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2007/09/20

【blog考10】 リンクをめぐる論争(3)

●「公園の出歯亀」は犯罪か?

 「無断リンク否定派」「肯定派」の対立は、インターネットに載った自分のウェブサイトを「プライヴェート空間」と考えるか(否定派)、それとも「パブリック空間」と考えるか(肯定派)の違いではないかと思われる。無断リンク否定派にとって、ウェブサイトとは、自室や自宅の庭先に友人知人を呼んでパーティを開いているようなものだ。通行人が騒ぎを見て、通りから覗きこむくらいは構わないが、許しも乞わずに敷地内に入りこむことは困る、そういうイメージを持っているのかもしれない。

 一方「無断リンク肯定派」は、インターネットを「公園」だと考えている。あくまでそこは公共の空間で、誰の土地でもない。花見のシーズンには、サラリーマンが同僚と夜桜を楽しむためにブルーシートを敷いて陣地を作ることもある。しかしそれは一晩限りのことで、限定された時間だけ、ごく狭いスペースに陣取ることが「一般常識として」許容されているにすぎない。「無断リンク肯定派」にとって、ウェブサイトは、花見客が公園内に敷いたブルーシートみたいなものなのだろう。もともと誰の土地でもない場所に、陣地をとってそこに場所を示す看板としてURLをかかげる。リンクは、目的のURLに行き着くための方向指示版みたいなものである。

 あるいは、URLとはコミケのブース番号みたいなものだと考えればいい。ブース番号は、コミケットサービスが一回限りで便宜上各回の参加者に与えるスペース番号であって、参加者の私有地でもなんでもない。有明ビッグサイトは巨大な公共空間であり、公共の場で同人誌を売る以上、客を選ぶことなどできない。どんな客があなたの同人誌を買いにくるかわからないし、お金を払って買った以上、その本に対してどんな感想を持とうが客の自由である。あなたの本を読んだお客が、ネット上で内容に辛辣な批評をしたり、罵声を浴びせるようなことがあっても、それは表現を公表した当然のリスクだと割り切る他はない。

 仮に、あなたの表現がプライヴェートを含む内容で、そのプライヴェート部分を攻撃されたとしても、それはプライヴェートを公開してしまったあなたが悪い。「表現を公開する」とはそういうことなのだ。

 ちなみに刑法上、公園での覗き行為は罪に問われない。なぜなら公園は公共の場だからだ。公共の空間で恋人と乳繰りあっていたとして、それを誰かに覗かれても、公園で乳繰りあうほうが悪いわけである。「無断リンク肯定論者」が、「リンクを張られるのがイヤならネット上に公開するな」と主張するのも、この「公園の覗きは無罪」に近いものがある。覗かれたくなかったら、公園では乳繰りあうなというわけだ。

「無断リンク禁止」を唱える人の心理には、もしかするとパソコン通信時代に成立した「ネチケット」のイメージが残っているのかもしれない。パソコン通信は、会員数が100万人を超えていた最大手のニフティ・サーブでも、または私の友人が個人的にやっていた会員数10数人の草の根ネットも、基本は同じで、その掲示板を仕切るシスオペ(システム・オペレーター)と呼ばれる人が必ず存在した。シスオペは会議室(掲示板)の公式な管理者で、会議室のルールを決めたり、それを執行する権限を持っていた。ニフティなど大手通信ネットは、場を仕切るシスオペに報酬まで支払って管理を委託していたのである。

 シスオペは、場合によっては強権を発動して客を会議室から追い出すことも可能だった。パソコン通信はインターネットと違い、会員の実名も連絡先もすべて運営側に把握されている。そしてルールを守らない困った客がいれば、直接連絡して注意するか、それでも駄目な場合はアクセス権限(ID)を剥奪することもできる。インターネットにおいても、プロバイダはやろうと思えばそうすることもできるが、普通はやっても無駄である。インターネットそのものへのアクセスを禁じることは、国家にもできないのだ。

 仮にプロバイダIDを剥奪されたとしても、別のプロバイダに入会すればいくらでも同じサイトに繋げることができる。入会しなくたって、ネットカフェから繋げば同じ事だ。IDを剥奪されたら、二度と同じ掲示板の読み書きができなくなったパソコン通信とは、そこが違う。こうした管理の中で、さまざまなルールが生まれ、それがネチケットという、ネット上の道徳慣習へと変化していった。

 もちろんインターネットでも、サイトや掲示板をパスワード認証制にすれば同じことができる。だが、そうするにはサイト運営側にある程度のウェブ制作に関する知識が必要だった。そこに登場したのがmixiである。mixiは、友人を勧誘することで会員を増やすシステムであるから、mixi日記を書く人は、読者をはじめから気心の知れた友人に限定することが可能となる。万一“困ったちゃん”が入り込んだとしても、その場合はマイミクから外せばよい。mixiはパスワード制というわけではないが、事実上、それと同じ機能がある。

 私がmixiを「パソコン通信の再来」と呼んだのは、会員の身元を把握したうえで管理されるパソコン通信のように、会員(マイミク)の選別機能がシステムに用意されているという意味からである。パソコン通信は、管理権限がシスオペに集中していたが、mixiでは参加者各人がシスオペと同じようなことができる。「情報の荒野」であるインターネットの中にあって、誰もが気軽に仲間を集めて、セミクローズドな居酒屋のように盛り上がることができるのが、mixiが一般受けした最大の理由ではないかと思うのだ。

 一般の人は、自分の表現を「荒野」に向けて放つことに慣れていない。「荒野」にはどんな猛獣がいるのかわからない。法律も警察もあてにならない、すこぶるアナーキーな世界である。

 私はフリーの物書きをもう25年も続けている。過去、一度も組織に属さなかった私は、はじめから管理外の、「荒野」の住人である。自分の表現が、誰かを傷つけたとしても、あるいは逆に罵詈雑言が投げかけられても、それは「荒野」で表現する者の、当然のリスクであると理解しているつもりだ。

 しかし自分の表現が荒野の野獣に食い荒らされる覚悟がある一般人が、どれほどいるというのだろうか。覚悟がない者に、荒野にあって表現をしろというのは酷な話だ。そういう人にとってmixiは、さしずめオアシスに感じるのかもしれない。もっとも最近はmixiにも、やれマイミクから外されたとか、足跡返しをしなければだとか、近しいがゆえに頭の痛い問題も多々発生しているようだが。

 ここで私のネットに対する立場を表明すると、私には、「出版のメタファー」でインターネットを考えてしまうところが、どうしてもある。ネットと出版は別物だと頭ではわかっていてもである。私は、自己を表現する行為をもっぱら文章を書くことによって実現してきたし、それを紙メディアに印刷して多くの人に配布することで生活の糧まで得てきた。その私が、これからの人生の主軸を、ネットに置いていきたい、なんとか置けぬものか、とここ数年考えている。

 私が書こうとしているこの本は、そうした紙のメディアで生きてきた、徹頭徹尾アナログでできた人間が、インターネットというニューメディアとどうつきあっていくかということを記録する本である。次回からはあえてネットを離れ、私個人がメディアとどう付き合ってきたかを少し書いてみたい。デジタルとアナログの違いはあれど、人間が表現をし、他人に伝えることの本質には、そう違いはないと信じるからである。

▼blog考第0回
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/blog0_78a3.html
▼前回
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_8eda.html

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ブログ考」カテゴリの記事

コメント

>覗かれたくなかったら、公園で乳繰りあうな」というわけだ。
最初のカギ括弧が抜けてますが、非常に納得のいくお言葉です。

投稿:   | 2007/09/20 00:23

↑ちょっっと修正しました。
リンク論争、さすがに書いてて疲れたので、しばらく違うエントリを書きます。

投稿: たけくま | 2007/09/20 00:26

あなたの本を読んだお客が、ネット上で内容に辛辣な批評をしたり、罵声を浴びせるようなことがあっても、それは表現を公表した当然のリスクだと割り切る他はない。

>まぁ、選択肢は無いのですがこういう状況もここ10年のことで、そもそも感想を言ったり、批評をしたりってのは昔はかなり敷居が高かったですよね。罵声の桁が昔に比べて100倍、1000倍になりうる。
プロの表現者であってもネットでの罵声にカチンと来て……なんて事件もありましたけど、タフネスを表現者の必須要素にしちゃうってのはどうなんでしょうかね。
繊細な表現者を守るような仕組みがあったほうがネットが豊かになる気がしますが。

投稿: あむぁい | 2007/09/20 00:57

> 繊細な表現者を守るような仕組み

そこでSNSですよ。

投稿: nomad | 2007/09/20 01:57

> 繊細な表現者を守るような仕組み

そこでSNSですよ。

投稿: nomad | 2007/09/20 01:57

>そういう人にとってmixiは、
>さしずめ荒野のオアシスに感じるのかもしれない。
私が『mixi』をやることは無いと思いますが(友達がいない(笑))
あの、『犯罪自慢』はなんでおきるんででしょうね?

その例を貼っておきますが…
『またmixiで犯罪自慢
「コミケでただ(詐欺)で同人誌をゲットしてきた」』
http://jpgmaniax.blog69.fc2.com/blog-entry-136.html
『mixiでの犯罪自慢 → 大炎上』
http://1116.org/nori/archives/2007/08/mixi_2.html

>セミクローズドな居酒屋のように盛り上がることができるのが
↑これが原因なんですかねぇ…

投稿: naga | 2007/09/20 02:01

ぼくは老齢のくせに、人間ができてないので
<罵声>にはついムカッ!っときますね。
自分では「ホトケのクニオ」の積もりでいたい
のに。

そういう点で、故・コミケ米澤さんは
すごい人だったと思います。

これは組織管理という大きな責務があったりも
しましたからね。
あと

でも「個」としての表現者は
公園でも戦うくらいの覚悟は
必要かも知れない。
ひたすら無視~といった気持ちでいると
表現物も次第に人間味を欠いたものに
なり兼ねない危険がありませんか。

コメント・トラックバックがある環境だと
「完全なテキスト」には成り得ない。
テキストなんだ~と意識しても、どこか
会話感が残ってしまう。
書籍との大きな違いですね。

投稿: 長谷邦夫 | 2007/09/20 02:08

自分もそうですが、みんなけっこう私的な文章を書きなれていないっていうか。
つい、ポロッと出てしまって場が荒れたりするんで、祭り上げられた人を責められない気持ちもあります。

最近は、SNSでもよほど狭めて公開していないとすぐ画像取られて転載されるんで、オアシスの意味はなくなっていると思います。

ミクシィに対して不満を持っている人も多いし・・・。
mixiにまつわる怖い話
http://blog.livedoor.jp/tyokowai2ch/archives/64758685.html

投稿: 情苦 | 2007/09/20 03:02

なんか極論ばかりですよね。
考え方的にはどちらかといえば『プライヴェート派』に近い私にとって、『パブリック派』の主張丸々は抵抗あったりしますが、『プライヴェート派』も頑な過ぎる気がしますね。
確かに、ネットは公園かもしれませんね。
だけど、公園にいる人に話しかける時には挨拶をしますよね。
唐突に話しかける人は居ないでしょ。
私は、リンクをする時は一声かけるのがマナーと習ってきたので、そういうもんだって思ってました。
しかし、時にはコイツ何様?とも思うこともあったり。
私は、この問題は別に明確化したり決着付けさせたりしなくてもいいと思うんです。
だって無理だもの。
これは感情の問題だから、結論が出るのはまずありえないって思ってます。
どちらも自分の考えを押し付けるばかりですね。
私から見たらどちらも暴論のように思えます。

それよか、双方が共存できる方向性を模索したほうが良いんじゃないですか?
一声ほしい人は一声ほしいで良いじゃないですか。ロボット検索もあるかもしれないけど、本人が安心するならそれで良いと思いますよ。
一言書いてあるだけましじゃないですか。
困るのは何も普段意思表示も無しに、いざとなったら侵害だと騒ぐ連中です。
こういう輩を減らすことが先決でしょう。

ネットはグレーゾーンなのが心地よいと思ってます。

投稿: エディ | 2007/09/20 08:11

たけくま先生の場合、生徒会経験があって不特定あるいは多数の前での言論の覚悟ができたんではないでしょうか。生徒会とかで100人以上のひとまえでひとりではなす経験のあるひとは1割くらいでしょう。その1割が書き手にまわっていることがあったのが、現在はひとまえではなしたこともないひとが簡単にネットデビューしてしまうわけで、そりゃ緊張感もスキルもちがいますわ、ということなんでしょうねえ。

投稿: madi | 2007/09/20 11:13

最近のWEBコミュニティはSNSの次を目指してるようです。
たけくま先生には是非、Tumblrというユーザー投稿型コミュニティをお試しいただきたいです。

   『無断リンクとかっていうレベルじゃねーぞ!』

という世界がそこにはあります。

投稿: neodenjin | 2007/09/20 11:33

ブルーシートよりは自分の家の外壁に貼った自分新聞だと思います
で、コメントが落書きかどうかだけ気にしてる人が多い

投稿: sakimi | 2007/09/20 11:44

おらいは「荒野で食い荒らされた」経験の持ち主です。ある人は「ブログではなくプログ」と果物のような理解をして・・・個人情報がどうぞとか言ってました。まあお咎めまではなかったわけですが・・・。

投稿: blog49 | 2007/09/20 12:27

無断リンク否定派は同人誌を作ってるような人たちが多いと思っていたので、肯定派の意見をコミケのブースに例えてるのは新鮮に感じました。他人の著作物を無断利用しているような所は、目立ち過ぎると潰されるということを本能的に理解しているからなのか、無断リンクには反対の意見が今でも多いです。

投稿: Taro | 2007/09/20 12:47

>自分の表現が荒野の野獣に食い荒らされる覚悟がある一般人が、どれほどいるというのだろうか。

インターネットが隆盛を極めるにつれ
所謂表現のプロといった人達の凋落が激しいと思いますね。
インターネットの初期の頃は荒野の野獣に食い荒らされるプロが結構いたと思います。
目潰し、凶器攻撃何でもありの世界ですから。

朝日新聞もインターネット初期の頃は
一般市民に情報発信という力が加わって政府の悪を暴けるといった
好意的な論調だったと記憶していますが
まさか、インターネットが自分達に牙を剥き
ここまで食い荒らされるとは思いもよらなかったでしょうね。

投稿: 忍天丼 | 2007/09/20 13:52

以前ここでイカ漫画が掲載されました。
たけくまさんにとって、あれはあくまで教え子の習作として(本人の了解のもと)公開
したのだと思います。

でも、中には意地の悪い方もいます。
習作だろうが何だろうが、ネットに載せたんだから批判や罵声を浴びせられても
作者には言い返す権利はない!という理屈であれこれツッコミをいれる類の人たちです。

このブログ内でのいやがらせ(当人達はあくまで正当な批評行為だと考えていた
のでしょうが)
ならブログ主さんが直々にかばうことができましたが、
例えば2ちゃんねる掲示板や他のブログで叩きが連発していたら、
これは公園のデバガメ理論で肯定できたでしょうか。

リンクの話題から少しずれるけど、あの時のエントリとコメント欄でのやりとりを
ふっと思い出しました。

投稿: あ~ | 2007/09/20 14:05

叩く人がいても、かばう人も出てくるもんじゃないの?
それはコンテンツによるでしょ。

投稿: nomad | 2007/09/20 14:10

いや、コンテンツの良し悪しと関係なしに出てきたんですよ
あの論争。

投稿: あ~ | 2007/09/20 14:34

 2ちゃんねるの存在を過大に気にしすぎるのもムラ社会だなぁと思って見てるんですけど、私は2ちゃんねるで叩かれたり祭り上げられたりした経験は、一切無いですよ。
 2004年頃からブログを見始めて爾後3年強、各所に出没して与太話をやってまして。なんか仕舞いにゃアルファコメンテーター呼ばわりされて、それでも2ちゃんで叩かれたことは無いですね。全然。一切。陰で悪口言われるか問題視されることは幾らでもあるんでしょうけど。いずれも「想定内」です。単純に、無名なんですよ。構う価値のないほどに。
 あーでもスパムメールは格段に増えましたね。毎日30通前後来ますね。その程度ですか。そういうもんですか。

 なんかもう、人の繋がりというかそのへんの機微が呪術的なんですけど。なぜそこでブードゥー!? みたいな原住民根性。だ、大丈夫ですか? という感じ。

 主に叩かれるのはオタクかオタク趣味だと思うんですけど、どうなんでしょうね? そのへんのところ。やっぱキモいんですかね? 死体に蛆が湧いてるみたいな、そういう類のセンスで見ちゃうんですかね? んだから、叩きに容赦が無くて叩かれたほうも(周囲から見て不思議なくらい)傷付くんですかね? どうなんでしょうね? そのへんのところ。人の心の溝は深い…。深すぎます…。南無…。

投稿: 渡辺裕 | 2007/09/20 15:45

>朝日新聞もインターネット初期の頃は一般市民に情報発信という力が加わって政府の悪を暴けるといった好意的な論調だったと記憶していますが
>まさか、インターネットが自分達に牙を剥きここまで食い荒らされるとは思いもよらなかったでしょうね。

 室町中期~戦国初期に至る、みたいな按配ですかね。明との交易止めて国内自給自足体制に移行して当然のように貧乏になって、窮した時の権力者が目先の都合で足軽や座の存在を許しちゃったから、結局そういう連中が力持って権力倒しちゃうんですよね。嗚呼…って感じ。時代は繰り返す…。南無…。

 日本人に学習能力はないのかと。センスが江戸! 何百年遅れ!? そんな感じ。

投稿: 渡辺裕 | 2007/09/20 15:54

確かに原則に則れば公共の場での覗きは罪にはならない
のでしょうが、この前テレビで公園の水場で盗撮行為を
していた男が迷惑条例違反とかで逮捕者が出てました。
乳繰るほうも見る方も最低限のデリカシーは欲しいと。

投稿: 通りすがり | 2007/09/20 19:56

・生殺与奪権利は愛し合う二人のみが相互のみに用いうる権利である
・この権利を広範に用いることを至上の悦びと考える種類の人類が存在する

結論:
愛の不在が小言幸兵衛を生む

現実:
小言幸兵衛のまたも棄てられる日

投稿: ハーローの国のひじきごはん | 2007/09/20 20:13

>プロの表現者であってもネットでの罵声にカチンと来て

特定の権力者が政治を行っていた古代と違いますからね・・・。究極の民主主義であるネットは難しいです。誰でも何でも実行できる。
政治の世界では、それこそ「1984」のようにある程度大衆を操る技術が何百年もかけて作られましたが、ネットは過渡期なので難しいですね。しかもスピードが10年が1年くらいのスピードです。グーグルアースなんて国家機密漏洩罪ですよw。地図は古代より軍事機密で特定の人しか触れられなかった。

古い世代にとってネットは不気味です。だって守られていた壁が一気に無くなりましたが。ライターの悪行がネットで叩かれたり。家で裸踊りをしたつもりが公園でやっていたという人が多いこと

格言「ネットにつないだらそこは戦場と思え」

投稿: 古参 | 2007/09/21 19:05

>所謂表現のプロといった人達の凋落が激しいと思いますね。
インターネットの初期の頃は荒野の野獣に食い荒らされるプロが結構いたと思います。
目潰し、凶器攻撃何でもありの世界ですから。


所謂左の人たちが一番最初、ネットに目を付けたそうです。彼らは頭が良いのでそれこそ簡単にマスターできる。

だけどその後、技術の向上とともに素人にも簡単に扱えるようになった。

すると「朝日新聞の嘘」が暴かれるようになった。

こういう経緯のようです。だから素人が突っ込みを入れるようになった。素人といえども記者よりは玄人ですが。

記者は意外にものを知らないは広報の世界では常識だそうです。『新聞が面白くない理由』

プロが間違っていたのは、リアル世界に防御があったことを忘れていた。編集者なり出版社なりが守っていましたが、ネットはそうはいかなかった。

最近ではリアル世界でも記者や執筆者を相手に裁判を起こすようになっていますが。

投稿: 古参 | 2007/09/21 19:18

同人関係だと801系同人作家のサイトの多くは、非常にリンクされることに神経質です。robot.txtによる検索エンジンよけは常識で、2chなどに書き込む際もキャラ名を一文字ずつスラッシュで挟んで単語で検索されないようにしたり。

ではそもそもどうやって趣味の士で交流を図るのか、サイト同士のつながりはどうなっているのかというと、趣味の合う人同士がメールでやり取りし、サイトごとのリンクページでつながっているわけです。数年前はwebリングでの繋がりが多かったようですが、大手リングサイトが終了してしまい、さらに引っ込んでしまった。

なんで801がこんな状態かというのはよくわからないのですが、なぜか男性向けエロ同人サイトよりも著作権を恐れている事、それ以上にカップリングの趣味が合わない人は敵という強烈な仲間意識があるようです。カップルにするキャラの選択、どっちが受けでどっちが責めというところは、どうしても譲れないものがあるんですね。

このへんを取材すると、サルまん2.0にもいいネタになると思いますよ。

投稿: 後藤寿庵 | 2007/09/22 14:31

 愚見ですが。
>なぜか男性向けエロ同人サイトよりも著作権を恐れている事、

 (今のところ)やってることに発展性が無いですから、開放的になれないんですよね。

 男性向けエロ同人作家さんは、アニメ・DVDの制作事業に進出したりしますから、仕事や儲けの幅が広いでしょ。だから、漫画で何かを表現して売り出すことは、自分たちが幅広く行っている活動の「一環」ですし、どちらかと言えば顔見世興行や宣伝広告くらいの意味合いで考えていらっしゃる場合もあるようです。
 同人あがりからエロアダルト関連の制作会社に入ったり、外注で参加したり。そういう意味での社交性や社会性に依存している場合が多いように感じます。儲け・商売の一環なんですよ。場合によっては「生きる道」化しますよね。だから、著作権無視で怒られる可能性が、逆に低い。自分たちも商売として動いているわけですし、そうである以上企業(組織)の方との交流もありますし、場合によっては手助けしあうこともありますから、それは駄目だと筋を通しにくい。自らがある程度の実力を身に付けることで自らを守っていると。そういう側面があるように思います。

 対して801同人の方は、主導的に行っているのは女流プロだったりしますけど、総じて男性作家に比べて活動性が低く、通常の会社勤務やフリー活動の「余技・小遣い稼ぎ・息抜き・ボランティア活動(←おい)」くらいの意味合いで参加している人が多いような印象を受けます。生活をそこまで懸けていないと言いましょうか。あくまで趣味・余技なんじゃないかと思います。
 なので、違法行為を咎められて下手に通報でもされて勤務している会社で「やばい人」扱いされると、たちまち生活に支障を来たしますから。実際には強烈な犯罪行為でも仕出かさない限り801で摘発なんか有り得ないんですけど、そういう部分への恐怖感が強いので、著作権に及び腰なんだと思います。
 あとまあ、単純に801はキモいですから。一般の感想として。男性向けエロでもキモいと判断する人はしますよね。んで、顧客層で男性向けエロをキモいと思わない人でも801はキモいと判断する人って結構居ますから、世間に対する疎外感は、男性のオタクより強く持っている場合が多いと思います。801趣味以外の分野で社交的で快活な人も多いでしょうから「非社交的=ネクラ」という断定は出来ませんが、「自分たちの趣味は非常に反社会的で犯罪的である」という意識を持っていたり、(自分でそこまで思っていなくても)そうと断じられることに強い拒否感を持つ。
 なので、そういった傾向の積み重ねの上に著作権的な「抑え付けるもの」に対する拒否感があるのかな、という感じですね。

>それ以上にカップリングの趣味が合わない人は敵という強烈な仲間意識があるようです。カップルにするキャラの選択、どっちが受けでどっちが責めというところは、どうしても譲れないものがあるんですね。

 ○×判断が強烈ですよね。801の人に限りませんけど、男女問わず自分の趣味や理想や美意識に拘泥しまくって、別の意見をまったく受け入れない人って、普通にいますよ。
 だから多分801をやっている人は、その点を言われても「そんなの私だけじゃなくて他の人でも普通にやってる」としか言わないんですよ。
 で。なぜ他がやっていることを私がやって、私だけが責められなければならないのか? と来て。それは差別だ私に対する迫害だ、と捉えて。そんなヤツ相手にしてもしょうがない、と解釈して。敵視すると。
 そこまでの判断速度が速いから、初めましてどうも宜しく、で取り敢えず仲良くしてその場では最後までニコニコしていたのに、散会してから散々愚痴った挙げ句に次回から理由を付けて会わないようにする的な、そういう対応をすることも、ありますね。
 でも、これまた別に801に限らず誰でもやることなんで、態度の示し方がそれなりに強烈で印象に残るから「そんな感じだよね?」とでも言われ、「そんなことない誰でもやってる」的に反応して、結局疲れるからもう相手しない的になる、と。
 だから多分、801趣味の人も、当初は「そこまで毛嫌い? されるとは思わなかった」的に普通に自分の趣味を開陳したり打ち解けようと対話をしたり、みたいな人は多かったと思いますけどね。
 やっても無駄だからもうやらない的に諦めてるタイプが多そうな気がします。

 好きなキャラのカップリングが対立して云々も、そういう流れの中から「要するに合わないものは排除」という論理や生き様のほうが先立って、気に入らない意見でも取り敢えず聞いとけば後で何か使うことあるかもね? 的な判断をすることが少ないから起きる現象かと思います。

 これはまぁ801には全然限らないことなんですけど、女の人に目立つ特殊な物の買い方ってありますよね。
「マイナーなゲーム機を買った。好きなソフトを1本だけ買った。他は”要らないから”一切買わない。そのハードが廃れた。でもゲーム機もソフトも美品のままで取っといてる」
 こういうの。男性諸氏でそういう買い方をする人って、凄い特殊だと思います。
 男性の場合だと、
「最新ゲームを誰よりも早く購入。一刻も早く攻略。さっさと中古屋に売る。転売益で資金を作って次のゲームを購入。ひとつのゲーム機で数十本数百本単位のゲームを遊ぶ。殆ど売り払うので手元には残らない。残るのは”技量”だけ」
 こんな感じ。

 ここらへんは、絶対的な差でなく傾向的なものとしても、顕著な差だと思いますね。

投稿: 渡辺裕 | 2007/09/22 19:45

>自分のウェブサイトを「プライヴェート空間」と考えるか(否定派)、それとも「パブリック空間」と考えるか(肯定派)の違いではないかと思われる。

これはそうだと思います。
公園で例えられてますがネット言えば自由に自分の置きたい遊具(ブランコや滑り台など)を置ける公園がネットだと思います。
で、ここにこんな遊具があるよという看板がリンクです。
否定派は自分たちが作った遊具は自分のものと考え、賛成派は遊具は公園に寄付したので公共物と考えてるから対立するのではないかと考えてます。否定派はアップしたデータをモノとして捉えるのでそこに人格や著作権的な意識?などややこしい物を付加してしまうんでしょうね。賛成派はアップした時点で純粋に情報として自分から切り離してるのでリンクに対して抵抗がないのでしょう。
ただ例えばwikiへ用語説明でリンクを張る場合と個人サイトのページへリンクを張る場合は私個人だと後者はリンクの後に説明書きを入れてしまいますね。他にもHP用のフリー素材を配布してるところの多くは使う前にBBSに挨拶を入れてサイトへのリンクが使用条件になってたりしますがこれもやります。職人さんたちへの礼儀だと思いますし。
そうなるとリンクフリー賛成派の私としても立場がおかしくなってくるのですがw
まあやはりなんでもケースバイケースなんじゃないかと思います。リンクも形が多様化してますし。

投稿: P | 2007/09/24 19:25

本来、同人というのは、趣味を同じくする人たちのことですから、即売会にやってこない文芸同人誌などは、同人からだけ投稿を受け付け、同人にのみ頒布してたりしますね(短歌とか詩とか)。私はフィクションの世界でしかお目にかかったことがないのですが。
コミケは、詳しくない人から見れば同人の代表ですが、同人=コミケではありません。
例えば、コミケとは違って、地方で開催されている小規模な即売会などだと、売り手も買い手もごく限られた範囲に収まるので、公園というよりは、近所の人が集まる飲み屋のような雰囲気に近くなるような気がします。プライベートとパブリックの微妙に入り混じった空間とでも言えばいいでしょうか(酔っ払って普段の自制心を忘れている人が多数いるというところも似てますね)。
インターネットで公開されているWebページの大半は、膨大な数の中に埋もれているがゆえに誰も見向きをしないため、擬似的にそのような空間に見えてしまうのが問題ですね。
いったん注目を集めてしまえば、それこそ万単位の人が見に来る可能性が常にあるのに、そういう危険性を孕んだ場所でやっている、ということを忘れている(もしくは最初から知らない)人が多すぎる。パスワード認証などの防衛の手段も用意されているわけですけれども、どうにも敷居が高いという人が多い。困っているなら勉強すべきなのは困っている人自身でしょうに。なんで他人を働かせようとするんですかね。

投稿: R.F | 2007/09/26 18:54

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受信: 2007/09/20 20:32

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