父親の野望
実は父親にはあれでも野望があるんですよ。これは数年前、父が70歳になる前なんですが、俺にこう言ってきたことがあるんです。
「健太郎。本というのはどうすればいいんだ?」
いきなりこう言ってきたので、はじめ意図がよくわからなかったわけです。もしかすると本を書いて出版するという意味かな、と思ったので、「何。本を出したいの?」と聞いたら、「うむ」と頷くではないですか。それで俺、言いました。嫌な予感がしたので。
「どういう本を書きたいんだよ。まさか“私の歩み”とか“青春の思い出”とか、そういう…」
「まあ、そんなところだが……」
「誰が読むんだよそんな本!」
「定年退職したら、ぜひやりたかったんだが……」
「誰でも年とったら一度は考えるんだよ。でも素人の昔話を出版してくれる奇特な版元なんかないよ!」
「いや。それはそう思っていたんだが、熊本のコガ君なんか、今度映画まで作るんだぞ」
熊本のコガ君というのは、父親の話によく登場する人物なんですよ。熊本出身の父親とは戦前からの親友で、小学校の同級生だったんですけど、数年前まで熊本県議会で保守系の有力議員をやっていた。父親の交友関係では一番の出世頭なんですね。
「コガさんだったら、地元の名士でしょう。映画はさすがにすごいけど、本ぐらいなら簡単に出せるだろうよ。でも父さんにそんなコネも財力もないでしょ。俺なんかコネにならんよ? 俺が講談社の社長だったとしても無理だよ。売れっこないんだから。親父が戦艦大和乗組員の最後の生き残りとかだったら別だけどさ、実際はただのサラリーマンでしょ」
「うむ。俺もそう思っていたのだが、こういうのを見つけてな」
そう言って父親が新聞の切り抜きを差し出しました。「貴方の想い出を本に!」と書いてある自費出版の広告であります。
「あー。自費出版。こういうのを専門でやってる版元もあるからな…」
「これによると、本屋さんにも並ぶと書いてある」
「あー無理無理。一応取り次ぎコードあるから書店に流すというんだろう? でもそれは、形だけそういうことにして、実際にはろくに流さないで著者に買い取らせるんだよ。こういう版元って、百パーセント著者から金とるよ? それも無意味にハードカバーにしたり箱入りにして、何百万も…」
「金がかかるのか?」
「当たり前だよ。著者が全部金出すから自費出版なんだよ! 古書業界では、田舎の社長が出すような自費出版の回顧本は“饅頭本”(まんじゅうぼん)と呼ばれて嫌われるんだよ。著者が自分の部下に買わせたり、自分が死んでから遺族が葬式饅頭の代わりに配るような本だから、饅頭本。著者以外、たぶん奥さんですらろくに読んでないと思うよ。古本屋も引き取らないから、ゴミに出されてそのまま消えていくんだよ」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%F1%BD%C6%AC%CB%DC?kid=153017
↑饅頭本とは(はてなダイヤリー)
……こういう出版社、ネットで「自費出版」と検索するとたくさん出てきますよね。中には表紙が布張りで刺繍施しているものまである。こんな本、いったいいくらかかるのか知りませんが、本屋さんでは見たことがありませんね。でもこれだけ版元があるということは、自分の本を出版したがる素人が、それだけ多いということなのでしょう。
俺の知人にも、素人出版の手伝いをしている人がいたんですよ。もちろん仕事で。彼はライターなので、著者になりたい老人の昔話を聞き取って、それを文章にしてあげるわけです。客はやはり、田舎で工場やってる中小企業の社長が多いとか。一応、事業で成功しているから金があるんですね。人間、お金を持つと名誉が欲しくなるのがものの順番みたいです。成功して70歳越えると勲章が欲しくなるそうですが、そこまで行かない人は、せめて本を出版することで“生きた証”にしたいと考えるんでしょう。
ちなみに熊本のコガ(古閑三博)さんは、その後本当に映画を完成させました。さすがに自分が主人公というわけではなく、地元の歴史的有名人を伝記映画にしたものです。俺、まだ映画見てないんですけど、父親がもらってきたシナリオにスタッフやキャストが一覧表になってました。一番最初のページに「製作総指揮」で古閑さんの名前が。その後に監督やスタッフが並んでいたんですが、いくら自民党の有力地方議員のプロデュースとはいえ、にわかに信じられないような豪華スタッフでした。スタッフの豪華さにも関わらず、マスコミではまったく報道されない作品でしたので、これは別エントリを立てて紹介するかもしれません(現在交渉中)。
それで、父親はまだ自伝出版をあきらめたわけではないので、このエントリも当然のことながらそのうち続きます。
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