陰謀論よりラジカルなもの
昨日、東高円寺で開かれている鬼放展(ダダカン展)第二会場である、東高円寺のギャラリーPara GLOBEに行って来ました。銀座会場の初日は人が多すぎて、展示がよく見られなかったんですが、こちらは地下にある小さい会場ながらたいへん見やすい展示で結構でした。
平日昼にも関わらず数人のお客さんが来ており、ほとんど無名のヘンテコ・アーチストの展覧会を会場ふたつで同時開催するという異例の展示にも関わらず、これは成功ではないでしょうか。
会場では特製ポストカードも販売しておりまして(1枚150円)、銀座で買い損なったのでこちらで買うことに。若き日のダダカン師を撮影したカッコイイ葉書です。
銀座会場は、高円寺会場よりスペースがやや大きく(どっちも狭いですが)、ダダカン師の歩みを中心に展示した総合展といった趣でしたが、東高円寺は師のハプニング(パフォーマンス)が中心。師が着用した衣装とともに、師直筆の「ハプニング計画メモ」もあって、ダダカン師といえば発作的にストリーキングしているイメージがありますけれども、やはりこうやってきちんと計画した行動だったのだなあと感心してしまいました。
あと、ビニールテープを貼って「描いた」という絵画作品も三点展示されていて、これがマチスの切り絵みたいでいいんですよ! ダダカン師のアートはこれまでコラージュしか見たことがなく、絵画作品は俺、はじめて見ました。
でもダダカン師の「作品」といえば、なんといってもハプニングということになるわけですが、これはその性質上、ほとんど形として後に残らないものなわけですね。残っているものとしては、写真と、あとハプニングを収めた映像が少なくとも四本あるそうなんですけど、ゼロ次元の映画『いなばの白うさぎ』を除けば残り三本は今でも行方不明です。今後の発掘調査に期待したいところです。
師のハプニングで究極のものは、70年代に1万円札を半分燃やして知人数名に送りつけた「お札焼却儀式」だと思います。お金そのものをテーマにしたアートでは、60年代に裁判になった赤瀬川原平の「模型千円札」が有名ですけど、あれは赤瀬川さんが1年近くかけて畳一枚ほどの大きさで千円札を模写して、展示したんですよね。すごい努力で「描いた」という意味では立派な絵画作品なわけです。立派すぎて法律に触れてしまったわけですが。
しかしダダカンさんの「お札焼却儀式」は、元手こそ焼いたお金分かかっていますが、手間としてはほんの数秒で出来ることで、あとはその勇気があるかどうかですね。お金というものは、燃やすと貧乏になりますので、崖から飛び降りるくらいの勇気が必要になります。さらには貨幣変造罪(赤瀬川氏の場合は貨幣偽造罪)(※)に問われて逮捕されて犯罪者になる可能性もあります。
(※)赤瀬川原平の「千円札裁判」については、俺に事実の勘違いがあったようです。赤瀬川氏が模型千円札を作って展示したことは事実ですが、この時点で逮捕されたわけではなく、ある本に赤瀬川が作った印刷千円札(模型千円札とは別物)が写真で掲載されたことから発覚し、逮捕・起訴されたものです。しかも逮捕理由は「偽造罪」ではなく、、「通貨及証券模造取締法」という明治28年に施行された法律によるもの。「偽造」ではなく「模造」ですね。赤瀬川氏の「模型印刷千円札」は単色で、オモテ面しか印刷していないことから偽札として使用する意図がないことは最初から明白であったので、「偽札目的でないことはわかるが紛らわしいものを作るな」とのことで、明治時代に作られたマイナーな法律で起訴されたとか。以下のブログのKokada inetさんが指摘してくださいました。どうもありがとうございました。詳しくは以下のブログと、ウィキペディア「千円札裁判」をお読みになってください。
http://d.hatena.ne.jp/kokada_jnet/20080919#c
↑赤瀬川原平の「千円札事件」を、竹熊さんも勘違いしている…。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%83%E5%86%86%E6%9C%AD%E8%A3%81%E5%88%A4&oldid=21644317
↑Wikipedia 千円札裁判
自分のお金を燃やして逮捕されるというのはなんとも不思議ですが、貨幣とは国家の権威がなければただの紙切れなので、国家は自らの威信にかけてその価値を守ろうとします。つまりお金は「国家そのもの」であるわけです。それを燃やすことは国家を否定することになるので、お巡りさんに捕まっても仕方がない行為なのです。もちろん「捕まってもいいから、やる!」という判断もあるわけで、こうなればそれは犯罪かもしれませんが同時に芸術なのですから仕方がありません。
もともとお金は兌換券で、何と兌換できたかというと金(ゴールド)です。本来ならお金を持って銀行に行けばゴールドと交換されるはずだったんですが、いつの間にかそれはなしになりました。アメリカは、1971年にドルと金の交換を停止することを決めました(ニクソン・ショック、ドル・ショックとも)。
ドルは世界の基軸通貨なので、当然世界もアメリカに右へならえをします。このとき以来、お金の価値の裏付けがゴールドから国家そのものになったということですね。国家が「価値がある」と保証しているからお金は価値がある。しかし旧ソ連を見るまでもなく、未来永劫存続する国家というものは存在しません。国名が残っても、国家体制が変わって、お金が紙くずになってしまうこともよくあります。
つまり、大学で教える経済学とか、いろいろ難しい学問になっていますけれども、経済の本質って、もしかするとペテンかもしれないということですね。いや、たぶんペテンなのだけれども、あまりにも規模の大きなペテンなので、我々にはこれをどうすることもできない。とりあえずは、国家やお金を信用して、考えることをやめてその日を暮らす以外に手はないわけです。
ダダカン師の「お札焼却儀式」は、俺の知る限り、この世のあらゆる「表現行為」の中で、もっとも過激でラジカル(根源的)なものだと思います。ただ、それが頭がおかしいと思われている、逮捕歴がある無名の「自称芸術家」がやったことなので、何事もなく世の中は動いているだけです。
もしここで「お金なんてまやかしだ。国家が国民にかけた催眠術みたいなもので、実はこんなものに価値なんかないんだ。すべてはロックフェラーの陰謀だ」と叫んでいたら、これは陰謀論にとらわれた頭のおかしい人ということで、社会はこれを無視するだけですが、ダダカン師は陰謀論を唱えるような無粋な真似は決してしません。
ただ何も言わずにお札を半分燃やして知人に送りつける
だけです。この話を聞いた赤瀬川原平は「ゾっとした」そうです。俺もゾッとしました。もちろんこれは犯罪なので、「鬼放展」には展示されていません。犯罪は「悪いこと」かもしれませんが、「お金を燃やす」のは、誰に対して悪いことなのでしょうか。お金を燃やして自分以外の誰に迷惑がかかるというのでしょうか。…もちろんそれは、お金の価値を保証している「国家」に対して「悪いこと」なわけです。お金を傷つけるというのは、国家の威信に傷をつける行為なので、それは悪いことなわけです。
鬼放展には、お札焼却儀式のような、根源的にヤバイ作品は展示されていません。まあ、だからこそ開催できたわけなんですけども、ダダカン糸井貫二という「本物の芸術家」が存在して、その表現は本物すぎて展示できないので、せめてその芸術の痕跡を展示した珍しい展覧会だといえます。銀座会場は20日まで、高円寺会場は27日までやっていますので、みんなで見ましょう。
リーマンブラザースが破産して、世界経済やばくね? というタイミングで鬼放展が開かれたというのも、何かの縁のような気がします。
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