コミックマヴォVol.5

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2008/06/18

マンガとアニメーションの間に(2-1)

■京都精華大学特別講義テキスト

●マンガとアニメーションの間に(2-1)
 第二回「ウォルト・ディズニーをどうとらえるべきか」(1)

●講師・竹熊健太郎

●ウォルト・ディズニーの登場

 ウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney,1901-1966)は、20世紀初頭のシカゴに生まれた。少年時代の彼は、コミック好きで内向的な性格だった。'17年、彼は高校に入学するが、同時に夜学で美術学校にも通い絵画と写真の基礎を学んだ。ときは第一次大戦のさなかであり、温厚だった彼も愛国心をかきたてられて、'18年に赤十字部隊に志願する。もっともフランスに派遣されたときには戦争は終わっていた。

 帰国後、ウォルトはカンザス・シティのグレイ広告社につとめ、ここでグラフィックデザイナー(のちアニメーター)のアブ・アイワークスと出会う。同い年の二人は意気投合し、ともにカンザスシティ・フィルム広告社に移籍。二人はここでアニメーションを学び、'22年に独立してラフ・オー・グラム社を設立した。

 初めて作った会社で、ウォルトは教育目的のアニメーションや、『ラフ・オー・グラム・シリーズ』というおとぎ話のアニメを手がけた。『長靴をはいた猫』(Puss in Boots,1922)はラフ・オー・グラム・シリーズの一編である。ウォルトは演出家兼アニメーターとして、アイワークスとともにこれを制作した。

●二流演出家・ウォルト

 後に「アニメ王」と呼ばれるようになるウォルトだが、初期の絵や作品を見ると、マンガ家としても、アニメーターとしてもたいした才能とは思えない。それは本人も自覚していたとみえ、早い時期から演出に回ったが、『長靴をはいた猫』などは肝心の演出が冗長で、冴えがない。当時としては丁寧な作画に好感がもてるが、これはアイワークスの功績というべきだろう。

 結局『ラフ・オー・グラム』は興行としても失敗した。苦境に立ったウォルトは起死回生を狙い、『漫画の国のアリス』シリーズ(Alice Comedy 1923-1926)を制作する。これはアニメの世界で実写の少女が活躍するという趣向で、それなりによくできたおもしろい作品だが、オリジナリティの面では感心できたものではなかった。まず「実写との合成」だが、これはすでにフライシャー兄弟が『アウト・オブ・ジ・インクウェル』(1919)で成功した試みの二番煎じである。

 またなにより、作中でアリスと一緒に活躍する猫のキャラクターが、サリヴァン&メスマーの『フェリックス・ザ・キャット』ソックリなのである。それも盗作といってもいいようなシロモノで、いかに当時のディズニーが、先輩であるフライシャーやメスマーの作品を意識していたかがわかる。

 初期ディズニーの問題点は、演出の未熟さ、オリジナリティの欠如に加えて、独自のキャラクターを持たないことにあった。フライシャー兄弟には「道化師ココ」がおり、サリヴァン&メスマーには「フェリックス」がいて、それぞれ人気を博していたことを考えると、商業的アニメ作家にとっての財産というべきオリジナル・キャラを、大至急創造する必要があった。

 そこでディズニー&アイワークスが作ったキャラクターが「うさぎのオズワルド」である。相変わらずフェリックスの影響が見られるものの、のちのミッキーマウスに通じる愛らしさを持ったオズワルドは人気が出、ようやくディズニーは苦境を脱するかに思われた。

 ところがシリーズを26本製作した段階で、オズワルドの配給元であった映画会社ユニヴァーサルが作品の権利を他人に売り渡してしまう。これはウォルトが配給会社といいかげんな契約を結んでいたことによる失敗だった。せっかくのキャラクターは彼の元を離れ、別の人間が制作することになってしまったのだ。

 この一件がウォルトに与えた影響は計り知れない。これ以後、彼はどのようなことがあっても自作の権利を保持し、他人に譲り渡さないことを決意するのである。

●ミッキーマウスの誕生

 失意のどん底にあったウォルトが、ハリウッドに帰る列車の中で描いたネズミのキャラクターがミッキーマウスの原型である、と各種の「ディズニー伝」は伝えている。どこまで真実かはわからない。実際にミッキーをデザインしたのはアイワークスであるとの説もあるが、初期のウォルトが作画を全面的にアイワークスに依存していたことを考えると、後者のほうが正しそうではある。

 ともあれ、ミッキーの誕生はディズニーの人生を変えた。彼はこの新しいキャラクター(当初の名称はモーティマー・マウス)を「まったく新しい手法」で作品にすることを考えた。そこで当時研究段階の発声映画に注目した彼は、トーキー化にかかる莫大な費用を調達するべく飛び回ることになる。プロデューサーとしてのウォルト・ディスニーはここからスタートした。また前年公開の『ジャズシンガー』の成功で、多くの映画館に音響設備が普及していたこともディズニーには有利に働いたといえる。

 本格トーキー作品であり、ミッキーマウスの実質的デビュー作である『蒸気船ウィリー』が完成したのは1928年である(実はこれ以前にモーティマーの名でサイレント作品が二本作られている)。今この作品を見ると、ほとんどがサイレント的な作りであって、ミッキーはあまり声を出さない(わずかに発するミッキーの声はウォルト本人がアテレコした)が、音楽が画面にシンクロすることそのものが観客を大いに驚かせ、喜ばせた。かくしてディズニーは成功への階段を登り始めるのである。

●ストーリー・ボードの発明

 ミッキーマウス・シリーズは、初期の数本のみウォルトが演出、あとはプロデュースに徹して演出も他人に任せている。だが、それでも作品はウォルトのものであり、他社作品とは明らかに違うディズニー・カラーがあふれていた。

 ウォルトは作画家・演出家として凡庸だったかも知れないが、「作品をイメージする才能」そして「人を使う才能」は超一流だった。一流のスタッフを雇い、彼らを「絵筆のように使って」自分のイメージ通りの作品を作り出す。それこそがプロデューサーの才能である。一口にクリエイティブな才能といっても、いろいろあるのだ。

 ウォルトがミッキーシリーズから学んだものはたくさんある。そのひとつが「強力な万人受けするキャラクター」であり、もうひとつがトーキーに代表される「新技術の導入」だ。このふたつはウォルトの成功哲学となるが、それ以外にもアニメ製作に「ストーリーボード」を導入して作品に緻密な構成をもたらしたことが、ディズニー作品のクオリティを決定づけた。

 ストーリーボードとは、最初に作ったシナリオをもとに作品の要所をイラスト(イメージボード)に描き、それを壁に貼って全体をビジュアルとして眺めながら細部を決定していく方法である。ディズニー・スタジオでは、ストーリーボードを撮影・編集して映像形式のエスキース(ストーリー・リール)を作成し、より具体的な形で検討することもある。ここで充分に論議をつくしてから、より詳細な設計図である絵コンテ作業に入る。

プロデューサーであるウォルトは、監督ら現場スタッフに自分の意志を効率的に伝達すること、作業の各段階を詳細に把握する(ダメ出しを行う)必要に迫られて、この方式を導入したのだと思われる。ウォルトがスタッフに要求した作業はストーリーボードだけではない。ストーリー・リール、コンテ、そして描かれた動画を撮影してフィルムの形態にしたペンシル・テストなど、本来であれば演出や監督がチェックするものまで、あらゆる段階を自分でチェックした。

ディズニー作品におけるウォルトの役割は、現在の「総監督」とプロデューサーを合わせた立場に近いといえる。現場に意図を伝えてOKかリテイクの判断を下すのが監督(演出)の役割だとするなら、総監督ないしプロデューサーは、監督(演出)の仕事に対してOKかリテイクの判断を下すのである(さらにプロデューサーは、製作資金の調達も行う)。

 ストーリーボード導入以前はどうしていたかというと、多くは簡単なプロットやギャグのアイデアがあるだけで、あとは現場のアニメーターに「おまかせ」だった。この場合実際の演出監督は、現場のアニメーターが行うことになる。この典型がフライシャーの「ベティ・ブープ」シリーズである。

 なるほど、平均7分という短編が主流だった時代では、こういういいかげんなやり方でも「作品」は成立した。実際「ベティ・ブープ」を見ると、ただ舞台設定があるだけで、あとは音楽とその場のノリにまかせて作品が暴走、時間が来てそれで終わり、というパターンが多かったのだ。

 しかし作品時間が一時間を超える長編作品となると、そうはいかない。そこにはどうしても作品を成り立たせるためのストーリーが必要になるのである(ストーリーがなく、ただイメージ的なシーンが延々と続く長編など、普通の観客にとっては拷問に等しい)。ディズニーが『白雪姫』(1937)によって並み居るライバルを蹴落とし、業界の覇者となった背景には、ストーリーに対する考え方の違いがあったといえる。 (つづく)

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