コミックマヴォVol.5

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2007/11/29

独学に勝る勉強はない(2)

前回「独学に勝る勉強はない(1)」を書きましたところ、当コメント掲示板はじめ「はてなブックマーク」その他で反響が続出しまして、想定外のことで驚いております。別に挑発するつもりは毛頭なかったのですが、最後に「俺、高等学校は不要なのではないかということを、実はもう25年くらい前から考えてて」なんてことを書いたのが一部に議論と批判をまき起こしてしまったようです。

確かにこれは舌足らずな表現でしたので、お詫びの上一部訂正します。俺にとっての高等学校は、こと「文部省が決めた勉強」に関する限り、ほとんど無意味なものだったんですが、もちろん意味があったと思っている人も大勢いるでしょう。俺にとっても、勉強以外の部活動とか友達づきあいなら、確かに意味はありました。その人から勉強を教えてもらったわけじゃないんですが、人間的に影響を受けた先生もいましたしね。したがって「科目の勉強」以外では中学高校は俺にも意味があった、と訂正させていただきます。

あと、俺は学校の勉強は基本的に嫌いでしたけど、勉強が好きで好きで仕方がない、という人が存在することも承知しております。そういう人にとっては、中学高校の勉強も大学の勉強も大いに意味があるものでしょう。他人がそう思うことまで、俺は否定するつもりはありません。

俺がこのエントリを書こうと思ったのは、素朴な動機からです。まずはそのことから書くべきだったかもしれませんね。

俺、大学とか専門学校とか、たまにカルチャーセンターみたいなところで人にものを教えるようになって、かれこれ六年になります。まさか俺がそんなことをするとは若い頃は夢にも思いませんでしたが。まあ、収入的にはアルバイトみたいなものですし、とても本職の教育者とは言えないんですが、それでも若い人に自分の考えや知識・経験を教えるようになって、痛感したことがひとつあるんですね。それは、

学ぶ意志のない者に何かを教えることは不可能

だということです。「学ぶ意志」は大きくモチベーション・目的意識と言い換えてもいいです。大学でも専門学校でもカルチャーセンターでも同じなんですけど、生徒さんのなかに、「この人、なんでここにいるんだろう」とこちらが思ってしまうような人が、少なからずいるんですね。そういう場所で積極的に何かを学ぼうとするのではなく、ただそこに「いる」人たち。来ないより来るならまだ積極的なのかもしれませんが、受け身で話を聞いているだけで「何かになれる」と考えているのだとしたら、甘い考えではないでしょうか。

俺は過去にカルチャーセンターで「ライター・編集講座」みたいなものを何回かやったんですが、ここでの例がわかりやすいかもしれません。俺そういう講座では、必ず「過去に書いた小説・マンガ・文章、なんでもいいですから、ミニコミやブログなどで他人に向けて発表したことがある人はいますか。いたら手を挙げてください」って聞くんですよ。

そうすると、50人くらい人がいる中で2.3人手が挙がればいいほうで、一人の手も挙がらない、ゼロなんてことがあるわけです。そういうとき、俺は内心途方に暮れているんですよ。いったいこの人たち相手に、俺は何を教えればいいんだろうと。

俺が教えられることは限られていて、せいぜいマンガを中心にしたサブカルチャーの話、あとは文章の書き方、取材の仕方くらいですよね。これだって全部現場で、自己流で学んだものですけれども。で、こういうクリエティブ方面の知識や方法は、現場で、実際にものを作る課程で覚えたり教えられたりするものなので、わざわざ学校で教わるものではなかったわけですね。少なくともこれまでは。

そういう場所で俺が「教える」ことがもしあるすると、それはすでに独学でクリエイトし始めている人に対して、過去の作品を見せて刺激を与えたり、創作上の具体的な疑問があればそれにアドバイスを与えたりすることだけです。前者(過去の作品を見せる)は俺が多摩美でやっている講義そのものですし、後者は俺が仕事の現場で先輩たちから受けた教育そのものです。実際にそれでお金をもらえるかどうかの瀬戸際なんですから、俺も必死で「これはどうすればいいんでしょう」と聞くし、教えるほうも、自分の仕事に悪影響が出たら大変だから必死で教えてくれる。

そういう「現場教育」のイメージが俺には強くあるものだから、いざ学校のような社会とは切り離された場所で、「これまで何もしていなかった人」「今も何もしていない人」に向けて何を教えればいいのか、困ってしまうのですよ。とっかかりがない。特にカルチャーセンターのような場所では、学生もいるけど社会人の受講生も多くて、文筆業に転職を考えている人も大勢来るわけですね。それで、さすがに全員小学校は卒業していますから、読み書きできない人というのは一人もいないわけです。読み書きができるのなら、上手い下手は別にして小説やエッセイくらいは書けるだろう、せめてブログで日記くらいは書けるだろうと俺は思うんだけど、そういう教室に来る人に限って、「まず学校に通わなければ」そういうものはできない、と思いこんでいる人が多いようです。身も蓋もないことを言えば、

最初からできる(書ける・描ける)人は、学校になんか通わない

という、いささか冷酷な真実があるのだろうと俺は思います。それで俺は、カルチャースクールで教える意欲をなくしたところがあります。多摩美や桑沢で講師をやっているのは、俺なりに別の目的があるんですが、ここでの本題とは関係ないので書きません(いつか書くかも)。

以上は、俺が関係しているクリエイティブ方面の学校の話ですけど、一般の大学でも本質は同じなんじゃないかと俺は思っています。「なんとなく学校に通っている」ような人が多すぎるでしょう。もちろん、俺も高校や専門学校に行っていたときはそういう若者でしたし、10代や20代前半で「人生の目的」がはっきり決まっている人は少数派でしょうから、このこと自体は仕方がないといえます。ただ、「学校で時間つぶしをしている」人が少なくない現状というのは、単純に無駄で、もったいないことだと思うし、不幸なことだと思うんですよ。自分はそうではないという人は、とても幸福なことですからおめでとうございます。

ただし急いで付け加えるなら、医者や弁護士、理系の研究者、小中高の教師、税理士会計士などの「高度な専門性」を要求される仕事や「他人の生命や人生」に深く影響を及ぼす職業については、基礎から専門教育を受けて国家資格を得ることが絶対必要です。だから、そういう人のためには現行の高校・大学教育は必要になるでしょう。そこまで俺は否定するつもりはありません。

要は、現行の教育制度のもとでは「とりこぼされる」人間が多いわけですから、そういう人たちのための「別種の選択肢」を、社会がどこまで用意できるかという話なんですよ。ニートや引き籠もり・荒れた中学高校のニュースを聞く度に、俺が思うのはそういうことなんですね。

ところで今回も「高校不要論」については書ききれませんでした。何度も書きますがこれは俺のような落ちこぼれ人間にとっては「不要」だったので、必要な人は行けばいいと思います。前回の反響のなかで、「竹熊は高校全廃を唱えている」と解釈した方もおられるようなので、そこは「高校以外の選択肢を社会制度として増やせ論」に訂正しておきます。どうもうまい言葉が見つからないな。

というわけで、次の更新では俺が考える「教育制度改革」について書きたいと思います。

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