コミックマヴォVol.5

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2008/04/09

川内康範先生の想い出(補遺)

いくつかの新聞雑誌から川内先生の追悼文を書いてくれという依頼が舞い込んでいます。できるだけ対応するつもりですが、週末は生憎「サルまん」締切と重なるので、締切の早いところは電話コメントで勘弁していただきました。

川内先生の取材で強烈に覚えているのは、最初の日に取材を終えてホッとして帰宅したら、翌日の朝7時に先生本人から拙宅に電話があり、「もう一度インタビューやらないか」と言って来られたことです。

取材日に渡していた「クイックジャパン」創刊号に載っていた石原豪人インタビューをホテルで読んでくださったんですね。「石原くんの記事、読んだよ。俺のインタビューは少し堅かったかもしれんな。もう一度やろう」

こう言われて、内心万歳三唱で再度滞在先の高輪プリンスホテルに向かいました。そうしたら、二度目のインタビューは全然違った。そこで初めて、先生の口から戦争直前に仮病をつかって軍隊から「離脱」した話が出たのです。

そのとき、帽子を振って見送ってくれた戦友の多くが南方で戦死をしているわけです。上官の悪質ないじめに逢い、合法的離脱を図った康範先生は、そのときに自分を恥じる涙がでたそうです。全身をふるわせて「俺は逃げたんだ! 俺は卑怯者だ!」と振り絞るように話す、鬼気迫るインタビューになりました。

先生の下に25年使えていた秘書の方も「今日の話は私もはじめて聞きました」と驚愕の顔でおっしゃっていましたが、たぶんこの体験は戦後の川内氏を作った「原体験」だったと思います。

戦後の川内氏が、大衆的人気作家・作詩家として活躍する傍ら、民族派運動家として、遺骨収集活動や、政界に深く関わることになった動機もここにあったのでしょう。遺骨収集がきっかけで、当時日本共産党員でのちアナーキストに転向した竹中労氏と親交を結んだり、平和憲法護持を叫ぶなど、右翼・左翼の垣根を越えていたその活動も、こういう体験があればこそなのだと納得した次第です。

『レインボーマン』の中で、レインボーマンがあの格好で国会議事堂に乗り込み、議員に「死ね死ね団」の日本人抹殺計画を暴露して警鐘を鳴らす有名なシーンがあります。あれはまさに川内先生の本音だったと思います。

俺は右翼ではないし、特に街宣車右翼は大嫌いなんですが(川内先生も嫌っておられました)、その「右翼」を自称し、歴代自民党総裁の私的顧問を務めていた川内先生の中にあった情念と理想主義・ロマンティシズムには、共鳴しました。

改めて、ご冥福をお祈りする次第です。

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