マンガとアニメーションの間に(6)
■京都精華大学連続講義レジュメ
第六回「マンガとアニメが融合する日」
講師 竹熊健太郎
●「いつの日にか、カンザスの少女が、父親のビデオで「風と共に去りぬ」を撮る日が来るだろう」
この言葉は70年代後半、大作戦争映画「地獄の黙示録」制作中だったフランシス・コッポラがインタビュー中に述べた発言である。ふつう映画制作には莫大な制作費がかかるが、コッポラのような作家性が強い映画監督にとって、「自分の作品」を作るために数億から数十億におよぶ制作資金をどうやって調達するかが悩みの種であった。
「地獄の黙示録」はコッポラ畢生の大作であり、50億円に達したといわれる制作費を全額「自己調達」した「史上最高額のインディペンデント映画」としても話題を呼んだ。その制作中に受けたインタビューで映画制作の未来について訊かれ、つい「いずれ田舎町の少女であっても、自宅ガレージで大作映画が作れる時代がくる」という自分の「願望」を漏らしたものだ。
コッポラは技術に詳しい監督であるが、この発言時(70年代)に想定していたものはホームビデオであってコンピュータではない。しかし21世紀に入った現在、コッポラのこの「夢」は、ほぼ現実のものになったといえる。コンピュータ一台で、役者も使わず、カメラやフィルムすら不要になって、極めて安価に映画(アニメーション)を制作することが可能になっている。個人で「風とともに去りぬ」クラスの超大作を制作することも、遠からぬ未来には可能となるに違いない。
●アナログからデジタルへ
個人制作アニメーションの歴史は古い。もともと1910年代に欧米でアニメーションが成立した時点では、作者はマンガ家が中心であり、彼らが個人ベースで短編フィルムを制作することが一般的であった。アニメーションはそもそも、マンガ家の仕事の一分野として成立した経緯がある。
それが1920年代に入ると、アニメーションは分業化・産業化されて、集団制作を前提とした複雑な作品が一般化する。この状態に変化が訪れるのは、1950年代にリミテッド・アニメーションが確立し、アニメーション制作のコスト・パフォーマンスが改善されてからである。ここから個人作家が続々と参入したアート・アニメーションの流れが勃興する。
純粋芸術としてのアート・アニメーションは、'50年代以降現在まで連綿と続いている。しかしその性格から、作品公開の場は映画祭などが多く、一般の観客がこれを見る機会は限定されている。また表現内容とスタイルも当然、大手スタジオが制作するアニメーションとは異なっていたが、'80年代以降、パーソナル・コンピュータの普及によって革命的な変化が起こった。コンピュータ・グラフィック(CG)の成立である。
CGは'90年代に入って急速に一般化し、2000年前後には、個人作家でもこれが使えるようになった。ここに、従来の画家でもアニメ関係者でもない、CG技術者出身作家による個人アニメーションが成立したのである。
一般には2002年に発表された『ほしのこえ』(新海誠)が、CG表現を駆使した個人アニメーション興隆の嚆矢だと考えられている。この作品は従来のアート・アニメの枠組みを離れたエンターティンメント作品としても高い完成度を持ち、劇場公開に耐えうる映像を個人がPCひとつで制作したということで評判となり、DVDで発売されてベストセラーを記録した。この作品以降、この分野に参入する作家が増え、個人制作のアニメーションはブームとなった感がある。
●個人アニメ作家の新しい流れ
最初に、個人制作においてハイ・クオリティを追求している作家中心に紹介する。もちろん現在これとは別に、FLASHなどの簡易アニメーション・ソフトを使ってコストパフォーマンスのよさと娯楽性の両立を追求する作家も現れており、このふたつの流れが相まって個人アニメーション・シーンを活気あるものにしている。特にFLASH系作品は、ある意味で「マンガの進化形」ととらえることができ、これはこれで興味深いが、詳しくは後半に紹介する。
クオリティ系の作家もFLASH系の作家も、ともにコンピュータ技術をベースに成立していることは間違いない。彼らの多くはCG技術者出身であるが、いずれも個人ないしは少人数のスタッフ編成で制作していることが共通している。
またエンターティンメントとして「商業性」を意識していることも従来のアート系個人作家とは一線を画する。全員が自分のウェブサイトを持ち、制作中から自サイトでトレイラー(予告編)など、積極的に自作の情報発信を行っているのも特徴である。
新海誠は、CGコンテスト(DoGA)に応募した自作『彼女と彼女の猫』(1999)が注目され、ついで『ほしのこえ』(2002)のトレイラーを自サイトにアップしたことから口コミで評判となり、出資する会社(コミックスウェーブ)が名乗りを上げ、作品を完成させDVDとして販売することができた。
これは個人作家が活動するうえでのひな形となり、現在では多くのエージェント会社が現れて、個人制作を支援し、作品を販売する動きが始まっている。映像作家が作品を制作・発表するための、まったく新しい時代に入っているのだといえる。
ネットで「活動漫画館」というサイトを運営しているのすふぇらとぅというアニメーション作家がいる。彼は2000年からGIFアニメをネットに発表し始め、現在それは本格的なアニメーションに発展して継続しているが、作画技術的には、商業スタジオ関係者も顔面蒼白になるほどのクオリティに達している。にもかかわらず、彼は本業(八百屋さん)を辞める気はなく、今後もアマチュアの姿勢を崩すつもりはないという。こういう作家も存在しているのである。
●アニメーションGIFとFLASH
PCを使用して作成するアニメーションを考えるうえで、外すことができないものがアニメーションGIFとFLASHによるアニメーションである。両方ともアニメーションの制作・閲覧ソフトの名称である。アニメーションGIFは1995年にネットスケープというインターネット・ブラウザが正式サポートしたことから普及し始め、数年後にFLASHが普及しはじめるまでウェブ上で見るアニメーションの主流だった。
FLASHは、1996年にFutureWave Software(のちマクロメディアが買収・現在はここもアドビが吸収合併)が発売したソフトであるが、安価に本格的なアニメーションが作れることから2000年代初頭に普及し始め、データ容量の軽さもあって、現在ネットで見る動画フォーマットの主流となっている(※※)。
ウェブ上におけるアニメーションの隆盛は、1999年頃から普及し始めたADSLなどのブロードバンド回線と常時接続サービスの開始によって始まったといえる。アニメーションの歴史の中で、私はインターネットと、これら二つのソフトの普及がとりわけ重要だと考える。その理由は、初めてアニメーション制作が「個人のために」解放され、公開にも制約がなくなったということである。個人制作のアニメーションはそれまでにも存在していたが、フィルムを使用するという時点である程度の予算と技術が必要になり、上映する機会も限定されていた。そうした「敷居の高さ」が、2000年代に入って一気に解放されたのであった。
●DOGAとJAWACON
CGを利用した個人アニメーションの発表の場として、DoGAが1989年(※)から毎年開催している「CGアニメーションコンテスト」が有名である。CG制作に特化したアニメーションコンテストとしてもっとも歴史が古く、2000年からNHKが放映している番組「デジタル・スタジアム」とともに、CG系個人アニメーション作家の登竜門となっている。
2005年には大阪で「JAWACON」が開催された。これは当時CG系個人作家のうち、FLASH作品に特化した上映会として注目を集めた。JAWACONの特徴はただの上映会でもコンテストでもなく、個人作家のプロデュースやエージェント業に進出をはかっていた企業関係者を集めた「見本市」であったことで、ここから『秘密結社鷹の爪』の蛙男商会や、『やわらか戦車』のラレコなどが自作をビジネス展開する契機を得た。またアニメーションとマンガの双方で活躍する丸山薫の代表作『吉野の姫』が発表されたのもJAWACONであった。
80年代末から始まったこれらCG系コンテストは、受賞作品のソフト化やビジネス展開も視野に入れているという点で、それまでのアート系映画祭とは一線を画している。
●FLASH系商業作家の台頭 ラレコと蛙男商会
ラレコは90年初頭からマンガ家アシスタントを約10年続けたのち、マンガに見切りをつけて、30歳代に入ってからアニメを作り始めた。最初の作品は2003年のGIFアニメ『カレーパンのうた』である。作画も、添えられた自作の歌もまだ素朴なレベルであるが、すでにフィルム傷をわざとつけた黄色の画面や、自作曲のミュージカル・アニメというラレコ作品の特徴が現れているところが興味深い。はじめはGIFアニメで制作していたが、すぐにFLASH制作に転じ、独自のキャラクターによるミュージカル作品『くわがたツマミ』『やわらか戦車』で商業的にもブレイクした。ドラマ志向の強い日本のアニメーションの中では、音楽を中心に据えた「シンガー・ソング・アニメーター」とでも呼ぶべき存在であり、希有な作家である。
蛙男商会も、ラレコ同様、もともとアニメプロパーな作家ではない。彼は実写ドラマと映画の助監督を10年務めた後、FLASHでアニメの自主制作に転じた。絵はほとんど描いたことはないが、脚本と声の演技に自信があった彼は、シナリオとほとんどのキャラの声を担当し、簡易な作画をテンポのいい編集で繋げて作品を成立させる、大胆な作風を作りあげた。これはアニメプロパーな作家からはあまり出てこない発想である。
蛙男商会は、個人で作る映画という概念を突き詰めた結果、「台詞とカット割りのみで成立するアニメーション」というある意味アクロバットな作風に至ったわけであるが、「絵がほとんど動かないにも関わらずアニメとして面白い」という異様な作品である。これはリミテッド・アニメーションのひとつの究極型と言ってもよい。
ラレコ作品も蛙男作品も、FLASHの利点を極限まで生かしたコスト・パフォーマンスのよさが特徴である。ここまで効率的なアニメーション制作は、プロのスタジオ制作では逆に困難なものであって、いまや商業アニメ界からも注目の的となっている。
個人でアニメーションを製作するということは、そのまま手塚治虫の夢であった。「ほしのこえ」に始まるデジタル系個人アニメーションの出現は、かつて「一人で作る映画」としてのストーリーマンガを築き上げた手塚の構想がほぼ実現したといってもいい。つまり、現在はマンガを制作する程度のコストパフォーマンスでアニメを制作しうる時代になったということなのである。
●マンガとアニメーションの間に
井端義秀『夏と空と僕らの未来』は第17回CGコンテスト入選作である。この作品はマンガのコマ割りをそのまま画面に生かしつつ、コマの中でキャラクターが動き、最後のコマを見終わるとページがめくれるという、マンガとアニメの折衷形式のようなユニークな作品になっている。庵野秀明がテレビアニメ『彼氏彼女の事情』で、原作マンガそのままのコマ割りをアニメ画面内で映して話題になったことがあるが、コマ割りを画面に生かすという意味では井端のこの作品のほうがはるかに大胆で、しかも成功している。
マンガにおける「コマ」の役割とは、第一に物語内の時間を分割し、平面上に再構成(レイアウト)するものである。第二に、読者の視線を巧みに誘導することで、作品における「時間」を読者に追体験させるものである。
本来それは読者の視線の運動に任され、作者が「このコマは2秒、次のコマは15秒」と読者の「読む時間」を規定することはできない。そのため、たとえばコマ割りをそのまま画面に映してカメラワークでコマを読ませると、読者はこれを窮屈に感じることが普通である。ところが井端のこの作品では、作者の視線誘導に窮屈さを感じないばかりか、心地よい運動性すら感じてしまうことは驚きであった。マンガとアニメのフォーマットの違いを考えるうえで、これはユニークで重要な作品になっている。
ふかさくえみの『マルラボライフ』は、アニメではなくウェブマンガに分類すべき作品だが、画面の矢印をクリックして次のコマに進む構成や、クリックごとに現れるフキダシやセリフ、画面に流れる音楽、コマによってはアニメーションとして動くなど、マンガ・アニメ・ゲームの要素が複合したジャンル越境的な作品である。これもFLASHベースで作られているが、PCとインターネットで見られることを意識して作られた作品だ。創作ツールのデジタル化だけでなく、閲覧するデバイスの違いによって、新たな表現が生まれてくるいい例だと思う。
※読者からご指摘を受け、記述の一部を訂正しました。最初「株式会社DOGA」と書いていましたが、子会社に株式会社DoGAがあるものの、母体のDoGAは非営利団体であることからたんにDoGAに直し、またCGコンテストは96年開始ではなく1989年開始の誤りでした。謹んで訂正します。
※※FLASHについての記述も一部訂正しました。ご指摘くださった方、ありがとうございました。
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