コミックマヴォVol.5

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2008/01/13

追悼・月本裕さん

おととい、ゲームライターの成澤大輔さんからメールが来た。俺は成澤さんとは確か一回くらいしか会っていない。それも十年以上前のことだ。はて、珍しいこともあるものだ、何の用事かなと思って読んだら、作家でライターの月本裕さんの訃報だった。

月本さんのブログにはよく成澤さんの名前が出てきたので、二人は親友同士だとは思っていた。俺は、月本さんとはやはり一度きりしか会ったことがない。一昨年、月本さんが「ソトコト」で連載していたコラムで、彼の取材を受けたのである。それだけなので、特に親しい関係だったわけではない。しかし成澤さんのメールには、「竹熊さんは月本さんとはお知り合いだそうで…」とあった。いや一回しか会ってないんです、でも月本さんは同世代の気になるライターの一人でした、訃報に接してショックを受けてます、と俺は成澤さんに返事を書いた。

成澤さんの再度のメールには、「そうでしたか。でも竹熊さんのことは彼の口からよく話題に出ていました。竹熊さんが脳梗塞で倒れられたときも、二人で心配していたんです」と書かれていた。

それで、月本さんの死因も脳内出血なのだという。8日の夜に倒れて、9日の午前に還らぬ人となったのだそうだ。

俺も、ちょうど一年前の暮れから正月には同じ脳卒中で生死の境をさまよっていた。とても他人事とは思えない。月本ブログを読むと、1月7日付けで記述が停まっている。倒れる一日前まで活発にブログをつけていたのだ。しかも最後の日記が、浜崎あゆみの突発性難聴についての記事だった。まことに、脳血管の病気はいつなんどき襲ってくるかわからない。直前まで、たぶん周囲も本人も気がつかないほど「元気」だったのだろう。

http://www.tsukimotoyutaka.com/
↑ツキモトユタカノ マイニチ

ウィキペディアによれば月本さんは1960年生まれだという。俺と同い年である。この意味でも他人事ではない。俺も一歩間違えたら、一年前の今頃、誰かが俺についての訃報をブログに書いていたかもしれない。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%88%E6%9C%AC%E8%A3%95&oldid=17301646
↑ウィキペディア 月本裕

月本さんは80年代のマガジンハウスで「ブルータス」に関わっていた編集者だった。正社員だったかどうかは知らない。俺はその頃、アリス出版や群雄社、セルフ出版のエロ本でヨタ話のコラムを書いていた。一方、当時のマガジンハウスといえば、まさに時代の中心にあって、飛ぶ鳥を落とす勢いの版元だった。

俺は、エロ本仕事からマンガ関係のフリーランスになった。月本さんは広い意味では同じサブカルライターだったのだが、得意分野は江戸時代、歌舞伎、都市論といったやや堅い方面から文学、ギャンブル(特に競馬)と、見事に俺のフィールドとは重ならなかった。単著を出したのは月本さんが早く、小説「今日もクジラは元気だよ」(1989年)で第一回坊ちゃん文学賞を受賞するなど、作家・ライターとして順調にキャリアを重ねていた。競馬に関する著作も多い。サッカー観戦も三度の飯より好きだったようだ。

正直いうと、俺はギャンブルは何もやらないし、スポーツはやるのも見るのも苦手である。だから月本さんの仕事を、常にチェックしていたというわけではない。しかしブログは眺めていて、その文章と人柄に惹かれていた。時事に関する意見などでは、やはり同世代だなと思うことも多々あって、シンパシーを抱いていた。「たけくまメモ」についても、確か1、2度月本ブログで言及されたことがあったと思う。相互にリンクを張っていたが、去年の11月、サーバー移転していたことに気がつかなかった。当方のリンクは旧サーバーのままである(旧サーバーには過去日記が残っている。そこからも新日記に行けるようになっているので、あえてそのままにしておく)。

http://blog.livedoor.jp/ytsuki999/
↑ツキモトユタカノ マイニチ(旧)

もしかすると、俺にとっての月本さんは、昔からネットで日記を書き続けていたネットワーカー・ブロガーの先達として、大きな存在だったのかもしれない。物書きがブログを続けるうえで、宣伝くさくなるわけでもなく、自慢話や生臭い愚痴をかくわけでもなく、淡々とごく自然体で更新されていたように思う。鋭い意見を書くことがあっても、話題集めをねらって挑発的にもならず、祭りになることもない。まさに自然体で、人柄がよく出ていたと思う。また毎日のように添えられている彼の写真(東京の風景が多い)も、なかなか上手で美しいものだった。

俺もそうだが、月本さんも編集者出身である。ブログという「個人メディア」が、これほど性に合っていた人もなかなかいるものではない。俺はブログで露悪的な「ウケ狙い」に走るところがあって、その意味でも月本さんのブログに接するとほっとした。やはり、どこまでも好対照だったと思うのだが、それでも何年もの間、互いに「気にしあっていた」というのは面白いと思う。俺が月本さんに感じていたものは、ここに拙い筆で書いた通りだけれど、月本さんは俺についてどういう考えをもたれていたのだろうか。それを聞くことがついにできなくなってしまったのは、残念である。

「80年代」という言葉を聞くと、俺は、俺と同世代の何人かのライターを思い出す。その中にはもちろん月本裕もいる。中森明夫、いとうせいこう、みうらじゅん、といった「80年代組」の中に、月本さんもいるのだ。先の三人とは個人的にも何度か会ったことがあるのだが、月本さんと個人的にお会いしたことはついぞなかった。しかし中森・いとう・みうら各氏に負けないくらい、80年代のメインストリームを歩かれていた人であったと思っている。月本さんとは、一度じっくり、80年代について語ってみたかった。

もう日付が変わってしまったが、昨日の12日土曜日は新板橋駅前ホールで通夜があり、本日日曜は告別式である。俺は『サルまん』の締め切りがあってどうしてもいけない。代わりに弔電を打つしかできなかったのが残念だ。代わりにこの文章を書くことにした。謹んで月本裕氏のご冥福をお祈りする。

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» 月本裕さんの死に際して。 [業務日報]
作家の月本裕さん死去  <月本 裕さん(つきもと・ゆたか=作家)が9日、脳出血で死去、47歳。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前10時から東京都板橋区板橋1の48の13の新板橋駅前ホールで。喪主は妻清美さん。小説「今日もクジラは元気だよ」で89年、坊っちゃん文学賞大賞受賞。>  少なからずショックを受けた。といっても、故人とは何の面識もない。時折、ブログを一方的に覗いていただけなのだが、同じ職種の人が突然亡くなるというのは他人事ではない。 死因が脳出血というから、なおさらそう思うのかもしれない。... [続きを読む]

受信: 2008/01/14 12:54

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