【篦棒な人々 2】「元祖やおい」石原豪人・抜粋
12月5日発売の河出文庫「篦棒な人々」二人目は、挿絵画家の石原豪人先生であります。俺の世代には、60年代の少年マガジン巻頭グラビア、特に大友昌司の「怪獣図鑑」のイラストレーターとして有名であります。しかし豪人先生、少年雑誌ばかりでなく少女雑誌・芸能雑誌・大衆小説誌を中心に絵を膨大に描きまくり、70年代以降はSM雑誌・ゲイ雑誌にも精力的に作品を発表されるなど、亡くなられる直前まで「生涯現役」でした。
俺も晩年の先生と何度か仕事させていただきましたが、絵に衰えがなく、感激したのを覚えています。それで高田馬場にあった仕事場にお邪魔すると、先生、台所から妖しげな強壮剤(豪人ドリンクと俺が命名)を出してきて、いきなりエロ話をされるのが常でした。エロ話を得意とする老人は多いですが、豪人先生のはエロ話と「超現実的な話」が混在しており、この世のものとは思えない面白さでした。この経験があったので、QJインタビューは是非この人に、と俺が希望したのです。
なお先生の談話の8割がエロ話でしたが、そのうち6割はホモ話でした。本人はゲイではないと否定していましたが、根っからワイ談がお好きだったようで、それで一般誌もエロ雑誌もまったく分け隔てなく接してらしたようです。見習いたい態度でした。
●石原豪人・プロフィール
石原豪人。またの名を林月光。大正一二年、霊地出雲に生まる。戦後日本を代表する挿絵画家のひとり。イラストなる言葉が上陸するはるか以前から挿絵を描き続けてきた男。江戸川乱歩・司馬遼太郎・川内康範をはじめ組んだ作家は枚挙にいとまなく、大伴昌司とともに怪獣ブームを正面から支えた立役者。守備範囲は紙芝居、映画看板、カストリ雑誌、少年雑誌、少女雑誌、芸能雑誌、新聞小説、アメリカン・コミック、劇画、広告、SM・ホモ雑誌に至るまで向かうところ敵無し。誰ぞ呼ぶ、日本のノーマン・ロックウェルにして現代の浮世絵師と。自宅の床が抜けたほどの作品点数あり。座談の名手。昭和平成の画怪人、齢七一なるもいまだ現役!(1994年「QJ」創刊号掲載時のプロフィールより。豪人先生は1998年に75歳で亡くなられた)
●『乃木大将と納豆売り』
竹熊 ご出身はどちらですか。
石原 島根県の出雲大社町。生年月日は大正一二年三月一五日です。
竹熊 子供のころはどういうお子さんだったんですか。
石原 今でも覚えてるけど、小学校に入る頃、母親が先生に「深層心理をすぐ掴む子なんです」って言ったんです。ませてて理屈っぽい。嫌われるタイプだな(笑)。
竹熊 幼い頃の思い出はなにかありますか。
石原 幼稚園時代の話なんですが、よく芝居小屋に遊びに行きました。そこで『乃木大将と納豆売り』という芝居を観たんです。
竹熊 『乃木大将と納豆売り』?
石原 知らない? もの凄く流行った芝居なんですよ。日露戦争の後日談を浪曲芝居にしたもので、日本中がこれを唸ったものです。乃木さんは自分が殺した部下の霊を慰めるために金沢に旅をする。そこで雪の降る晩に犀川の橋のたもとで納豆売りの少年に出会うんです。少年は絣の着物を着て膝小僧まる出しで、草鞋履き。実はこの少年が、二〇三高地で死んだ部下の弟だったという話でしてね。
女形が少年の役をやっててね。化粧とか照明の具合で、これがなかなかの美少年に見えるんです。そのせいか女性の観客が多かった。僕も何回か観たんですけど、ある日、舞台を観ていたら客席の方からピチャピチャという水の音が聞こえてきて、なんだろうと思った。
竹熊 なんですかその音は。
石原 なんだと思う? 割れ目が潮吹く音なんですよ。
竹熊 そんな(爆笑)。
石原 昔の芝居小屋は無声映画もやっていましたから、舞台の前がオーケストラ・ボックスになっている。新派劇のときは楽隊がいないから、ボックスに腰を下ろして芝居見物するんです。一メートルくらい穴の開いた場所で、床の音がよく聞こえる。畳敷きなのにピチャピチャ音がするんです。
竹熊 おまんこが濡れて、太腿を擦り合わせるとそんな音がするんですかね。
石原 いや! 当時、下着は腰巻きだけの時代でしたから、潮が吹いたら音がするんです。おばさんでも美少年の素股が見えると興奮してきちゃう。それぐらいホモ的なものに女は濡れるんです。連鎖反応で、役者は役者で、その反応を確かめて、わざとお色気をふりまく。
竹熊 かなりホモ臭い芝居だったんですね。
石原 そうですよ。当時は子供だし、なんの音だかわからなかった。あとになって「あれは潮吹きの音だ」と気づいた。風呂の水があふれるような音に似ていますよ。それが木造の床下で反射してステレオになり、だんだん大きくなってくる。……幼稚園のときに聞いたあの音が、今でも尾を引いています。
(中略)
●ホテルの中で大戦争
(戦前大陸に渡った豪人先生は、徴兵されて日本軍の情報部でスパイ活動をしていた。現地で終戦を迎え、知り合った日本の将校に呼ばれて、彼が上海で経営していたホテルに用心棒として居候することになったのだが…)
石原 当時は一晩で情勢が変わりますからね。朝鮮大統領を名乗る朴儀という人物が豊陽ホテルに逃げ込んできました。彼は私設軍隊を持っていて、光復軍といったのですが、ここを参謀本部にした。でもメンバーが三人しかいないんですよ(笑)。朝鮮人は日本軍に徴兵されたでしょう。「お前たちは日本人なんだから日本軍に入れ」と強制されたわけです。ところが朴儀大統領は、日本軍から脱走してホテルに立て込んだんですね。それで勝手に朝鮮の大統領を名乗ってしまったんですからすごいことですよ(笑)。
竹熊 『地獄の黙示録』のカーツ大佐みたいですね。
石原 もう、あのまんまですよ。武器さえ集めて「俺が軍隊だ」って宣言すれば。当時の上海ではそんなこともできたんです。ところがね、蒋介石軍もホテルにやってきているわけですよ。ちゃんと部屋を占領してね。ですから対立する組織が同じ建物の中にいるでしょう、撃ち合いになるんです。
竹熊 なんですかそれは。
石原 僕は用心棒だから、別室をあてがわれていたんです。先代オーナーが隠居所に建てた中庭付の部屋だった。本館で撃ち合いが勃発してもほとんどなにも感じない(笑)。それで、朝になると「おはよう」って挨拶しながら本館に入っていくでしょう。でも誰もいない。みんな危ないから隠れているんです。
竹熊 それじゃあ、同じホテルに敵同士が住んでいるんですか。
石原 僕は無視して、隠居所でのんびり暮らしている。重慶軍と光復軍は同じホテルにいるという理由だけで、撃ち合いになるんです。廊下をすれ違うだけでそんなあり様ですよ。
(中略)
●写真館に女たちと潜伏
石原 そのホテルである日本人の女性客と知り合いました。僕は仏印に行きたいと思っていたから、一緒に仏領インドシナに行こうって、約束してたんです。彼女は横浜の人で、外国語が達者でした。恋人という感じじゃなかったんですよ。「僕が行くから、ついてこないか」みたいなことを言ったわけです。
竹熊 どうみても恋人ですが。
石原 ところがね、ホテルがそういう状況でしょう。にもかかわらず日本人の従業員がたくさんいて、女性従業員も八人ほどいました。全員九州の女でね。彼女らに九州へ連れて帰ってくれって頼まれたんですよ。
僕は例の女性とベトナムに渡るつもりでいたんだけど、ホテルがあんまり危険な状況なんでね。オーナーにはこの女たちの面倒をみてくれって言われる。じゃあ、日本に帰ろうと決めました。それで、仏領インドシナに行こうって約束した女の子はほったらかしにしちゃった。
竹熊 それはひどい(笑)。
石原 で、一刻も早くホテルを出なきゃ危ないんだけど、日本行きの船がなかなか出ないんです。その間どこに身を潜めるか困りましたね。そうしたら、ホテルに先輩格の女従業員がいたんですけれど、彼女が結婚してホテルの近所で写真館兼アパートをやってて、部屋が空いているから行こうってことになった。
アパートでの生活も大変でしたよ。八畳間に僕も入れて九人が寝泊まりするわけでしょう。しかも僕以外全員女です。僕はまだ二四歳ですよ。これじゃ寝られないじゃないですか。それで、アパートの女将さんが「あんたはこっちの部屋で寝なさい」って言うんです。その部屋にはある青年が居候してて、彼と同居することになったんだけど、それが南向きの一〇畳で、居候の部屋にしては立派すぎるんですよ。おかしいなと思いました。
そしたら案の定、写真館(兼アパート)の主人がその男とできてた。ホモ関係だったんです。居候の部屋というのは、マスターの愛人(男)の部屋だったんですね。いい部屋なのも当たり前ですよ。僕は、その居候の居候みたいな感じで、そのホモと一緒に寝泊まりすることになったんです。
竹熊 そのホモの人とはなにもなかったんですか(笑)。
石原 ない。ところがね、食事は僕ら九人全員で一緒にすることになっていたんですが、明くる日になったら女の子が「あなたの部屋にいる居候を連れてきなさいよ。気の毒でしょう」って言うんですよ。その子が来たら、女どもがワーッと声を上げて取り囲んだ。
ホモなのに女にもてるんですよ。憎たらしい。両刀使いでもなくて、完全なホモです。女に取り囲まれてもまったくその気がない。美少年だからね、SMAPみたいなものですよ。女将さんは、てめえの亭主のホモ関係を邪魔するために、僕を居候の部屋に住まわせたんです。
竹熊 そのホモの青年は日本人ですか。
石原 そうです。太宰府出身の二三歳。僕よりひとつ年下ですね。スマートでハンサムだった。僕なんか眉毛は太いし、目付きが鋭いでしょう。それでね、女どもがそのホモの男も日本に連れて帰ってくれ言い始めた。冗談じゃないと思って置いてきたんですけど。そのときですよ、ピチャピチャを急に思い出したのは。
竹熊 ピチャピチャ?
石原 例の『乃木大将と納豆売り』のピチャピチャですよ。あのときもそうだったんだけど、女はホモの美少年を見ると濡れるんです。女というのは、どんなに切羽詰まってもホモに味方するってわかって、貴重な体験でしたね。
(中略)
●ペンネームは石原豪人
竹熊 それで石原豪人というペンネームに。
石原 本名は石原徹というんですけど、地元に相撲取りのシコ名を考えた人がいましてね。彼の名付けたお相撲さんが小結まであがったんです。その人に石原豪人という名前を考えてもらいました。
何て読むんだって聞いたら、どんな読み方でもいいからこの字にしろと。そんなわけで、自分の好きなことができるように改名したのがこのペンネームのはじまりです。これまでやりたいことができなかったわけですからね。ベトナム行きも上海の混乱でつぶれたし。
竹熊 でも、いま考えるとベトナムに行かない方がよかったですね。また戦争に巻き込まれていたかもしれない。
石原 ところで上京する前、未払いの画料を受け取るために、ある注文主の家に行ったんですよ。玄関に立って「こんにちは。絵の代金を受け取りにきました」って言ったら、その注文主の親父が奥から現われた。ところがその人、スッポンポンの全裸なんです。
竹熊 どうしちゃったんですか。
石原 要するに金が全然なかったみたい。それでね、「すまない。今は金がないから、俺のチンポで勘弁してくれ」と。ホモだったんですよ。冗談じゃない、あんたのチンポなんかいらないよって言って、上京したんですけど。
竹熊 気が狂いそうなお話ですね。
◆
本編では結局割愛したが、実はこのインタビュー、後半は「漱石の『坊ちゃん』はホモ小説だ!」という先生の持論が数時間続いた。豪人先生によると、坊ちゃんの乳母の「清」は零落した歌舞伎の女形で坊ちゃんにホモを仕込んだとか、松山に赴任してからの「いなご事件」は、実は「おなご」というあだ名の美少年が坊ちゃんの布団に潜り込んできたのが真相で、裏で事件を仕組んだのはガチムチ系の山嵐だとか、まさに「元祖やおい」とも言うべき超・深読みである。豪人先生は『坊ちゃん』が隠れた男色文学であることを、戦前の旧制中学時代に読んで気がついたという。この話はすごく面白かったので収録できなかったのが残念だが、後年、先生の死後に飛鳥新社から出た『謎とき・坊ちゃん』という本で完全版が発表された。豪人先生の遺された談話と生前ご自分で書かれた文章をもとに、本橋信宏氏が構成されたものである。本橋氏は本書『文庫版・篦棒な人々』の解説者でもある。本書と合わせてお読みいただければ幸いである。
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