父と暮らせば
入院中、病院での父とのやりとりを書いたらこれが好評で、その後もなんとなくシリーズみたいになってしまったので、「父と暮らせば」という新カテゴリーにすることにしました。これからも何かあれば書いていきたいと思います。
俺の父親は昭和7年生まれですので、子供時代に戦争があり、戦後は「企業戦士」として50~60年代の高度経済成長を支えてきたひとりです。まあ、父親の年代ならほとんどの日本人がそうだったわけで、珍しくもないんですが。
ただそういう父親でしたので、子供の頃からちゃんと会話した記憶がなかったんですよ。なにしろ俺が起きて学校に行く頃にはもう会社に行っていて、帰りは俺が寝る頃、休日は家で寝ているか、さもなくば会社に休日出勤していましたから。
それで俺は父親が本当はどういう人間なのか、よく知らずに大人になってしまったところがあります。それが母親が死んで、俺が脳梗塞で入院、この4月に実家へ戻って父親と二人で暮らすことになった。1年前までは、まったく想像もしなかったことでした。
それで、ここにきて初めて父が「 天然 ユニークな人」であったことに気がつきました。いや、ものすごい仕事好きだったので、現役時代は周囲も気がつかなかったかもしれないのだけど。それが定年退職して家にいることになって、相対的に「 天然 ユニークさ」が目立つことになったのだと思うんですが。
うちの母親は激しい気性の持ち主で、俺もよく怒鳴られてましたが一番怒鳴られていたのは父で、父が車を運転していると必ず母が助手席に座って「ナビゲート」と称して怒鳴ってました。「ホラ信号黄色!」「標識ちゃんと見て!」と力の限り怒鳴っていましたので、俺はかえって事故にならないかとヒヤヒヤしていたものです。
ああ何かにつけ怒鳴っていると、周囲は自然と「聞き流す」ようになってしまいます。父も「ああ」とか「うん」と言うだけでした。母親は、父親のそうした態度を「ボケの初期症状」と疑っていて、さらに激しく怒鳴るのでしたが、俺はべつに父がボケているのではなく、母親があまりうるさいので俺と同じく聞き流しているのだ、と信じて疑いませんでした。
しかし俺にしても父のことを「もしかして天然ユニークなのでは?」と疑惑を抱かなかったわけではありません。最初におかしいと思ったのは、俺が中学生の頃、父と市民図書館へ行って本を借りたときです。俺が受け付けで借りる手続きをしていると、横の父親がふいに財布を取り出して「おいくらですか?」と言い始めたのです。
俺が顔を赤くして「お父さん、市民図書館は貸本屋じゃないから無料なんだよ!」と言うと、父は不思議そうに「なぜだ?」というので困ってしまったことを憶えております。たぶん若い頃から仕事、仕事の毎日で、図書館に行ったことがなかったのでしょう。
まあ 天然は天然 ユニークはユニークとしても、ほほえましくていいんですが、その父親も75歳になり、ここで「本当のボケ」が入ってきても周囲にはわからないだろうな、と心配になってきました。
二人暮らしで初めて気がついたことは、父親が夜中にトイレに立って、便座に座ったまま朝まで寝てしまうクセがあったということです。幸い、父親はトイレのカギをかけずに入るので、万が一のことがあっても助けることが可能なんですが。
俺も、夜中まで仕事しているときは、トイレの明かりがついてないか時々チェックして、1時間以上ついているときはドアをノックして起こすようにしているのですが、俺まで寝ていたらどうしようもありません。このままでは身体を壊すかもしれず、なんとかならないかと思案しています。
原因は便座ホットカバー付きウォシュレットではないかと思うわけです。便座が電気で温かくなっているので、寝ぼけ眼でトイレに入ったら俺だって寝てしまいかねませんよ。
たとえばホットカバーを改良し、外から死なない程度の電流を流して起こすのはどうでしょうか。これなら万一ドアにカギがかかっていても確実に起こせるでしょう。近所に悲鳴が鳴り響いたら、それはそれで困りますが。
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