中森明夫氏からサイン本が
珍しいことです。中森氏とは知り合ってからたぶん23年くらいになると思いますけど、会うのは数年に一度くらいで、手紙や電話、メールを交わしたこともありませんでした。つまりそんなに親しかったわけではないので、俺の側から献本したこともなく、なのでいきなりサイン本をお送りくださったので面くらいました。どうもありがとう、中森さん。
添えてあった手紙には俺のことを「同世代の気になるライター」と書いてくれて、大変光栄に思っております。俺のほうこそ中森氏は「ずっと気になるライター」でありました。この本『アイドルにっぽん』にしても、もっと早くブログで紹介しようと思っていたのですけども、なかなか読むヒマがとれずに1ヶ月近く経過してしまいました。少しでも売れていただきたいので、最後にアフィリエイトを張っておきます。
俺が中森氏のことを気にしたのは、因縁が(いい意味で)あったこともあります。中森氏が1983年6月号の「漫画ブリッコ」に「おたくの研究」を書いたとき、俺はまったく仕事がないフリー編集者でライターでした。氏があのコラムで「おたく」という言葉を今ある形でフレーミングしたことで、「おたく」はそれまでの二人称から離れ、今日の「おたく」として定着したことは間違いありません。
二人称ではない「おたく」というネーミングは中森以前からあったという説が根強くありますけれども、かりにそういう事実があったとしても、流行るきっかけを作ったのは中森明夫氏であります。まさか、それから25年以上も使われ続ける言葉になるとは、氏自身、夢にも思わなかったでしょうが。 もっとも、中森氏の「おたくの研究」は俺は傑作だと思ったんだけれども、「ブリッコ」の編集長だった大塚英志氏はこれを「差別文章」と断じて、連載は打ち切りになりました。そして、その空いたページで新連載を始めたのが、他ならぬ俺だったわけです。
当時「漫画ブリッコ」にはデビュー間もない藤原カムイが連載を持っていて、俺はカムイからもうひとりの編集だった緒方氏を紹介され、穴の空いた中森コラムの代わりに連載することになりました。中森氏とは会ったこともなかったんだけど、間接的には俺の恩人でありますね(笑)。中森氏と俺の「因縁」とは、こういうことであります。
その後80年代の中頃になって、中森氏は「新人類の旗手」としてマスコミの脚光を浴び、あれよあれよと売れて行きました。当時は浅田彰に代表されるニューアカ(ニューアカデミズム)がブームで、みんながサブカルチャーを難しい言葉で論じ合っていましたが、中森氏は、そういうニューアカ系サブカル状況に乗りながらも、書く文章には、そうした状況に対するアイロニーも込められていましたね。
面白いと思うのは、「おたく」という言葉の事実上の生みの親である中森明夫氏が、80年代後半から90年代にかけては「SPA!」などを中心に活動した「サブカル界の黒幕」であったことです。この「黒幕」という言葉も、誰かは忘れたけど中森氏を「サブカルの黒幕」と呼んだ人がいて、氏自身がややアイロニーを込めて「黒幕」と自称しはじめたと記憶しています。
そういえば、サブカルチャーを「サブカル」と短縮表記することが流行ったのも、俺の記憶では氏が企画構成した「SPA!」の「サブカル最終戦争」という特集がはじめだったように思います。
とにかく、今の20代以下の人はたぶん知らないと思いますが、「おたく」も「サブカル」も、言葉のもとを探れば中森明夫という個人に行き着くんですよ。だからこのふたつの言葉は、単純な対立構造にはない。せいぜいが仲違いした兄弟であって、親は一緒だったりするわけです。その仲違いにしても、90年代以降の話であって、80年代までは「ほとんど同じもの」だったりするんですが。
今、歴史を振り返ると、80年代が「サブカル」の時代で、90年代は「おたく」の時代であるかのような印象がありますけど、これはそれぞれを下支えした資本構造の変化があっただけの話でしょう。
80年代の「サブカル」ブームを支えたのは、堤清二氏率いる西武セゾン・グループで、これがバブルの崩壊とともにスポンサーを降りることになって、サブカルがマスコミ的に失墜するかわりに「おたく」が経済的に注目されたのではないかな、と俺は見ています。なにしろオタクは、生活を犠牲にしてでも趣味のためには出費を厭いませんからね。デフレの時代にあって、相対的に目立つわけですよ。
ただそうした状況も、2000年代に入って少しずつ変わってきたのではないでしょうか。オタクにしてもサブカルにしても、今後本格的な格差社会になれば、そもそも「趣味」どころではありませんし。「趣味」で人格を形成してきた、高度経済成長の申し子であるわれわれは、第一世代が中年を迎えたこともあって、大幅に生き方の見直しを迫られるような気がしてなりません。
話が長くなりましたけれども、中森氏の今度の本は、80年代から2000年代にかけて「ギョーカイ」というやくざな世界で生きてきた俺や中森氏にとっての、アイドルを通した「同世代史」として面白く読みました。内容は、80年代から中森氏が書き続けてきたアイドルについてのコラム集なんですが、読んでいると、80年代と、バブル崩壊後の時代を生きるわれわれの姿が見えてきます。若い人には80年代アイドルの記述はわからないかもしれませんがね。それでも、この本を今出そうと思った中森氏の「決意」は感じられました。
「なぜ、今アイドルの本を出すのか?」ということに、根っからの「アイドルオタク」である中森氏といえども悩んだようです。結局、憲法第一条にある、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という文章から、「そうだ、天皇は国民のアイドルなんだ!」という天啓を受け、この本をまとめることができたと「まえがき」にはあります。いかにも彼らしい論法です。結果として、これは彼の「原点回帰」するような本になったけれども、彼にとっては意味のある仕事になったと思う。
2000年代に入って、オタクもサブカルも含めて、「趣味に生きる生き方」それ自体に「変質の予感」が忍び寄りつつあると俺は感じています。おそらく中森君もそうなのではないかな。まあ。お互い歳をとったこともあるけれども、俺たちより一回りも年長で、今なお「何かをやっている」糸井重里というバケモノみたいな人がいますからね。負けてはいられませんわね。
わからない人には、たぶんわからない文章になってしまいましたが、これは半分中森氏あての手紙みたいなものですから、許してください。中森君には、たぶんわかってもらえるのではないかと思いますが。中森君の手紙にもあって同感なんですけど、お互い、●●●●よりは長生きしたいものですね!
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コメント
>空いたページで新連載を
棚ぼたですか。なるほど。
投稿: あ~ | 2007/07/10 12:07
「俺の恩人」
とゆうておられるではないかい。
ちゃちゃ入れんとき。
投稿: Mアさファ | 2007/07/10 12:28
単なる印象ですが、たけくま先生が以前書いていたように、
糸井重里さんって究極的なところで
「馬鹿になれる」人なんじゃないでしょうか。
あまり世代論とかしなさそうというか。
俯瞰した視点をあえて持たない感じというか。
単純と言うか素直というかフリチンというか、
だって何時だったかほぼ日の雑感で、
「納豆は前から毎日食べていたけど
ダイエットになるならもっと食べよう」
みたいなこと言ってましたからね。
それで次の日辺りに捏造が発覚して。
懐かしの埋蔵金の一件とか。
「ちょっと待て、オレだいじょぶか?」
みたいな自己批判能力があまりないのでは
ないでしょうか。良い意味でも逆の意味でも。
そういう意味でたけくま先生とは器が違うというか。
いや別にたけくま先生の器が小さいとかいう訳じゃなく、
何か負けられない人の例えとして違うんじゃないかと。
そんな気がしました。
投稿: apg | 2007/07/10 12:30
>今後本格的な格差社会になれば、そもそも「趣味」どころではありません
本当にそうですよね。
後向きな考え方なのですが、
「サブカル」も「オタク」も文化ですから、
これからは積極的に意識して文化を守る必要があるのかもしれませんね。
文化を保存・継承するために、若い世代への啓蒙活動が必要なのかもしれません。
若い世代は頭は良くて知的なのですが、なんというか、馬鹿力が欠けているような感じがします。
それにしても、毎週、新しい文化が芽生えていた昔を想うと寂しい限りですが…。
もっとも、保存活動などは、役割を終えたものは退場するという自然や市場の原理に反するものですけれど…。
それにしても、「ドラゴンボール」など世界中の子供たちに多大な思想的影響力を及ぼせる
アニメという方法を持った日本ですが、それすら失われそうで残念です。
極端な話ですが、アニメはマルクスを超える力を持っているとさえ思います。
もしかすると、未来では、米国や中国が作ったアニメを見て、子供たちは精神形成するようになるかもしれませんね。
こんなことを考えていたら、三島由紀夫の「文化防衛論」をもう一度読んでみたくなりました。
あっ、天皇つながりで、「アイドルにっぽん」にも着地できたかも(^^ゞ。
投稿: V | 2007/07/10 12:39
ブリッコの「おたく論」は結構鋭いなあと思った記憶あります。「SPA!」での中森さんの連載はあまり好きではなかった。
ブリッコで描いていた漫画家・ライターさん達ってみんなどうしているんだろうと時々思うこと有ります。
この本も機会があったら読んでみようとは思いました。
追・中森さんと大塚さんて僕はずーーーーっと同一人物だとなぜか思っていた、別の人なのですね、、、てちょいメルヘンさん入ってますか?
追・「○○○より長生きしよう」って誰ですかね(笑)まあこれから暑くなりますたけくまさんもご自愛下さい
投稿: たにしんいち | 2007/07/10 12:54
ブリッコで連載していた人の消息はたけくまメモにもリンクが貼ってある漫画ブリッコの世界で調べられるとよろしいかと思います。
谷口敬先生は井沢まさみ先生のブログによく出没しております。
井沢先生も谷口先生も今は歴史漫画にフィールドを移されて活躍しております。
ちょうど先日、平和島でCR歌姫伝説を打っている時に中森明夫さんが頭に浮かんだばかりだったので個人的にタイムリーな話題でした。
投稿: 永田電磁郎 | 2007/07/10 13:36
>「俺の恩人」
>とゆうておられるではないかい
ところがその直後に「(笑)」が入っておる。
投稿: ジャック | 2007/07/10 14:16
敬称がだんだん変化しています。
中森さん>中森氏>中森君
何故?
投稿: cx | 2007/07/10 14:17
↑途中から彼への手紙書いてる意識になったので、特に深い意味はありません。
投稿: たけくま | 2007/07/10 14:22
黒幕はブログとかサイトとか自分で開設せんのかなあ。『噂の真相』の「中森明夫のページ」はおもろい文章がおおかったなあ。
投稿: レスレスレ | 2007/07/10 15:40
そうね、でもあっちも長生きしそうだからなあ。
投稿: おがた | 2007/07/10 16:19
>二人称ではない「おたく」というネーミングは中森以前からあったという説が根強くありますけれども
これについて言えば
1983年6月号の「漫画ブリッコ」はリアルタイムで読んでいて、長らく手元に保存しておりました。(15年ほど前の引越し時に行方不明になってしまいました)
これを読んで当時思ったのは
「これと同じ内容を読んだな」
ということでした。
まさかこの時のコラムが後々これほどまでに重要になるとは
思っていなかったので、確認はしていなかったのですが
記憶によると
そのコラムが載る数ヶ月前の「ふぁんろ~ど」の柱の書き込みで読んだ記憶があり、その柱の書き込みを読んだときも、ごく当然に読み流してしたので、更に別に出典があったのだと思われます。
たけくま様の書かれたように
別に中森氏の偉業を貶めるつもりはさらさらありませんが、青春の1ページ(笑)を確かめるためにも当時のことを詳しく研究されているかたに
お教えいただけたら・・・と思います。
投稿: くまぞう | 2007/07/10 16:28
アニメファンの中に”ゲンさん”と呼ばれる人々がいて、主にセル画を収集するなどの特徴があり話相手の事をおたく、と呼ぶ…って81~2年位のOUTにぱんよめさんのイラストで紹介されていたんです。私は学生時代に旧姓から一字とって玄ちゃんと呼ばれていた事もあって強烈に印象に残っています。
この”ゲンさん”と呼ばれていた人々がいつしかその口調から”おたく”と呼ばれるようになった、いわば自然発生的なものなんじゃないかな、と思っているのですが。
投稿: 永田電磁郎 | 2007/07/10 17:02
>ブリッコで描いていた漫画家・ライターさん達って
ショタ漫画描いてるアホが約一名。
投稿: 後藤寿庵 | 2007/07/10 17:09
おたくという言葉が初出したのは月刊OUT周辺だったとは思うんだけどね。アレでしょ、浜松って編集者がいて、宇宙戦艦ヤマト特集で当てたんだけど、おたくというのが口癖だった。
コミケットが発足当時、大田区区民会館でやっていて、その「オータク区民会館」が短くなって、コアな漫画マニアをオタクと呼ぶようになった、という説を考えたんだが、まぁ、それは冗談なので忘れてくれ。
投稿: ネットゲリラ | 2007/07/10 18:09
生粋の大田っ子の旦那がおたく大田区オタクと嬉しそうに言っていたのを思い出してしまった…。
今は産業会館PIOが販売会場として有名なようです。
浜松さんってファンロードのHさんですね
投稿: 永田電磁郎 | 2007/07/10 18:35
八雲と漱石みたいな逸話。
くそっ、いま大雨でBS関係の録画が失敗ぢゃ。
>「趣味」で人格を形成してきた、高度経済成長の申し子であるわれわれは、第一世代が中年を迎えたこともあって、大幅に生き方の見直しを迫られるような気がしてなりません。
ぎくっ。
投稿: トロ~ロ | 2007/07/10 20:10
大塚さんの中森氏降ろしのエピソードに触れるたびに思うのですが、そもそも、どうして大塚さんは件の原稿を掲載したんでしょうか? 載せておいて後から怒るっていうのが不思議なんですが。
原稿が入るのがギリギリで外すに外せなかったとか、それとも大塚さんは掲載前に原稿を確認していなかったのでしょうか?
投稿: いけなか | 2007/07/10 21:16
↑あのときの中森氏担当は緒方氏でした。大塚さんは編集長ではあったけれども、緒方氏担当ページはほとんどノータッチで、本が出てからはじめて中森ページを読んだのではないかな。
投稿: たけくま | 2007/07/10 21:26
なるほど。回答ありがとうございました。
投稿: いけなか | 2007/07/10 21:55
なるほど。回答ありがとうございました。もしかして大塚さんの目に触れていたら掲載されなかったかもしれないのですね。個人的には載ってよかったと思うので、担当編集者の方の英断に感謝したい気持ちです。
投稿: いけなか | 2007/07/10 21:58
「おたく」とは平井和正のウルフガイシリーズの主人公のセリフから広まったと30年くらい前に読んだ覚えがあるんですが何だったんでしょうか?
投稿: 七星瓢虫 | 2007/07/10 22:36
「おたく」と他人を呼ぶことは、60年代全共闘世代の学生運動家のあいだではよくあったそうです。そういう呼び方がオシャレだったんでしょう。「ウルフガイ」の犬神明も、そういう時代風潮にあわせていた可能性はあります。
投稿: たけくま | 2007/07/10 23:37
さらにさかのぼれば、ざーますババアが源流ですね。
使用例:
「アーラ、おたくのワンちゃん、元気ざますね~。」
「おたく、嬢ちゃんの入学式は和装で?」
とかね・・
古過ぎか。
投稿: 漫バカ日誌 | 2007/07/11 00:28
20代前半の私にとって、この種の話題は
図書館のサブカル、オタク、アニメ等に関する
歴史書の本で学ぶ領域になっております(笑)
どなたか丁度よい入門書があったら教えて
下さい・・・
投稿: クロ | 2007/07/11 08:40
> 緒方氏担当ページはほとんどノータッチで、本が出てからはじめて中森ページを読んだのではないかな。
いや、それは違います。もう記憶の中にしかないことなのでかなり曖昧ですが、掲載前にゲラ(かなにか)を読んだ大塚氏からぼくに連絡があり、
その後何度か中森氏はじめ東京おとなクラブと、大塚氏を交えてやり取りがあったように記憶します。
その結果、いくぶん修正をして掲載したのか、あるいは突っ張って無修正のまま掲載したことで降板となったのか、正直なところ記憶は曖昧です。
ただ、ある時点から大塚氏が中森氏と直接交渉するようになり、ぼくは結果を後で聞いたという覚えはあります。
中途半端なコメントで申し訳ないですが。
たぶん中森氏の方がよく覚えているはず。
投稿: おがた | 2007/07/11 09:42
この、クロマク中森氏以前の「おたく」についての議論でいつも思い浮ぶんだが、すくなくとも濃尾地方では「いつから」とはいえないぐらい昔から大人どうしが(男でも女でも)普通に「おたく」っていってたんじゃないかとおもうんだがなあ……
それとも、これはオレのただの記憶ちがいなのかなあ……??
投稿: レスレスレ | 2007/07/11 13:02
宮澤章夫の東京大学「80年代地下文化論」講義という本にも、サブカル対おたくの話が出ていて、興味深いです。笙野頼子と大塚英志の論争(らしきもの)が出てくる必然性が、クリアに図式化されていて、びっくり。
投稿: koya | 2007/07/11 14:35
>おがた君
当事者からのコメント、ありがとうございます。
そうか。少なくともゲラ段階ではすでに大塚さんのクレームはあったのですね。ただ、「おたくの研究」は番外編もふくめて4回ほど連載されてますよね。最終回では、編集部からの圧力を匂わせる記述とともに中森氏が皮肉を書いていて、「何かあったな」とは当時から思っていました。
いずれにせよ、その中森氏はその後「おたく」について表だって論じることを止めてしまい、宮崎事件を契機にして今度は大塚氏がオタクではなく平仮名の「おたく」(中森氏の原典表記にこだわるかたちで)について、積極的に論じるようになったのは面白い状況だったと思います。
投稿: たけくま | 2007/07/11 17:33
この話あまりにも面白いので
ぜひ大塚氏、中森氏にも登場して当時の状況を話していただきたいものです・・・。
投稿: くまぞう | 2007/07/11 18:44
アノォ
●●●●さんの出世作を堀井(非ずんずん調査 さんがパロられたのが、個人的にもアウシタン的にもオオウケだったみたいですが。
別れ道前は幸せがそこここに咲いていたものれす。
俺ア●●●●さんの、あの フォーマットだけは 評価してますから。ていうか、形を変えてよく氷雪されてます。今でも。あのテーゼはあまりにも鋭いです。今でも。
でももちろん、● もうめんどくさいね ●さんの他のとこは、おんなじおもいかもしれませんのであるまする。
これでハズしてたらハズかしい。
投稿: 恐縮ひじきごはん | 2007/07/11 21:24
to 永田電磁郎さま
ブリッコ情報どうもありがとうございました
たれくまさんのリンクからはなぜか入れなかったので検索してアレしました
「ブリッコの世界」掲示板とかも含めてゆっくり見たいと思いました
投稿: たにしんいち | 2007/07/12 00:45
本当だ。「漫画ブリッコ」の世界、なぜかトップページが工事中になってますね。でも中のコンテンツは、ほぼそのまま生きているようです。
http://www.burikko.net/burikko/burilist83.html
http://www.burikko.net/people/otaku.html
↑中森氏の「おたくの研究」は、こちらで全文が
読めますね。
投稿: たけくま | 2007/07/12 01:23
「ぶりっこ関係」
ひろもりしのぶさん(マイミク)AVの脚本を書 かれました。主演は峰なゆかさん(恋からに出てた)東京マラソン完走。
中田雅喜さん(マイミク) 8月のワールドコン で上映の映画の準備(時代劇)が忙しい。
谷口敬さん 先月Gペン倶楽部出お会いしまし た。歴史物(そのとき歴史が動いた)ノマンガを描いて見えます。
投稿: やたがらす | 2007/07/12 22:59
後藤寿庵さんには、
「シャーリィ・ホームズ」の新作を書いて欲しいなあ。
(成人でなくとも一般作で作っても面白くなりそうだし。)
妙に心に残ってます・・という事はファンだって事ですね。
じゃあ、ファンです!
投稿: にょろ | 2007/07/21 15:22
竹熊さんと一緒に「ブリッコ」デビューした、川崎ぶらさんは、今は、「吉田戦車の相手役」として有名ですね。
ぶらさんの唯一の単独著作(女子高生を主人公にした連作小説)、「雨の日はいつもレイン」(角川文庫)は、傑作です。
投稿: 岡田けんいち | 2007/08/14 03:56