コミックマヴォVol.5

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2008/12/18

マンガとアニメーションの間に(5-2)

第五回「反“物語”作家としての大友克洋」(2)

●『NOTHING WILL BE AS IT WAS』に見る「反物語」

 70年代大友の特徴がもっともよく現れている作品として、'77年の『NOTHING WILL BE AS IT WAS』をあげたい。この作品は、自室で口論になった友人を思わず殺してしまった主人公が、死体の処理に困って、ひたすら死体をバラバラにして「処理する」過程を描いた作品である。

 この作品では、殺人事件を扱った犯罪ドラマがまず描くであろう「殺人の動機」や「殺人に至る過程」が一切描かれない。冒頭のコマからして自室の畳の上にゴロリと転がった死体のアップであり、その後の処分過程を綿密に、しかし淡々と描くのみである。さらには、犯罪の結果もここには描かれない。作品の中で、アパートの住民が主人公の挙動に不審なものを感じることが描かれるのみで、その後の犯罪の発覚や、逮捕の場面などもまったく触れられないのである。

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←『NOTHING WILL BE AS IT WAS』(’77)より。脂で切れなくなるので、糸ノコをバーナーで炙りながら死体を切断しなければならない。作者は本当に人を殺したのではないかと思えるほどのリアルな描写。

 つまりこの作品は、普通のアパートでうっかり人を殺してしまったら、自分はどうするかということをひたすらシミュレーションしたものなのだ。アパートで死体を解体することがいかに大変な作業であるかを大友は描きたかったのであり、彼がどうして友人を殺すに至ったかの動機、主人公の罪悪感、犯行が露見してからの末路を描くといった、倫理的なテーマは完全に欠落している。そうした「よくある物語」に作者は興味を感じていないのである。

 こうした大友の「反物語志向」は、 '76年発表の『犯す』、'77年の『宇宙パトロール・シゲマ』に見る物語の「外しぶり」などにも見ることができる。通常であれば作品として成立しえないものを、それでも作品にしているものは、大友の徹底したリアル志向に基づく画面の描写力と演出力に他ならない。

 70年代の大友は、その類いまれな描写力によって「物語」を解体しつくしたのである。物語をすべて描写のレベルに落とし込んで、そこから道徳的な意味をはぎ取っていく。それこそが初期大友の考える「リアル」だったといえる。

●「背景」を主役にする

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←骨と内臓だけになった主人公が手術台から起き上がる『Fire Ball』('79)のあまりにも有名なシーン。悪夢のようなこの1コマを描いたことで、後の大友作品の方向性が定まった。

 大友克洋が一般的な注目を集めたきっかけは、'79年発表の『Fire Ball』からである。それまでいくつかの短編で垣間見えた彼のSF指向が大胆に開花した作品で、後の『AKIRA』の原型でもある。主人公はコンピュータ管理下における未来社会で生きる兄弟。兄は警官、弟は反体制の活動家としてそれぞれ別の道を歩んでいたが、人間を支配している巨大コンピュータが兄に超能力の素質があることを見抜き、研究のために彼を生体解剖しようとする。一方弟はゲリラとしてコンピュータを破壊しようとするものの、直前に発見され射殺されてしまう。その瞬間、弟の心がテレパシーで伝わって、解剖中の兄の超能力が発現する。彼は骨と内臓だけの姿で手術台から起きあがり、恐るべき力で都市を破壊しはじめる。

 手術台から起きあがる解剖された身体のシュールな映像は、官能的かつ圧倒的で、その抜群の画力とあいまって当時大いに話題となった。それまでクライマックスを意図的に避けていた感のある大友が、はじめて本格的な「クライマックス=見せ場」を描いたという意味でも記念すべき作品であり、ここで大友がつかんだ客観的描写と視覚的見せ場のバランス感覚は、続く『気分はもう戦争』(原作・矢作俊彦)そして『童夢』で完成する。

 巨大団地を舞台に、痴呆老人と幼児の超能力対決を描いた『童夢』は、設定のユニークさもさることながら、都市の景観が持つ本質的な不気味さを描くことに成功した点でモダン・ホラーの傑作となった。個人が埋没する団地という場所の無機質性は、大友の客観的画法と完璧にマッチしており、この作品の真の主役は「団地」そのものなのだともいえる。「キャラクターと背景を等価に描く」大友作画は、ここで背景(風景)それ自体を主役にするという、マンガの歴史の中でも極めて特異な作品として結実した。このスタイルは続く『AKIRA』で全面開花することになる。

 '82年から「ヤングマガジン」で連載開始された『AKIRA』は、同名のアニメ作品とともに大友に世界的名声をもたらした。

●映像作家としての大友克洋

 マンガ史的に見た場合、大友作品は「映画的手法」のひとつの終着点であるということができる(その意味では作風は別ながら、手塚に戻ったと呼べるところもある)。徹底して画像の「客観性」にこだわり、線の強弱を抑制し、漫符のような「マンガ的手法」も可能な限り排除する。しかしながら、それが紙という二次元メディアにおける「時間表現」である以上、これはやはり、あくまでもマンガなのである。

 大友の実写映像指向は、たとえば『サン・バーグズヒルの想い出』('80)などを見るとよくわかる。ここでのクライマックスの銃撃戦は、大友が好きだというサム・ペキンパー監督のアクション表現を思わせるものがある。細かいカットを畳みかけるように多用し、要所でスローモーションをまじえて効果をあげるペキンパー流の暴力表現は、ここでは音喩(擬音)を排した細かいコマの積み重ねで見事に表現されている。もちろん、たしかにそれは映画的なのだが、同時にマンガでしかできない表現でもある。機会があればペキンパーの代表作『ワイルド・バンチ』などと見比べてみるのも面白いだろう。

 こうした大友の映像指向は、当然のように実際の映画へと彼を向かわせることとなった。もともと映画好きだった彼は学生時代から自主映画を製作しており、マンガ家になってからも『じゆうをわれらに』のような実写作品(16ミリ)を発表している。アニメーションに関わったきっかけは、'83年、角川映画『幻魔大戦』(りん・たろう監督)にキャラクターデザイナーとして抜擢されたことによる。

 この作品で大友はキャラクターデザイナーの枠を越え、美術コンセプトやイメージボード等、作品の演出的側面にも大きくかかわった。そしてこの作品に参加していた多くの優秀なスタッフと出会ったことで、大友のアニメ作家としての道が開かれていったのである。
 アニメーションの処女作は角川のオムニバス作品『迷宮物語』の一編『工事中止命令』(眉村卓原作、'87)である。これが初演出とは思えぬほどに完璧な作品に仕上がった。「主役としての背景」が徐々に人間を浸食していく大友独自の映像美は、翌年の長編アニメ『AKIRA』('88)で全面開花し、実写・アニメを問わず世界中の映像作家を驚かせた。

 近年はマンガからは遠ざかり、'80年代後半以降の大友はほとんど映像作家となった感がある。いずれもすぐれた作品であるが、マンガが全般的に閉塞状況に陥りつつある現在、今一度紙媒体に戻ってもらいたいと望むのは私ばかりではないだろう。

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