コミックマヴォVol.5

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2008/10/28

マンガとアニメーションの間に(3-2)

■第三回「手塚治虫の引き裂かれた夢(2)」

【C】手塚マンガと「ディズニー以前」

●手塚のアニメーションからの影響となると、ディズニーについての話が(本人のコメントも含めて)ほとんどを占める。しかしディズニー以前(1910年代)からアニメで活躍していたフライシャー兄弟の影響も見逃すことはできない。

→たとえば手塚マンガに特徴的に見られる表現に、間白(コマとコマの間)にキャラクターがしがみついたり、間白をキャラが突き破るような「メタ表現」が」しばしば出てくる。こうした「作品構造を逆手にとったメタ表現」は、フライシャー作品に非常に多く見られる表現だ。

Mahaku02_3←夏目房之介が手塚の「冒険狂時代』を例に挙げ、コマのメタ形式ギャグを解説した「間白という主張する無」より(「マンガの読み方」所収)。

●上のyoutubeにアップされているフライシャー作品『ポパイ』シリーズの一遍『Goonland』(1938)の中に有名な「メタ表現」が登場する(7分20秒から40秒の部分を注目)。ポパイと父親が奇妙な原住民に襲われるのだが、危機一髪の瞬間、いきなりフィルムが切断して原住民がフィルムの切れ目から「こぼれ落ちる」。続いて画面に映写技師の手(実写)が出現し、切れたフィルムをつなぎ合わせて映画は続行、ポパイたちは難を逃れる。

→こうしたメタ表現は、1920年代までのアニメーションには「ごくありふれた表現」だった。そもそも元祖アニメーターのウィンザー・マッケイの作品からして、作中にマッケイ(実写)が紙に絵を描くと、それがアニメとなって動き出す趣向から始まったのである。

→最初期のアニメは絵が動く驚異を見せるための「見世物」だった。

●1922年にデビューしたウォルト・ディズニーも、当初は実写・アニメ合成の作品を作っていたが、30年代に入るとこの趣向を止め、アニメーションの完成度をひたすら上げて虚構の自立化を目指した。虚構性(絵であること)を保持したまま実写以上のリアリズムを呈示するアクロバットをはかったのだ。『白雪姫』(1937)はその到達点。

→ディズニーは作画面だけではなくシナリオを重視し、ストーリーボードを発明して「共同制作物としてのアニメーション」を完成させる。一方のフライシャーはシナリオに対する興味が希薄で、長編の時代が到来すると、「構成」に難があったフライシャーは脱落していく。

●昭和3年(1928年)生まれの手塚にとって、物心ついた30年代はまさにディズニーとフライシャーのライバル関係が最高潮だった時代である。『Goonland』が公開された昭和13年(1938)頃までは、アメリカのアニメーションは3ヶ月から半年遅れで日本でも上映されていた(アニメ史研究家・津堅信之氏の指摘による)。手塚はアメリカ製アニメーションをほぼリアルタイムで享受していたという。

→しかし手塚が『Goonland』を見ていた証拠はない。だが実写+アニメ合成によるメタ表現作品はこれ以外にもたくさんあり、またフライシャー作品は基本的にメタモルフォーゼの嵐である。そうしたものの影響を手塚は受けていると思われる。

●非理性的で原初的なフライシャー作品と同時に、理知的なストーリー構成を手塚はディズニーから学んだのではないか。
両者は手塚の中でアマルガムになっている。

【D】アニメ製作者としての手塚治虫

●1955年に発足した東映動画は、1960年に手塚を原作者兼監督(藪下泰次と共同)に招聘して『西遊記』を製作・公開した。

→憧れのアニメ製作に参加することができた手塚だったが、大企業の雇われ監督として、共同作業の中で作家性を出すことの限界を感じ、これが’62年、虫プロダクション創設の理由となる。

●虫プロ第一作『ある街角の物語』は佳作になったが小規模な公開で終わり、会社を維持するためにテレビアニメ『鉄腕アトム』を製作・放映。

→週に1本のアニメ作品を制作していくことは無謀と思われたが、手塚はスタッフとともに「虫プロ流リミテッド・アニメ」を考案、製作手法の大幅な簡略化を図った。

→リミテッド・アニメは「画面の一部を動かす」という意味で、必ずしもセル枚数を節約するための方法論ではない。しかし手塚らは通常1秒2コマ撮りの撮影を3コマ~5コマ以上にし、作画枚数を物理的に節約した。

●東映動画から虫プロに移ったアニメーターの杉井ギサブローによる貴重な証言がある。

杉井 僕は『鉄腕アトム』の第一話では原画をやっているんですが、もう忘れもしない僕が描いたアトムのワンカット目です。動画紙に先生の絵でレイアウトがしてあって、「アトム、驚く。二秒」と書いてある。(中略)それで、僕は「アトムが驚いてハッとなる」カットだと言うことで、驚いた顔の、その前の原画を一所懸命描いていたんですよ。すると、先生がいきなり後ろにやってきて、「ギッちゃん、何やってんですか?」と。「いや、アトムが驚くと書いてありますから、ハッとするアクションをさせようかと」「その動きはいりません」「は?」「驚きっぱなしの、止めの絵でいいです」という話になってね(笑)。
(中略)
杉井 僕は、そのちょっと前まで、東映でフルアニメーションやってますよね。だからこんなものはアニメになるものかという感じでしたよ。二秒間驚いてて、目がパチパチとして、口でパカパカとセリフを言って、汗も動かさない。(中略)それこそ、手塚先生に途中で「こんなものはアニメーションじゃない」と言ったこともあるんです。そうしたら手塚先生が名セリフ「ギッちゃん、これはアニメーションではありません。テレビアニメです」と言ったんですよ。「テレビアニメってどういうことですか」と聞いたら、「いや、ギッちゃん、動きを動きで見せていくものがアニメーションだというのであれば、僕は子どもたちに物語を見せたい。その物語を補足するためのアニメーションであればいい。そうするとギッちゃんがやろうとしていることは、動きの説明にすぎないんですよね」(「SF JAPAN2002年冬季号 手塚治虫スペシャル」)

手塚は、あくまで「物語」を主眼としたアニメを作ろうとした。そのため「電気紙芝居」と言われようとも「動きは最低限とし、物語を伝えること」のみに専念したアニメ制作を始めたのだ。

  →手塚アニメに対するアニメ界の冷淡な反応は、『新宝島』で大ヒットを飛ばした手塚に対して、マンガ界の大御所たちが手塚マンガを邪道視して毛嫌いしたことにも通じる(しかしアトムがヒットしたとみるや、東映動画を始め各社が雪崩をうって参入した)。

  →マンガにおいても、手塚が第一にやろうとしたことは「ストーリーを伝えること」であり、絵として鑑賞させることではなかった。絵を「記号化」し、さらにはスター・システムと称して同一キャラクターを別作品で使い回すことも厭わなかった。

  →手塚は、マンガで成功した「ビジュアルで物語を伝える方法論」を、そのままアニメーションにも持ち込もうとしたのではないか。

  →手塚の昭和30年代の担当編集者で、のちにアシスタントを勤めた福元一義によれば、手塚の「功績」は作画システムを簡略化して作品の量産に成功したことだという。 物語第一主義で、制作を効率化して量産化を図ると言うことは、そのまま虫プロのテレビアニメ制作に通じる。

●虫プロダクションは、テレビアニメの道を開き人材を養成し、その技法はこの数十年で洗練され逆に海外アニメーションにも影響を与えるまでになった。しかし、その中心人物たる手塚の、アニメ作家としての評価は必ずしも高くはない。

→手塚の作家性は、個人作業をベースとするマンガにおいて真価を発揮したが、集団作業を前提とするアニメーションにおいては必ずしも成功しなかったのではないか。ここに私は手塚の「引き裂かれた夢」を見る。

 →晩年になって手塚の監督作品『JAMPING』(1984)がザグレブ映画祭でグランプリを受賞し、翌年の『おんぼろフィルム』で戦前のアニメにオマージュを捧げてこれも高い評価を受けるなど、ようやく「作品としての評価」が高まった。どちらもいわゆる「虫プロ風リミテッド」のスタイルを捨て、物語ではなく技法としてのアニメを追求した実験作だった。最後になって、ようやく手塚は作品としての評価を受けたのだったが、『おんぼろフィルム』は露骨にフライシャー風作品であることが面白い。

  →手塚の死後、2000年代になってPCによる個人制作アニメの道が開かれた。新海誠『ほしのこえ』(2002)の登場は、「個人作家によるエイターティンメント・アニメの誕生」という意味で、手塚治虫の夢が実現したものとは言えないか。

※つづく宮崎駿を扱った講義レジュメは、講義直前までかかりそうなので終了後にアップする予定である。

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