コミックマヴォVol.5

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2008/05/13

京都精華大学での特別講義

京都精華大の学生さんでここを見ている人はいますでしょうか。

今年は京都精華大の客員教授になったと、以前たけくまメモでもお知らせしましたが、最初の特別講義が6月18日と19日に決まりましたのでお知らせします。基本的にマンガ学部の全学科で受講できますので、精華大生の皆さんはよろしくお願いします。

今年は6月に2コマ、以下9月と12月に2コマづつの計6コマやることになりました。やや心配なのが、今年に入って脳梗塞の「回復期の悪影響」が出ていて、ちょっと言葉が出しづらくなっていることです。昨年の方がまだ言葉が出ていたんですけど、この春くらいから日常会話の中で、単語の頭がいきなり発音できなくなったりして困ってます。医者に言わせると「確実に回復していて、しゃべりのスピードがあがったので一時的に発音がついて行ってないのだろう」ということでした。

なるほど、とは思いましたが講義をやるうえで少し困ってます。まあ、講義できないことはないので、今後の体調の変化に期待したいところです。それで全6回の講義内容なんですが、大学に提出した内容は以下の通りです。

【竹熊健太郎・京都精華大学用講義内容】

■総タイトル「マンガとアニメーションの間に」

●第一回 「ウィンザー・マッケイの人と業績」 6月18日

20世紀初頭に活躍したウィンザー・マッケイは、アメリカ史上もっとも偉大なマンガ家であると同時に最初期のアニメーション作家であった。彼の作家としてのモチベーションは「時間の流れを描写すること」であり、これを十全に表現するには、コママンガとアニメーションの発明が不可欠だった。マッケイの作品を通して「時間芸術」としてのマンガ・アニメーションの本質を考察する。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/01/95.html
↑参考:ウィンザー・マッケイとアニメーションの始原(1~6)

●第二回 「ウォルト・ディズニーをどうとらえるべきか」 6月19日

ウォルト・ディズニーの出現はアニメ史に「産業革命」をもたらしたが、その実像は正確に位置づけられているとは言い難い。なぜなら彼は監督でもアニメーターでもない「プロデューサー」であり、クリエイターではないと考えられているからだ。しかしディズニー存命中の作品はすべて彼の発案と指揮と承認に基づくものであり、その意味では彼の作品なのである。逆にいえば、彼は作家集団を組織してこれのプロデュースに徹することで、個人作業では絶対にできない作品づくりを可能にしたといえる。ディズニーの軌跡を見ながら、アニメ製作とエンターティンメントの本質について考える。

●第三回 「手塚治虫の引き裂かれた夢」 9月予定

「マンガは本妻、アニメは愛人」という言葉を残した手塚治虫は、アニメ製作を生涯の目標としながらもまずマンガ家として成功を収め、ついで自分のアニメ会社を作って「テレビアニメ」の基礎を築いた。しかし、マンガ家としての高評価とは裏腹に、アニメ作家としての手塚の評価は必ずしも高くはない。筆者が理解する手塚の仕事の本質は、まずマンガにアニメーションの表現手法を導入したことであり、続いて彼はアニメにマンガの方法論を導入しようとした。しかし個人作業を前提したマンガと、集団作業を前提としたアニメでは、製作手法の違いには天地の開きがあった。にもかかわらず手塚がアニメにもたらした「マンガ的ドラマツルギー」は、その後の日本アニメ発展を考えるうえでは無視することのできない影響があった。

●第四回 「“反・物語作家”としての大友克洋」 9月予定

手塚治虫と同じく、マンガ家としての成功を背景にアニメーションに進出した大友克洋。だが90年代半ば以降の大友は、マンガ家としての仕事を休止してしまった感がある。手塚の本質が物語作家であるとするなら、大友の本質は「情景の描写」にある。時間芸術であり、しかしアニメと異なり直接的に「時間」が扱えないマンガは、必然的に「物語」を志向する。だが大友克洋は、出来事の一部を「シークエンス」として描写することに徹し、起承転結という物語の構成要素を使わない「反・物語作家」である。また大友は、マンガ・アニメにとって一番重要な要素とされている「キャラクター」に興味を示さない。彼がマンガ・アニメにもたらしたものは、「風景(背景)を主役にする」という、驚くべき世界であった。

●第五回 「マンガ版『ナウシカ』はなぜ読みづらいのか?」 12月予定

宮崎駿のマンガ版『風の谷のナウシカ』('82-'94)は、『カリオストロの城』('79)の興行的失敗後、アニメ界から「干されていた」時期に連載が開始された。宮崎にとっては数十年ぶりのマンガ執筆であり、そのマンガとしての「読みづらさ」にも関わらず話題作になり、宮崎自身によってアニメ化('84)された。マンガ版「ナウシカ」はその後も執筆が続けられ、長編大作として完結した。マンガ「ナウシカ」はなぜ読みづらかったのか。連載を経るに従ってそれがどう変化していったのか。マンガとアニメはどう違うのか。同じ作者がマンガとアニメ両方を手がけた「ナウシカ」は、双方の表現の差異を語るうえで格好のテキストである。

●第六回 「マンガとアニメが融合する日」 12月予定

新海誠「ほしのこえ」('02)はその完成度によってアニメ界に衝撃を与えたが、同時にエンターティンメント作品を、ほぼ個人の力で、パソコン一台で劇場公開レベルにまで持って行ったことでも話題になった。これはある意味で、集団作業では作家性の表出に失敗した手塚治虫の「夢」が実現したことを示すものでもあった。PCとネットの発展で登場した個人アニメ作家の作品を見ながら、マンガとアニメの制作手法が接近し、表現として融合していく未来を展望する。

※以上、詳しい時間と教室は学内掲示板に張り紙が出ると思うのでそちらを参照してください。

またこれは俺が多摩美でやっている通年講義のダイジェストでもありますが、内容は新たに構成しなおしてあります。アニメーションの話が多くなりますが、ぜひともマンガ学科の学生さんにも受講していただきたいと考えています。

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