていいんですか・・。
そう究極的表現だと、なんか「人間は必ずしぬ」とか言われてるみたいで。
そりゃ、批評的分類学的には、系統分けしやすいと思いますが、
そういう分類学だけで割り切れないものがあるから、
こうまで漫画などに熱中し、人生を変えられたりするんじゃないかと、
思ってるんですが・・。パクリだけの魅力なんぞたかが知れてると。

その原理が批評家、まんがアニメ研究家としてのたけくまさんの
スタンスかもしれませんが、
しかし、たけくまさんは、生産者創作者でもあるわけですよね。
モノを作るにあたって、
なにか初めから「限界の壁」を立ててしまっている考え方で、
そこからは、ものスゴイ無力感の放射を感じ取ってしまいます。
オリジナルとか言われている要素が「なにかがある」と考えたほうが
創作は絶対にしやすいと思うんですよ。私は。

まあよくある要素だとして、
「A」と「B」を組み合わせて作品を作った---
「A」「B」は既存のものだけれどナ、
この二つを組み合わせたのはワテのアイディアや。センスや!

てな感じで取り合わせのセンスの「オリジナリティ」とか、
そういう感じで自己暗示してでも思い込んだほうがいいかもと。

それと、変な言い方ですが、
このブログでのたけくまさんの体験記などは、
ものすごいオリジナリティを感じますよ。

「職質体質」→「自転車モニター」→「米軍に職質くらい」→「前輪盗難」
とかスゲーです。これはオリジナルですよ。文体構成含め。
体験記だって創作ですし。そればっかしの小説家もいるし。

なんと無自覚な創作者そのものじゃないですか!たけくまさん。

投稿: ぬるはち | 2006/11/27 12:50

何かあまり理解できてない人が多いですね。

実際「創作」について
突き詰めて考えたことがないのかも
知れないですね、殆どの人が。

誰かが自然現象からインスパイアされることもあるでしょ、とか反論してましたが、

だから、自然現象とかも含めて「元ネタ」って
ことでしょ、と言いたい。

「アイデアの作り方」とか読めば
すぐ解る話ですのに。

しかし、「消費型創作」ですか、
あれが片やアメリカでは同時期にタランティーノという
オタク映画監督によって派手に行われた
というのは面白いことですね。
言い尽くされた話なのかも知れないですけど。

日本のアニメとアメリカの映画が
同じ成熟度だったってことなんでしょうか。

投稿: apg | 2006/11/27 13:02

>ぬるはちさん

いや「アイデアの作りかた」にもあるように、オリジナルのアイデアは「すでに知られている衆知の知識」の「新しい組み合わせ」であるわけで。ましてや、たとえば日本語で書かれた小説は、日本語(みんなが知っている言葉や、言い回し)の組み合わせで出来ているので。

要するに、本当にオリジナルなものを作ろうとしたら、それは言語から発明しなければならないことになりますし、そんなことは不可能です。

まれに精神病患者で「火星語」を話す人がいますが、そういう人でも、言語学者が聞けば、まず100%、その人の母国語や、よく知る言語を変形させて言葉を作っていることが丸わかりだそうです。

言語は極端な例かもしれませんが、創作のアイデアというものも、煎じ詰めれば同じことだと僕は思います。詳しくは、当ブログの過去エントリ「アイデアの作りかたとキューブリック」をお読みになってください。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/01/post_6.html

ですから、二次創作でも、そこに新しい組み合わせの要素があれば、それを我々はオリジナルと呼ぶのであります。僕から見ると、宮崎監督はすぐれた演出者で、アレンジャーだと思います。誰もパクリとは言わないけれど、たとえば「ナウシカ」がSF小説の「デューン」の影響をもろに受けていることは、元ネタを読んだ人には歴然だと思います。「砂虫」と「王蟲」など、アイデアのレベルではほとんどパクリと言ってもいいくらいで。(もちろんアイデアは著作権では保護の対象になってないので、最終的な形が違っていれば問題にはならない)

で、僕は、パクリは必ずしも悪いことだとは思ってないわけです。後から「付け加えた要素」が何もないのであれば、それは否定されるべきパクリですが、最終的に、アレンジや演出が優れていれば、それはほとんどオリジナルと呼んでもいいとすら思います。宮崎氏は、こういう場合です。

あと自分自身の体験は、確かにオリジナルですね。まあしかし、誰でも同じことをすれば同じ体験をするかもしれないわけで、別にオリジナリティを主張したいとは思いませんが。

投稿: たけくま | 2006/11/27 13:07

>apg
自分だけは解ってるってか?感じ悪いよ。

自然だってなんだって元ネタだ、とか。
だからそれをいっちゃあオシマイよ。
という事なんだよ。

投稿: URA | 2006/11/27 13:20

えーと、宮崎駿が自分はオリジナルだと確信しているってのは宮崎駿の発言

>僕の本心は、日本のアニメはどん詰まりまできていると思います。僕よりも20歳も若い庵野という監督が、「自分たちはコピー世代の最初だ。その後の世代は全部コピーだ。そしていまや、コピーのコピーになっている。それがどれほど歪んで薄くなるか分かるでしょう。自分で観てきたものをそのまま描いているんじゃない」という言い方をしてますけど、それは、自分の周りの若い人たちと付き合って、僕自身も痛切に感じていることです

あたりを念頭に置いてるんでしょうけど、べつに自分はオリジナルだって言ってるわけじゃないと思いますが・・・。庵野世代がアニメ制作するに元ネタをアニメにしか求めないからアニメ知識だけで固まったようなアニメしか作れないって言ってるだけで・・・。手塚も漫画描くなら漫画ばかりじゃなく映画や小説を読めって言ってますが、特定ジャンルじゃなく他のジャンルからも吸収しろって話なんじゃないですか。宮崎駿の元ネタって古いハリウッド映画や児童文学や戦前のアニメですけど創作で先行作品を意識するのは当たり前で「無自覚」とかいう問題じゃないんでは。
どっちかというと、庵野世代のオリジナルコンプレックスのほうが興味深いです。70年安保の失敗により旧来の社会・歴史に背を向け個人至上主義になった世代ってことですかね。先行作品を参考にするのは創作とはいえずつねに自分個人を大事にしていかなければならないと。オタク第2世代以降は70年安保挫折の記憶が実感としてないから、べつにオリジナルコンプレックスを持たずパロディ作品を屈託なく消費しているように第1世代には見えるって解釈でいいですかね。

投稿: 国立珠美 | 2006/11/27 13:24

http://www.ghibli.jp/outotori/

確かにアニメ「王と鳥」を先日観たときの驚きったらなかったです。ここに来られるようなオタクさんたちには良く知られた作品だったんでしょうが。浅いオタクの僕みたいのには目から鱗でした。

投稿: 無職 | 2006/11/27 13:33

どうも、オリジナルという言葉じたいに拘泥してしまうと(まあ、言い出した俺が悪いのですが)、ことの焦点がぼやける気がしてきました。

要するに、「創作に対する確信の有無」を僕は問題にしているわけで。たとえば僕などから見ると、手塚さんとか、宮崎さんとか、先行世代の創作者は「なぜ、あれほどまでにモノを作ることに対して確信が持てるのだろう?」と不思議に思うわけで。

たとえば宮崎さんにしても、自分の作品に「元ネタ」があることは承知していると思うんですよ。それでもあえて「自分のもの=オリジナル」として提示できる信仰に近い「強さ」はどこから来るのか、というのが、僕がかねてから感じていたわけです。もちろん、何か別の要素をそこに加えるにしてもですね。

あと、僕や庵野さんの世代が宮崎さん世代にコンプレックスを感じているというのはその通りです。しかし、我々は宮さんのように確信をもって作品が作れない、ということは受け入れるしかないわけです。

庵野さんに言わせればオタク世代は「コピー世代」、僕の言葉だと「パロディ世代」でもあるわけですけど、我々が80年代、ニヒリスティックに信じていたこうした価値観を、「コピー宗教」「パロディ宗教」であるオウム真理教の無差別テロによって、作品ではなく現実によって打ち壊されてしまったわけです。

あの事件で、我々は無邪気なパロディが、できなくなった。つまり、ほとんど「宗教のパロディ」で始まったようなオウム真理教が、本当にサリンを撒いて大勢を殺傷した衝撃は、たかが「作品」ではとても追いつくことができないことなわけですよ。

そのことで、オタク・サブカルを含めた、僕の世代の多くの創作者が「打撃」を受けたことは確かです。団塊の世代が連合赤軍リンチ事件で「打撃」を受けたのと、たぶん同質か、それ以上の事件でした。

オウムについての本を書いた大泉さんや、俺などが「エヴァ」にはまったのも、地下鉄サリンが起きた95年という、「シャレが現実になった」年に、あれが放映開始されたことと無縁ではないと考えています。はっきり言えば、エヴァとオウムは、同じ現象の表と裏であるとしか思えないわけです。

もちろん、これが第一世代の自意識過剰だといえばそれまでだし、第一世代の中でも、これらを意図的に無視する人はたくさんいます。エヴァンゲリオンは、「病んだ作品」だと俺は思いますが、庵野氏が当時感じていた「病」について、少なくとも俺にも同じ病識がありましたし、「なにかただごとではない問題がそこにある」ということで、あそこまで社会的ブームになったのではないでしょうか。

そして、その「病」が現在も無縁ではないことは、たとえば俺が10年経ってもあの作品を蒸し返すことだってそうだと思うし、国立さんのように、10年たっても過敏にこの話題に反応する人が大勢いることからも、わかるのではないかと思います。本当に価値のない作品であると思うのなら、みんなで無視すればいいんですよ。

まあ、今度のエヴァの新作がどんなものになるかはまだ分からないし、その出来によっては僕も「無視」することになるかもしれませんが。

投稿: たけくま | 2006/11/27 13:49

関係ないかもしれないけど、おたくがおたくを笑うマンガ、アニメという、メタレベルのおたくいじりのジャンルもあるみたい。「げんしけん」とか…「NHKへようこそ」もそうなのかな。まだ読んでない人には、「げんしけん」をすすめるよ。マンガも、アニメもある。

投稿: sima | 2006/11/27 13:56

ううん、確かに読み返すと感じ悪いですね。

どうもすみません。

たけくま先生は既に対談の中で
解るように話してるのになあ、と思うと
歯がゆくなってしまったのです。

いや、別にぼくが読解力に優れている
とかいうつもりは全然ないですよ。

>それをいっちゃあオシマイ

とおっしゃいますが、
この「事実」は何かしら音楽であれ、
絵画であれ、やってれば必ず気付くコトですから、
クサイものにはフタをするってわけには
いかないんじゃないでしょうか。

それに、消費型?創作にも
元ネタが解る快感というのがありますしね。
「ここから持ってきたか~やるな」
みたいな観賞の仕方が。

そういう表現に全く価値がない、
というワケでもないでしょう。

人間の脳の限界はトウの昔に訪れて
いるんでしょうけど、
可能性があるとしたら技術と道具の発達で
生まれる見たことのないモノ、でしょうか。

フラッシュアニメなんかも
そうかも知れないですね。

後は、アレとアレを混ぜる、位なら
詳しい人にはばれちゃうんでしょうけど、
もっとネタを脳内に滞在させて
「アレとアレを混ぜたアレをアレとアレとアレを
混ぜたアレと混ぜてみよう」ということにすれば、
もう元ネタが作ってる本人にしか解らないですから、
いけるんじゃないでしょうか(笑)

あとはマネしようとしてもヘタで出来なかった、
とかもオリジナルには重要ですよね。

そういう劣化とか変異があればもうバッチリですよ。
でも日本人は完全コピーが得意ですから、
苦手な分野かも知れないですけどね。

何か話がそれてしまいましたが。

投稿: apg | 2006/11/27 14:10

たけくまさんの指摘スルドいなーと思った、本で言ったらふせんを張っておきたいくらいに

「エヴァンゲリオン」を観た最初の感想は「面白いな、これ」「オタク的なサブカルの色んなとこをうまくいいとこどりしてるなー」でした

オウム真理教以前と以後で日本のまんが、文学、言論は明らかに変わっていますね、残酷な言い方すると「駆逐」されたものもかなりあった。
オウム事件は70,80年代からのサブカルの中にあるヌルい意識や「何となく楽しいと思うことをやっていればみんなハッピーなんだよ」という意識に衝撃を与えたのだと思う。オウム真理教の諸々のバカバカしさと、尋常でない行動の数々。

投稿: たにしんいち | 2006/11/27 14:17

要するに「真のオリジナル」は無いと言うことですね。
それはもちろんその通りです。
しかし、「アイディアの作りかた」にあった、
「新しい組み合わせ」には「オリジナリティ」があるという
指摘はできますよね。
ぼくはそれを言っているんです。
アレンジをするブラックボックスとしての人間によって
作品が吐き出されるという考え方なら、
情報の取捨選択こそがその個人のオリジナリティだと。
その作業には個人の人間性が反映されるので
同じ情報を投入しても様々な差異が生まれると。
パトスの噴出や趣味性が表現される、
そこがオリジナリティだろうと。
先のresのたけくまさんの表現も過激ですが解ります。
してみると、
形而上的意味の「オリジナル」と広い形容的な「オリジナリティ」に
ついての議論だったのでしょうか。

投稿: ぬるはち | 2006/11/27 14:25

そうですね。ちょっとそのへんが僕も混乱してました。

投稿: たけくま | 2006/11/27 14:31


それにしても、そもそも
「創作」という言葉の意味と、相容れない論理で、
「創作とは」って語るのは、
無理があるのではないですか。

「人間は何かをなぞって表現をする」
と、言うならば納得ですが。

投稿: エイジロー | 2006/11/27 14:32

んで、ちょっと余談なんですが、
ナウシカといえば、1話目の初めの辺りで砂を踏んで腐海に入っていく
ナウシカの後姿のシーンのコマは、
「メビウス」のあるイラストの丸パクリでしたよね。
コスチュームまでそっくりなんだよな。
たしか破れマントがあるかないかだったかな(模写かよ!)
当時は大友克洋からみんなメビウス真似してたからなあ。
メビウスショックとかいってな・・
カッコイイからパクリオッケーみたいな風潮があったような。

投稿: エイジロー | 2006/11/27 14:50

何か、私の書き込みで流れが『オタクの顕教/密教』から『オリジナリティかそうでないか』変わってしまったようで申し訳ないです。

なるほど、結局どの作品も二次創作なんだ、という竹熊さんの言いたいことが分かりました。

でも、作品にのめり込んでハイになって、社会的に笑われる人(セバスチャンさんとか)と、過去の作品を意識しながらも二次創作になると分かりつつも作品作りを続ける人を同じ顕教オタクというくくりに持っていくのはどうかな?と思います。密教オタクでも恥ずかしいタイプの人はいますし。

投稿: ぼる | 2006/11/27 22:53

王蟲が砂の惑星からとったってのは宮崎監督自身が『出発点』で言ってましたね。フライシャーのスーパーマンにしろ自分からゲロる人ですよ。ガンダムが「予言・第三次大戦」からのイタダキだとか、水木しげるのバックベアードが「新宿幻景・キメラ」のイタダキだとか、元ネタを隠して創作するのが問題ってことですか。
パロディギャグは元ネタを知らせないと読者が笑ってくれないのに、ストーリー漫画の連中は元ネタ隠しても読者は読んでくれるのでムカつくって感じ?
僕は厨房の頃から司馬遼や山風を読みあさっていた時代小説オタだったんですが、時代小説は当然先行作品ありきのジャンルなので元ネタがあるからダメだって感覚がよくわかりませねえ。
山風も最近の小説は巻末に参考資料のせてるけどあれはヤボったらしいとか書いてますし、元ネタはとりててて晒さないのが当然という感覚だったんじゃないですか。

オタク第1世代ってだいたいこの世代ですよね。

56年生まれ  山本弘 斎藤美奈子 小田嶋隆 大地丙太郎
57年  佐藤健二 森永卓郎 高橋留美子 ゆうきまさみ 浅田彰 フランク・ミラー
58年  大塚英志 みうらじゅん 岡田斗司夫 唐沢俊一 氷川竜介 とり・みき 永江朗 ティム・バートン 河崎実 小谷真理
59年  宮台真司 浅羽通明 大月隆寛 藤本由香里 サム・ライミ 京本政樹 モリッシー
60年  皇太子 竹熊健太郎 庵野秀明 山本直樹 中森明夫 福田和也
61年  大森望 豊崎由美 斎藤環 江川達也 島本和彦 長谷川裕一 大泉実成 ササキバラ・ゴウ ピーター・ジャクソン
62年  町山智浩 宅八郎 上野俊哉 小谷野敦 あさりよしとお ナンシー関 宮崎勤 上祐史浩 宮崎哲弥 村上隆 佐藤宣行
63年  柳下毅一郎 稲葉振一郎 眠田直 荷宮和子 相原コージ 飯島健男 クエンティン・タランティーノ ダウンタウン

たしかに創作者としてはみなパロディらしいパロディばかりやってる人たちですね。
第1世代のサンプルとしてガイナ以外の人たちも取り上げてほしいものです。
ゆうきまさみの「パトレイバー」とかとり・みきの「DAI-HONYA」とかあさりよしとおの「ワッハマン」とかパロディの皮かぶって自意識を出すってのもけっこうありますね。

あと、オウムでパロディができなくなったといわれても、こっちは当時はいしいひさいちのオウムパロ読んで笑っていたしやはり第1世代特有の悩みなんじゃないかなあ。
映画パト2で体験してた光景が繰りかえされただけだったし。

(以下エヴァ批評が続くはずが人様のブログでながなが書くのも場違いだしイタいし割愛)

エヴァ批判するヤツはキャラ萌えしてるだけの動物化した第3世代オタって決めつけられるのはどうにかしてほしいですよねえ。
批評もなにもできやしない。
さっき気づいたんですがオタク第n世代って、知識の豊富なアニメマニア、まだ知識の薄いマニア、キャラにはまってるミーハーなファンというオタク階級制を世代論に投影しただけで、世代でもなんでもないですね。
いつまでたっても第4世代がでないし。
世代と言うことでじつはただの階級差別だってことをごまかしてるだけじゃないですかね。

投稿: 国立珠美 | 2006/11/28 02:47

オタク第一世代の誕生日表は参考になったよ。

投稿: URA | 2006/11/28 09:21

国立珠美様
第一世代のサンプル、お疲れ様であります。

世代論やるなら大体10年で区切るのでそうなるのかもしれませんが、56年組とか63年組とかの相違というか特徴を見出すのが難しいです。

逆に年代が入り乱れて並列に活躍してる事に注目すべきなんでしょうか。

世代論といいつつ階層論というのも納得。ていうか、「顕教/密教」というのは階層論であります。
仏師・坊さんと信者
生産者・販売者と消費者
劇作家・演出家と役者(ん?観客はその下か?)

うーん。役者やプロレスラーって、
顕教/密教のどちら側が基本なんだろう。

投稿: めたろう | 2006/11/28 09:45

本文も興味深いですが、ここに活発にコメントされてる第三世代の生の声も興味深い。
第一世代と第二世代ってドラゴンボールあたりがすんなり楽しめるかどうかあたりじゃないかと思ってるんですが。(自分は東氏あたりと年が近く「動ポ」が背景含めすんなり読めた世代)
人気作品からデビルマンや火の鳥みたいな骨太で壮大で短い物語が減って、ジャンプ系「終われない物語」が増えていって、それを楽しもうとするとキャラやシチュエーションに傾注するしかない。東氏言うデータベース化ってこの辺に根があるような気がします。
そう考えると第一世代と第二世代は土台からして結構違うので、ある程度共通の定義を整備しないと感覚で会話は難しいなと。
同じように第三世代っておそらくネット世代でしょう。
ネットで好きな作品や対象や周辺が容赦なく批評されるのを見ながらオタク自我が形成されていった人たちが今後増えていくでしょう。それもやっぱり土台が違う。そういう人とも感覚で会話は難しそうだ。
今、第二世代クリエイターの萌え創作がオタクシーンの主流のひとつだけど、今後、第三世代がクリエイターになったときはモニタの向こうのリアルなゴーストを感覚的にさらっと描いちゃうのかもしれない。
第一、第二世代ではネットのビルディングスロマンを作ると映画の電車男みたいになっちゃうと思う。いずれ出てくるだろう、第三世代の手による電車男の物語を見てみたいと思います。たぶん最初は首をかしげることになるだろうけど。

投稿: 蛾太郎 | 2006/11/28 10:04

結局世代論とか日本人論とかは面白いけど、どっか空疎に感じますよね確かに。どっか不毛ですからね(笑。でも竹熊さんは元ネタがあるのは当たり前だと言ってるわけで国立さんが怒る意味がわからんです。エヴァ批判してるのがキャラ萌えしてるだけの動物と言うのは勘弁してくれと言うのは解ります。でもそりゃ竹熊さんが言ってる相手がオタキングだからしょうがない。動物を批判してるわけじゃ無いんですよ。

顕教、密教に関してですが。

岡田さんと竹熊さんが根っこで実は同類で同族嫌悪があの喧嘩になってる。

と言うと竹熊さんは怒るんでしょうか?
悪気は無いのです。

最末端の情報商品消費者の精神的な救いを用意してあげると言う点では「エヴァンゲリオンを軸に日本の形を語ってもいいんだよ」と言うのも「プチクリとなって小さな幸せを見つけよう」と言うのも実は同じような意味でしょう。

岡田さんは体制側密教特有の悪意丸出しだとは思いますけどね。
竹熊さんも裏側は持っておられると思います「諦め」という形かもしれませんが。でなきゃこういうブログなんかやってらんないよ。

気楽に適当な事、書いてスイマセン、大変だとおもいますが頑張ってください、応援しております。

投稿: 無職 | 2006/11/28 10:13

皆さん本当に面白い意見ばかりですね参考になります
僕は小林信彦、筒井康隆、色川武大が好きなのですが、この人達(日本中が空襲に遭ったとき小学生とかそんな世代)も
①都会の中流市民家庭の出身である
②下らないと思われていた喜劇映画を好んで観た、映画制作や喜劇俳優のゴシップや人間関係、彼らの屈託に妙に詳しい。
③小林さん、筒井さんには当てはまらないが、色川さんの八百長の背景をむしろ面白がって見る見方
④色川さんにはあまり当てはまらないが、小林さん筒井さんのパロディッシュな作品の方向性
はオタク的な資質だと思うのですが

投稿: たにしんいち | 2006/11/28 10:29

岡田氏は密教でしょうけど、
氏の本を読んだりしてみても、
かなりヌルイんだよな。
オタキングってどこがだよって思います。
自称だからか・・

投稿: にょろ | 2006/11/28 10:33

たにしんいち様

筒井さんはご自身でも、自分はオタクであったと言及され、宮崎事件の時に彼を擁護しておりましたね。

そうした資質を持った人間は昔からいましたが、
発見され、名づけられ、分類されてはいなかったのです。
量的に少なかったから。
そして、その特殊能力は、表現の世界で大きな武器になりました。
「オタク能力」はまだ珍しいものでしたから、個人の資質として規定され、社会的な広がりを持つ何かだとは認識されなかったのです。

それが後世、そうした資質を持つ若者たちが一定数以上の割合に達して社会現象だと見做されるに及んで、「オタク」が発見され、名づけられたのです。

今起きていることは、「萌え」世代の発見でありましょう。
社会化され制度化された「オタク」社会がもともと内包していた要素でありながら、ネットというこれまでと性質の違うハード、プラットフォームに依拠し、一挙に量的に拡大し、自己を発見し、主張を始めつつある世代。

これで、「萌え」という言葉に代わる名前を見つけりゃ、一気に社会認知が進むんだろなぁ。

投稿: めたろう | 2006/11/28 11:37

後で気が付きました。
岡田氏のオタキングとは、
オタク界で他のオタクたちを睥睨し、
自分は最高権威にして権力者(つもり)だと。
「オタク民たちは余にかしずくがよい。」
と偉そうに王様宣言した言い方だったんですね。

オタク世界の中心で「I」を叫んでいるつもりのトシオくん・・
だったか。

投稿: にょろ | 2006/11/28 12:29

めたろうさん、ご丁寧に有り難うございました 筒井さんの世代の件おっしゃる通りだと思いました 
「萌え」ということばは、オタクの美少女願望みたいな性的なところをやんわりとオブラートに言い換えたみたいだし、商業的なあざとさもあって好きではないです。

投稿: たにしんいち | 2006/11/28 12:33

「萌え」も本質を突いた名前だとは思うんですがねぇ。

「創作に対しての留保」の話で言えば、
「オタク」は「コミュニケーションに対する留保、懐疑」を示した言葉ですね。
留保はあってもコミュニケーションはあった。

「萌え」はコミュニケーションじゃないですからね。
信仰告白です。

投稿: めたろう | 2006/11/28 12:51

訂正

コミュニケーション→○対人関係

投稿: めたろう | 2006/11/28 12:52

>たとえば宮崎さんにしても、
>自分の作品に「元ネタ」があることは承知していると思うんですよ。
>それでもあえて「自分のもの=オリジナル」
>として提示できる信仰に近い「強さ」はどこから来るのか

自分の作品の方が、「元ネタ」より上だという自信があるからじゃないでしょうか?
これだけ上手く加工してやったんだからパクられた方も本望だろうという傲慢さから来るものだと思います。

投稿: 忍天堂 | 2006/11/28 23:05

宮崎駿監督の
>それでもあえて「自分のもの=オリジナル」
>として提示できる信仰に近い「強さ」はどこから来るのか
ですが、こんな話を聞いたことがあります。

大塚康夫氏が何かの講演だかセミナーだかで話していたそうなのですが、「未来少年コナン」制作中のこと、ある日宮崎駿が大塚康夫に三角塔の地下に住む住人たちのアイデアスケッチを見せたのだそうです。
ところが、そこに描かれていたのは明らかに間抜け系のバカ面キャラ達。
それを見た大塚康夫が「違うよ、宮さん。例え貧乏でもみんながバカなわけじゃない。きっと賢いやつもバカなやつも両方いるんだよ。」と言うと、宮崎駿はしばし考え込んで「もう一度考えてみる。」と言ったそうです。
で、翌日。宮崎駿が描いてきた新しいアイデアスケッチには利口そうなやつ、間抜けそうなやつといろいろな人たちが描かれていたそうなのですが、問題はそのときに宮崎駿が大塚康夫に語った言葉。
「俺さあ、昨日考えたんだけどさ、貧乏人の中にもきっと賢いやつもバカなやつも両方いると思うんだよね。だからこの地下住人達にも普通に両方の人たちがいると思うんだよ。」
昨日の会話のことはきれいさっぱり忘れて一から全て自分で思いついたつもりになっている宮崎駿を見て大塚康夫は開いた口がふさがらず「こいつには勝てん。」と思ったとのこと。

宮崎駿が自分のアイデアをオリジナルと信じられる「強さ」はもちろんオタク世代と比較した時の世代的な理由ももちろんあると思いますが、なんというか、彼個人の特性によるいわゆる「天然」的な部分も多分にあるのだと思います。
ちょっと例えが違いますが長嶋茂雄と同じ種類の天才性を持っているのかもしれません。

投稿: 骨男 | 2006/11/29 14:06

出典はここですね。
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/outotori/ohtsuka-outotori.html
地下住人うんぬんの逸話ですが、駿さんは大塚氏の指摘に烈火のごとく怒ったとあります。

ただ、オリジナリティについてはまた別の論議が必要だと思います。
駿さんも秀明さんも脳内での創作創造過程はそんなに違っていなくて
でも後者は引用元の作品によっかかる(≒馴れ合い意識)のを目的の一つに置いているのに対して
前者は寄っかかるつもりはなくて、自作品単体ですっくと立っている。

次元や五右衛門の肩によっかかってヘロンと立っているルパン孫と
マウンドに両足でばーんと立つ飛勇馬の違い、と言いますか。

投稿: Aa | 2006/11/29 15:04

>Aaさん
お、こんなのが公開されていたんですね。
僕は大塚康夫の講演を実際に聴いてきた友人から聞いたのですが、きっと大塚康夫の宮崎駿に関する「持ちネタ」なんでしょうね。

個人的には世代的に観た場合、オリジナルと引用に対する感覚はきっと螺旋を描いて繰り返しているのだと思います。
日本のアニメはまだそのサイクルが一巡しかしていませんが、例えばハリウッド映画はそのサイクルが2巡くらいしているように思う。
小説や音楽においてはもう何巡したのかわからない。
つまり、オタク談義においてこの問題がことさら取り上げられるのはアニメや漫画の歴史がまだ浅いからそれがわかりやすいだけで、決してオタク以前と以降や、オタクの各世代間に決定的な差があるわけでは無いと考えています。
単にそういうオタク的なメディアが比較的新しいものばかりなのでそのサイクルの変遷がわかりやすいだけなのだという認識です。

ちょっと話がズレますが、日本は戦前と戦後で社会全体が一度リセットされたようなところがありますので、つい最近までは社会全体もこのサイクルの一巡目をやっていて、ここ数年でもしかしたら二巡目に入ったのかな?という気がしています。
どういう意味だと言われると困るのですが。

投稿: 骨男 | 2006/11/29 15:55

>さっき気づいたんですがオタク第n世代って、知識の豊富なアニメマニア、まだ知識の薄いマニア、キャラにはまってるミーハーなファンというオタク階級制を世代論に投影しただけで、世代でもなんでもないですね。
>いつまでたっても第4世代がでないし。

これは気になるところなんですよね。
僕は70年代半ば生まれで、ロフトプラスワン界隈なんかでは7、8年前には僕らの歳あたりからが第三世代とか言われていた覚えがありますけど、今ではバッチリ第二世代扱いですよ。
2.5世代だとか言われたりもしますけど、そういう言い方自体がオタク世代論の安易さを証明してるようなもんだと思いますし。

投稿: ポン一 | 2006/11/29 15:57

>>骨男 さま
>どういう意味だと言われると困るのですが

わかります。同じものを私も感じるから。

投稿: Aa | 2006/11/29 16:48

 ボクは同じものを感じませんねぇ(w
まあ、世代ごとに一方的に区切ってしまうのは問題だと思うので反対するわけじゃないんですが、もっと人って多様だと信じたいなぁ。
 日本も今度は勝てますよ。なんてね。

投稿: 情苦 | 2006/11/29 17:03

>Aaさん
お返しと言うわけではないですが、

>>『エヴァ』で庵野さんが、創作者の立場からオタク批判をぶった時に、激烈な反発をかったのはそのせいですよ
>なんか違うと思う。

僕も違うと思いました。(笑)


>情苦さん
>もっと人って多様だと信じたいなぁ。

あれ?
僕も人は多様だと思っていますよ?

どちらかと言うと日本社会が2巡目に入ったのは良いこととして捉えています。

投稿: 骨男 | 2006/11/29 17:47

日本社会が2巡目に入ったというのは、
違うんじゃない。
いつリセットがあったと?
まさかバブル崩壊と世界大戦を一緒にしてませんよね。
今が焼け跡状態だと言うんですか?
個人の観念だけの印象とはいえ、ちょっとヌルくないですか。

投稿: にせロッカー | 2006/11/29 19:29

>今が焼け跡状態だと言うんですか?

このあいだの『日本沈没』で日本列島が結局沈没しなかったのは印象的でした。

日本列島が海溝に引きずり落とされるのを止めるために、海底プレートを爆薬で引きちぎるという設定でした。あれは私には何だか戦後という重苦しい「歴史」への決別宣言のように思えました。

投稿: Aa | 2006/11/29 19:41

 個人の成長は螺旋的に進むとのではないかと考えているオイラは、骨男さんの螺旋説もなんとなく納得できます。

 宮崎駿監督の指摘されたことを忘れて、さも自分が考えたかのようにするという話は富野由悠季監督にもあるようです。

 たしか、NHKのBSアニメ夜話でアニメ監督の北久保弘之さんが話したことなのですが、アニメータのときに富野監督に動画の中割をするときに考えていることを聞かれ、自分の考えを述べると、「違う!」と一蹴され、今述べたこととまったく同じことをを延々と語られた、という話です。

世代的な共通点?があるのかもしれませんね…

投稿: 豆たろう | 2006/11/29 20:00

>Aaさん
>戦後という重苦しい「歴史」への決別宣言のように思えました。

なんか、うがち過ぎじゃないか。(ネタバレだし。)
「日沈」は、むしろストレートに沈んだほうが
決別のメッセージになるでしょうよ。
特に小説や旧作を知らない多くの観客にとっては。

投稿: にせロッカー | 2006/11/29 20:26

>にせロッカー さん

いやいや、リセットされていないからこそ2巡目だと感じるのです。
リセットされていたらまた一巡目になってしまう。

もちろん2巡目と言っても同じことを繰り返すのではなくって、サイクルが一回りしたというだけの意味で前回とは全く違うことがこれから起こるのは当然です。
いわゆる螺旋状の循環ですね。
あと、ここから2巡目と言うような明確な境界もないです。
これはさらに時代が進んで3巡目、4巡目となるに従ってますます境界は曖昧になると思います。

で、どういう意味で具体的に何が2巡目なのかと言われると最初に書いたとおり困ってしまうのですが、感覚的に言っていいのならこんな感じ。

戦後世代の我々は実は今まで我々自身の歴史を持っていなかった。戦前の歴史は日本の歴史ではあるけれど、我々の歴史では無い。
少なくとも心情的につながっていない。
それが、ここ最近ようやく戦後だけでも一応歴史と言えるだけ積み重ねが揃ったような気がする。
なんとなく僕にはそれを「サイクルが一巡した」と表現するのがしっくり来る、と、、、

元の話題だったオリジナル/引用の話も、オタク世代論もそういう大きな出来事の一部に思えます。

それから、ちょっと矮小な話になりそうでいやなのですが、前回のバブル絶頂期がある意味で一巡目の「あがり」みたいなものであったのはまあそうだったのだと思います。
で、そこで「リセット」を起こしてもう一度一巡目をスタートできればある意味楽だったのかもしれないけれど、現実にはそんなリセットは起こらなかった。
この辺の話はオウムとも絡みますね。

まあ、そんな感じです。

投稿: 骨男 | 2006/11/29 20:29

あ、書いていた間に話が進んでいた。
「日沈」(が、ネタバレなのはともかくとして)で沈めてしまってはリセットを願っていることになるのだと思います。
だからこの文脈で言うなら沈めなかったのは「リセットなんて無い」ということを認める宣言だと思う。
それがエンターテイメントとして正しいかどうかは別として。

あと最近のヒット作で言えば「ハルヒ」が非日常から日常に帰還する事がメインプロットになっているのも偶然では無いと思う。

実はそういう「日常肯定」を最近あちこちで感じるので「ああ、本当に2巡目に入ったな」と感じたのでした。

投稿: 骨男 | 2006/11/29 20:38

あ、書いていた間に話が進んでいた。
「日沈」(が、ネタバレなのはともかくとして)で沈めてしまってはリセットを願っていることになるのだと思います。
だからこの文脈で言うなら沈めなかったのは「リセットなんて無い」ということを認める宣言だと思う。
それがエンターテイメントとして正しいかどうかは別として。

あと最近のヒット作で言えば「ハルヒ」が非日常から日常に帰還する事がメインプロットになっているのも偶然では無いと思う。

実はそういう「日常肯定」を最近あちこちで感じるので「ああ、本当に2巡目に入ったな」と感じたのでした。

投稿: 骨男 | 2006/11/29 20:39

>>にせロッカー さま
>なんか、うがち過ぎじゃないか。

原作は何度も読み返して思い入れがあります。
小松先生はもろに戦中派だから、戦後の繁栄がどうしても胡散臭かったのでしょう。
それでああいう大技を使って日本(というか日本人)を敗戦直後に引き戻したかったのだと思います。

でも、このあいだの映画は原作とは180度違う方向を向いているように感じました。
敗戦のショックと焼け跡を出発点にしない世代が日本のメインになったのだなー、と。

投稿: Aa | 2006/11/29 20:41

あれ?2重投稿になってしまった。
すみません。
できれば削除願います。>たけくまさん

投稿: 骨男 | 2006/11/29 20:43

あ、書いていた間に話が進んでいた。
「日沈」(が、ネタバレなのはともかくとして)で沈めてしまってはリセットを願っていることになるのだと思います。
だからこの文脈で言うなら沈めなかったのは「リセットなんて無い」ということを認める宣言だと思う。
それがエンターテイメントとして正しいかどうかは別として。

あと最近のヒット作で言えば「ハルヒ」が非日常から日常に帰還する事がメインプロットになっているのも偶然では無いと思う。

実はそういう「日常肯定」を最近あちこちで感じるので「ああ、本当に2巡目に入ったな」と感じたのでした。

投稿: 骨男 | 2006/11/29 21:01

二順目って話にかんしてですがね。

80年代バブルを大正の大戦景気と置き換えて
90年代あたりを大正モダニズム
現在を2・26直前の日本に置き換えたほうが
しっくりくるって思いませんか。

単純に似たような事くりかえしてるのは間違いないです。戦争に向かうかと言えば必ずしもそうとはいえないと思いますが。当時だって事変が起こる直前まで感覚的にあは平和だったらしいんですよねぇー。現代日本もいつどうなることやら。

ちなみに映像文化なんかの発展の状況も、ごく大まかに考えるぶんには似てるように思われます。

投稿: 無職 | 2006/11/29 21:05

>現在を2・26直前の日本に

こういうアナロジーはなんにでも使えてしまうので好きになれません。

なんでもかんでも軍靴の足音で締めくくって遊ぶスレが2ちゃんにありました。

投稿: Aa | 2006/11/29 21:14

二順目の区切りがどこなのかは難しいです、、、、。
私は71年生まれですが、他の年代の人もそうでしょうけど、「終わりの始まり」を何度もみてるからなぁ。
・バブル~冷戦終了~湾岸戦争の90年代頭
・阪神大震災/オウム/エヴァ/WIN95の95~96年(ちなみに個人的には筒井さんが断筆してたこの時期が本命に思える)
・世紀末~2ch~携帯・BBの定着~9・11の21世紀初頭

5年毎に来とるがな。

投稿: めたろう | 2006/11/29 21:34

いや2・26はオウムに置き換えられるかなぁ??

そうするとですねぇ今頃の時期には黒澤明がデビューして何本か撮った頃の時期と言う風に考えることも出来る。

好景気が大衆文化の下地をつくり、そこで育った世代が次のエポックメイキングな作品を作る。そこが重要なんですよ。戦争自体はもしかするとあまり重要では無いかも知れない。

それがエヴァンゲリオンであり庵野監督なのかどうかは、未来人では無い僕には何んとも言えません。

なんつって!

いずれにしても言葉遊びにすぎませんがねー確かに。

戦後との決別なんて解釈がやはり、ろまーんちっく、かつ具体性に欠ける感じで的を得てるからそっちで行きましょう、失礼いたしました。

投稿: 無職 | 2006/11/29 21:45

>戦後との決別なんて解釈がやはり

私が子どもの頃は空襲経験のある教師なんてざらでした。

あの人たちが自分の生徒たちの行いを褒めたり叱ったりする際の基準は、結局は「食べるものがないよ~物がないよ~火の雨が降ってくるよ~」な時代の記憶でした。

戦争はいけない暴力はいけない話し合いで解決せよ給食は残すな物を大事にせよ、等。

なんでもかんでも「あの頃」を引き合いに出してきました。口にはしなくても、それが連中の基本であり良識であり良心だったのです。

苦しい経験だったとは思います。同情もします。だけど、自分たちの悲惨な経験を絶対不可侵な聖域にして、そして根拠にして全てを斬ってくるのは今考えるととんでもないマインド・コントロールだったのではないか。そんな気がします。

投稿: Aa | 2006/11/29 22:09

戦争を絡めるのがいやらしいと言いたいのはわかりますけどね。

しかし国家経済と大衆文化の発展の関係を無視してその歴史を語ろうとするのも無理があるでしょう。

結局のところ戦争を悲惨な物として感情的に捉えるだけじゃ駄目なんですよ、その点じゃあなたもそういう人たちと同じだ。例えばです、映画会社の東宝は軍部と結びつくことで戦争という不況を乗り切ってる。それはつまり黒澤明は戦争経済に育てられたとも言い換えられるということです。

知識が少ないせいでそのくらいしか例を挙げられないのが口惜しいんですが、そう考えた時、感傷的な物を全部ふっとばせば、儲かるところでこそ才能が育つと言う図式が見えてくる。

別に軍部とくっつく必要はありませんが、他とは違うやりかたで儲ける方法を実践してる所に次の才能が出てくる。

うおーちゅうことはよく考えたら、ネット配信用の良質なソフトを望んでるIT企業と圧縮に向いたアニメーションが親和性が高いのは必然!!!

アニメが面白くなるのはこれからだーーーーー!!!


(つごうにより技術の空洞化等の問題は無視しております)


というようなですな、希望的な結論を歴史から妄想することも出来るのですよ。

投稿: 無職 | 2006/11/30 00:34

>結局のところ戦争を悲惨な物として感情的に捉えるだけじゃ

そうではないのですよそうでは。

以前、東大紛争で最後まで立てこもって逮捕された当時の学生が、初老の歳になって綴った回想本を読んだことがあります。

当事者だけあって異様に生々しい内容でした。これ映画にできるんじゃないかなとさえ感じたほどです。

でも、最終章の締めがなんか妙なんです。太平洋戦争の経験者が戦後日本の有様にあれこれ難癖をつけるスタイルが、この本でもそっくりそのまま繰り返されていました。

戦争は大なり小なり当時の日本臣民+αが関係し経験したものだったのに対して、大学紛争はしょせん日本のごく一部の事件でしかありませんでした。

どちらがより後世への縛りとして機能したか。答えは明白ですよねー。

投稿: Aa | 2006/11/30 00:50

 まあなんというか、話の上の話というか。
宮崎監督富野監督のことだって、彼らが特別なんじゃなく誰にでもあることなのかもしれない。なにせ自覚症状がないんだから、ボクたちだって案外わかりませんよ。
 それに、起こった事件を取り上げて大予言を浮かび上がらせようとするのも面白いんだけども、これもなかなかはっきりしない、危険で、解釈しだいでどうにでもなるものだと思うのです。
 螺旋だけにどこで決定的に曲がっているのかわからないってことでしょう。
 

 で、その上でも骨男さんの考えはわかる。わかるんだけれどもボクはそう表現したくないな、と。手塚的螺旋より釈迦的解脱というか。
 リセットというと、また日本が戦争を起こして負けて手塚宮崎が生まれてと、輪廻とカン違いされるんじゃないかと思うんですねぇ。
 オリジナルとコピーだって、アニメを分子レベルにまで分解できる目をぼく達が持った所でまたくっつけられないんだから。
 世の中はすべてコピーだ、といえばそうだけど。問題はそこに自ら入ったんじゃなくそういう状況に立たされていることだから・・・ウルトラセブンとデビルマンと美少女を組み合わせればエヴァが作れます、はい、と元素を渡されてもみんながエヴァ作れないわけです。その組み合わせる(表現できる)エネルギーがどっかから沸かないと。

 ちなみにハルヒの「日常肯定」ですが、ぼくはあまり好きじゃないんだなぁ(w)

投稿: 情苦 | 2006/11/30 01:01

ファッションなんてもう何回転もしてますよ。
ちょっとずつディティールを変えながらね。
「社会が2巡り」とか大げさに構えないで、
せめて文化とかに絞り込まないと議論にはならないと思いますよ。

戦前を知っているうちの親父が言うには、
今の風潮は日中戦争始まる前の頃のイヤな感じが似ているんだそうです。
特に小泉政権からこっち。

投稿: エイジロー | 2006/11/30 01:54

>今の風潮は日中戦争始まる前の頃のイヤな感じが似ているんだ

満州事変はスルーですか。

投稿: Aa | 2006/11/30 04:32

はいそうです。

投稿: エイジロー | 2006/11/30 04:59

ぼくは歴史に詳しくないのでよく解りませんが、
何にせよ人を感動させる表現というのは、
図らずもやってる人間が例外なく「フルチン状態」になっている、
ということじゃないですかね。

それが「リミックス」だろうとなかろうと。

「さるまん」も「エヴァ」も「ナウシカ」も
作ってる人間の苦しみまで伝わってくる
じゃないですか。

それが人を感動させるんじゃないでしょうか。

何かをなぞることばかりに固執して、
いつまでもチンチンを隠してるような表現が
本当のクソなんだと思います。

投稿: apg | 2006/11/30 11:18

ま、ド素人の門外漢である私のようなものにもキッパリいいうる唯一のことは、フルチンよりも全裸の美女で感動したいものだ、ということである。

投稿: サエズリ・コトリ | 2006/11/30 12:28

チンチンを見せるというのが難しいのだと思います。

「ほーれ、我がちんちんを見るがいいいいぃぃ!」
「あんた!ちんこが無いよ!」
「えーーーー!」

なんか、漫画太郎のネタでありそうだな、というその韜晦がいかんのよな、、、、。

投稿: めたろう | 2006/11/30 12:43

個人的な感覚では、
確かにチンチンを見せるのは難しいことだとは
思うんですが、それは結構表現において
「最低限」必要なことではないかと思います。

小手先、手癖で作られたものほど
つまらんものはないですからね。

投稿: apg | 2006/11/30 12:57

はなしがチンチンの話になりつつありますが、ちょっとだけ2巡目のはなしを。

>現在を2・26直前の日本に
>2・26はオウムに置き換えられる
>今の風潮は日中戦争始まる前の頃のイヤな感じ
のような過去の出来事と最近の出来事に類似点を探して対比してみるというのはそれはそれで意味があるし面白いのですが、僕が2巡目に入ったと感じるのはそういう意味ではないんです。

何でも新しい分野が始まったり、戦後の日本のように過去との流れを分断してしきりなおしたりした後に起こる変化を僕はこう普遍化しているんです。
1、はじめの一世代が自動的にパイオニア世代になっていろんなことをはじめる。
2、続く世代がそれを発展させて、更にその次の世代がそれを発展させて、、、と続いていく。
3、その内になんとなく「行き詰った感」が漂ってくる。
4、しかし、そのうちにその行き詰った状態そのものがまた新たな環境として認識できるようになる。
5、そういう新たな環境でまたパイオニア的な心理状態の人たちが出てくる。
以下2~5を繰り返し

言うまでもなく、古い歴史がある場合はこれがすでに何度も繰り返されているのでもう始まりがどうだったとかそういうことはあまり意識されなくなっています。
が、オタク分野や、戦後の日本社会そのものは今ちょうど5に差し掛かったところなのではないか?と思うのです。

もちろん、こういう動きとは全く無関係に世の中をきな臭くさせたがる人たちと言うのは常にいますから、もしそういう人たちが力を得て本当に戦争とか何かが起こって物理的にリセットがかけられてしまえばサイクルはまた1に巻き戻されてしまいますが、それはこの1~5の流れとは無関係に起こる別の事象という認識です。
だから、特に大予言を浮かび上がらせるつもりではないし、それはできないと思っています。


>リセットというと、また日本が戦争を起こして負けて手塚宮崎が生まれてと、輪廻とカン違いされるんじゃないかと思うんですねぇ。
何度か書いていますが、僕は逆にそのリセットが起こらないことに注目しているわけです。
大友の「アキラ」や、オウムの「終末願望」は明らかにこのリセットを心のどこかで待ち望む状態だったわけですが、そういう状態は過ぎたように感じるわけです。

>ファッションなんてもう何回転もしてますよ。
ファッションのサイクルが特別に早いのは業界自身がサイクルを意図的にマッチポンプでまわしているからですね。
ファッション以外でも文学や音楽ももう何回転もしていてサイクルはほとんど意識されないと思います。
「社会が」って大げさに構えているつもりはなくって、あくまでもオリジナル・引用やオタク世代論の背後のロジックのつもりです。

もうひとつ。
>宮崎監督富野監督のことだって、彼らが特別なんじゃなく誰にでもあることなのかもしれない。

ですが、これが宮崎、富野の世代に特有なものではないことは同意します。
現に宮崎駿と同世代の大塚康夫は違うわけだし。
しかし、
>彼らが特別なんじゃなく誰にでもあること
は違うと思います。
なんというか、やはり彼らは特別な人たちで、素の天然でこれができるのはバカか天才のどちらかなのだと思います。
とても普通の人にはできない。
なにせあの大塚康夫でさえできなかったわけで、だから「こいつには、勝てない。」と言ったのだと思います。


最後にチンチンのはなしですが、確か「もののけ」の時に庵野が宮崎駿のことを「パンツを脱がないからダメ」と言っていて、それを受けて宮崎駿が作ったのが「千と千尋」でした。
確かに「千と千尋」は宮崎監督の恥ずかしい部分をさらしているように思います。

長文失礼。

投稿: 骨男 | 2006/11/30 15:02

apg様 失礼致しました。

チンチンに対する懐疑、というのがここまで語られてきた重要な議題だと思うので続けて書いてしまいますが。
自分のちんちんに自信が持てない、というのが、

古い世代であればストレートに短小包茎に対する悩みですむわけですが、

その次世代になってくると
「これはチンチンなのか」
「俺にはチンチンがないのではないか」
「チンチンに意味はあるのか」
「チンチンに顔を描いてみたら愛嬌が出るのではないか」
「性転換するべきか」
などとウジウジ悩む様になるのでありましょう。

でその下の代はパンツを知らない、、、等とまた暴言を。


投稿: めたろう | 2006/11/30 15:14

 あ、輪廻じゃないんですねぇ。
前は30分回しでテープを巻き戻していたのに、今は31分を越してもリセットにならずテープが回り続けているから二巡目ってことですか。


>>宮崎、富野
 まあ、たしかに普通に世に出ていたら生きていけないくらい変人ですけど。でも、そうなると少なくともたけくまさんの言うオリジナルとコピーというものがまたわけわからなくなる。気がする。

>>庵野が宮崎駿のことを「パンツを脱がないからダメ」と言っていて

 ギャー、これ富野監督が庵野に吹き込んだセリフそのまんまだ(w
 庵野さんの頭の中では・・・鬱病でさらにオカしくり業界から消されかかった富野>世界になった宮崎、だった!頭のヘンになってチンチン丸出しの超富野監督スゲーw

 って、え?チンチン!?(今さら)

投稿: 情苦 | 2006/11/30 15:35

冨野=毎回パンツ脱いでる露出狂
宮崎=パンツはいたままでもチンチンの形がわかる巨根の持ち主
押井=パンツ脱いでるくせに脱いでない顔してる
庵野=創作者ならパンツ脱がなきゃダメだ!と覚悟決めないとマッパになれない
高畑=パンツ?馬鹿じゃないの、キミら

こんな違いですか。

投稿: 国立珠美 | 2006/11/30 20:53

>>2巡目の件。

どこから数えて2巡目?
まさか明治からじゃないよね?

>>他人のアイデアが自分のものの件。
時々、そういう人を見ます。天才と呼ばれる人が多いようです。茂木健一郎がそういうことを言う場面を見ました。もちろん本人、悪気はないです。

投稿: nomad | 2006/11/30 21:39

>宮崎=パンツはいたままでも○○○○の形がわかる

・・・うーん

坂本龍一が手がけた「シェルタリング・スカイ」(という映画のテーマ曲)が、何とかという曲と酷似しているそうです。本人は一切意識していなかったと思う(思いたい)のですが、本当はどうなんでしょうか。
http://www.t3.rim.or.jp/~s-muraka/midi/shelter.html

投稿: Aa | 2006/11/30 22:14

つまりこんな感じ

庵野=ヒゲゴジラ
宮崎=丸ゴシ
富野=マカロニ
高畑=パラソル

いやもう何が何だかわかりませんが

投稿: 国立珠美 | 2006/11/30 23:35

怒らないで欲しいんだが、
これは俺自身を含めての事で、
多分こういうことだろうと思う。

社会が2巡目に突入したように、
証明は出来ないがそう感じられる・・
それはその人が、老いて来た証拠である。

投稿: とげとげ戦車 | 2006/12/01 01:03

>どこから数えて2巡目?
戦前と戦後の間に断絶があるように思うので戦後から数えて、です。

>それはその人が、老いて来た証拠である。
その可能性は強く感じます。
と言うか、はじめは自分でもそう思っていた。
けど、最近どうもそれだけでは無いような気がしてきました。
どういうことかというと、僕が若い頃には「一巡目」を生きている感じを持っていたのですが、今の若い人はそれを感じていないように思うのです。

投稿: 骨男 | 2006/12/01 01:29

>> 骨男さん
> >どこから数えて2巡目?
> 戦前と戦後の間に断絶があるように思うので戦後から数えて、です。

「間違っている」と言いたいわけではありません。表現として十分とは言えないでしょうね。
観察者がどこから俯瞰しているかによって見える世界が変わります。おじいちゃんおばあちゃんからすれば感想は変わるでしょうし、吸血鬼やイアラから見ればまた感想は変わるでしょう。

個人的に、自分の人生50年分を振り返れば、2巡目に感じる、ということは大いにあり得ると思いますが。その意味で「老いてきた証拠」というのは納得でき、普遍的な表現と思います。

投稿: nomad | 2006/12/01 12:38

>nomadさん
>表現として十分とは言えないでしょうね

それは確かにそうだと思います。
まあ、これ以上ここで書くのも何なのでのでこの辺にしておきます。

>パンツ
大友克洋はあれはやっぱ脱いでいないのでしょうか?

投稿: 骨男 | 2006/12/01 15:20

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