オタクはいつから差別されていたのか?
以前から疑問に思っていたのですが、最近それが再び話題になり、みなさんに聞きたいこともあってエントリしてみます。
それは「オタクは本当に差別されていたのか?」「差別されていたなら、それはいつ頃からか?」という疑問であります。
こないだの月曜日にやったロフトのイベントで、会場の参加者から壇上の我々に向かって質問がありました。どういう発言だったかディティールを忘れましたが、オタク差別に関する内容でした。どなたか補足してくだされば幸甚です。
それを受けて東浩紀君が
「確かにオタクは差別されていた。それは認めよう。でもオタク差別といっても、女性差別や人種差別のような差別とは違う。よくオタク遺伝子というものがあって、世界のどこへ行ってもオタクはすぐにわかるという議論があるけど、本当にそんな遺伝子なんてあるのか」
というような発言をしたんですよ(※記憶で書いてます。間違いがあれば訂正します)。
「オタク差別は女性差別や人種差別とは違う」という意見じたいは、俺もその通りだと思います。女性であることや、黒人であったりすることは生まれつきのもので、そうした選択の余地がない立場の人間を「自分と違う」という理由で差別するのが本当の差別なので、これは道義上許されないだろうと思うわけです。
「オタク遺伝子」については、確かにオタクにとって、世界のどこに行ってもオタクがいればすぐに「仲間」だとピンと来ることはあります。人種を越えたオタク特有の雰囲気というものが、確かにある。人類普遍の人格類型としてそれはあるように思われるので、遺伝子と言いたくなる気持ちもわからないではない。しかしこれはあくまでも比喩なので、そんな遺伝子は発見されてないし、たぶんないんじゃないかと思うんですよ。
俺が引っかかったのはそういうことではないんです。東君がおそらく無意識に口走った「確かにオタクは差別されていた」という発言のほうです。それはそう思う人が多いだろうと思いますし、会場でもそれは暗黙の前提として共有されていたと感じる。俺以外、そのことを問題にしたやつはその場にはいなかったですし。
俺は、そのとき東君の話を受けて「ちょっと待って。オタク差別って、実態として本当にあったんですか」というようなことを言ったわけです。少なくとも俺は、オタク以外の誰かがオタクを「オタクである」という理由で差別したり、いじめていたりしていた事実を知らないので。
どうも自分は論議の前提そのものを問題にしてしまったようで、誰もそれに対する答えを持っていなかった。東君が「そういうことを言うのは竹熊さんがサブカルだからですよ!」と言って笑いをとり、それでその場の議論は発展することなくうやむやに終わりました。
この件については、どうも俺はスッキリせずもやもやしていたんだけども、かといって俺も「なかった」証拠があるわけではないので、それ以上は何も言えませんでした。
俺がもともと考えていた仮説としては、
「おたく(オタク)という言葉は、1983年に中森明夫によって“差別用語”として作られた経緯があるが、当初それを使っていたのはもっぱらオタクたち自身であり、長らく“自嘲語”として使われていた。これは現在の“腐女子”という語の流通過程に似ている。世間一般は、オタクという言葉を長らく知らず、従って“こいつはオタクだ”という理由で差別されることはなかった。
事情が変わったのは89年に逮捕された宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件からである。事件そのものと数千本のビデオに囲まれた犯人の自室の異様さを、どう形容すべきか困っていたマスコミが“オタク”という言葉を発見し、これを差別用語の意味合いでさかんに使い始めた。ここから、本当のオタク・バッシングが始まった」
というものでした。つまり、「性格が暗い」とか「運動が苦手」といった性格がもとでいじめられることはあったのかもしれないが、少なくとも「オタク」というカテゴリーのもとで差別されることは90年代以降(宮崎事件以降)の現象だろう、と考えていたのです。
これは、まったく個人的に、それ以前の時期にオタク・バッシングを見聞きしたことがなかった経験に基づくものです。でもこれは主観的なものなので、断言することはできませんでした。
ところが昨日、俺より三歳下の川崎ぶら君と話していたら、彼は「自分が高校生の頃(1980年頃)には、“おたく”という言葉はまだなかったが、アニメやマンガ好きの奴らは話が合わないし暗いという理由で、いじめられることがあった」と言うんですよ。
川崎くんは、実は俺と同じ高校で、俺が卒業した後(1979年)に入学した男です。年齢も三歳しか違わない。「おたく」と言う言葉が生まれたのはその三年後ですが、彼が高校生になったのは『ガンダム』が本放送されていた年で、アニメブームはすでに始まっていた後でした。
俺の記憶では、もうこの頃には『アニメージュ』が出ていたし、新宿に東映が経営するアニメショップ「ペロ」ができていたはずです。要するに、アニメファン向けの環境が整って、「オタク産業」が成立し始めていました。あとは「おたく」という言葉が現れるのを待つばかり、という時期だったのです。実態として後に「おたく(オタク)」と呼ばれるようになる人々は、確かに存在していました。
ですから、川崎くんが高校に入った79,80年にはオタクという言葉こそありませんでしたが「アニメ好きは暗くて話が合わない」という認識があったとしてもおかしくありません。
もし、それが全国一般的な現象として80年にはもうあったとするなら、俺の「オタク差別=89年宮崎事件以降」という仮説の一端は崩れることになります。そこで俺と同年配の45歳~50歳くらいのオタク第一世代のみなさんに質問があります。みなさんの記憶では、1979年の「ガンダム」本放送の時点で「アニメファン差別」というものはありましたでしょうか? マジで知りたいです。資料にしたいので、できればコメントください。よろしくお願いします。
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