就職しないで生きるには
↑就職しないで生きるには(上の図版は旧版。現在刊行中の表紙は色が違っているが中身は同じ)
レイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』は、1979年にアメリカで初版が出版され、81年に晶文社から日本語版が刊行されました。今なお現役で刊行されている大ロングセラーであります。
俺は最初の邦訳刊行時に読んだんですが、81年といえば、俺が20歳から21歳にかけての年であります。まだ20歳だったこの年の春、俺は学校を中退して、家出したのでした。それからしばらくはホームレス状態が続き(最初の半年は本物のホームレス。野宿こそしなかったが友達のアパートを転々としていた)、お先真っ暗な状況だったのですけど、そういう時に、本屋でこの本を目にしたのでした。俺の心情そのままのタイトルは、衝撃的でした。
本書を一言で説明するなら、「ドロップアウトした人のための“起業のすすめ”」であります。ドロップアウトを直訳すれば「落ちこぼれ」ですけれども、現在のこの言葉が持つネガティブなニュアンスではなく、ベトナム反戦運動における「良心的徴兵拒否」とか、「進学-就職」といった支配的な価値感に対する反抗としてこれを拒否する、強いて言えば「自らの意志で枠外の生き方を選択する自由人」のような、ポジティブで積極的なニュアンスがありました。
60年代後半、カリフォルニアの大学生を中心に世界的な「ヒッピー・ムーブメント」が巻き起こりました。彼らは、それ以前から世界的盛り上がりを見せていた「マルクス主義学生による政治的革命運動」とは一線を画していました。武力革命によって政治体制の直接的転覆を計るのではなく、道行く人に、政治的なビラのかわりに花を配る「ラブ・アンド・ピース」の平和的精神で、「体制に関わらない・協力しない」と同時に、「別の価値観に基づく生き方」をすることで社会を変革する方法を選んだのです。
その時彼らのよりどころとなったのが、ビートルズの音楽であり、禅などの東洋思想であり、マリファナやLSDなどの向精神薬でした。いずれも社会という“外側”ではなく、自分の“内側”(価値観)を変えるためのツールです(ドラッグだけは、しかし副作用で病気になったり発狂したり、ひどい結果ももたらしましたが)。
社会を変革するには、暴力的な革命では不十分だということは、70年代には明らかになりつつありました。まず国家の徹底的な弾圧を受けますし、日本の学生運動末期のように、運動そのものがカルト化して内ゲバ(内部粛正)を繰り返し、結果として市民の支持を失ったり、革命に成功したらしたで社会主義国のことごとくが独裁国家化したり、ロクなことになりません。
それよりも個々の人間の「意識を変える」ことで、社会を支配している「大人の常識」を打破し、結果として社会の仕組みも変えるという、革命と同じ結果が“平和的”に実現するだろうと彼らは考えたわけです。そこでヒッピーたちは、学校に行かず、企業に就職もせず、実家も出てしまい、コミューン(ヒッピー共同体)に住んで農業や酪農に従事したり、民芸品を製作して販売するなどの自給自足の生活を送っていたわけです。
前置きが長くなりましたが、本書を理解するには、まず60~70年代のヒッピー・ムーブメントを理解する必要があります。著者のレイモンド・マンゴーは、典型的なヒッピーであって、60年代に大学をドロップアウトしてベトナム反戦運動に参加し、コミューンに住んで仲間と農業に従事した経験を持ちます。
マンゴーは1973年にモンタナ・ブックスという小さい町の本屋さんを始めました。この本屋さんは禅などの東洋思想や市民運動、エコロジー文献など、マンゴーが価値を認めた本しか扱わない書店で、本の出版も手がけました。
本書は、書店を創業して経営するエピソードから始まりますが、この本に実用書的なものを期待して読むと、多分肩すかしを食わされるので、注意してください。本書の大部分を占めるのは、ドロップアウトしてこれといった資格を持たない青年が、さまざまな大人たちとぶつかりながら生きる手段を学んでいく話であり、また、同世代のヒッピーたちがそれぞれ自分のための「仕事」を作り出し、自活するさまを追ったルポルタージュです。その合間に、自身のヒッピー体験が綴られていきます。
つまりはマンゴーとその友人たちの生き方と考え方を書いたエッセイ集であります。実用書としても、まあ読めなくもないですが、時代背景と国情がまったく違いますから、今、日本でこれと同じ行動をとるのは困難でしょう。ただし、「就職しないで生きるには」というタイトルにピン、と来た人には、マンゴーの自立精神は大いに参考になるだろうと思います。
それにしても、俺が感心してしまうのは、『就職しないで生きるには』という日本語タイトルの素晴らしさです。原題である「Cosmic Profit(根源的利益)」より、断然いいと思います。もし日本版も『根源的利益』だったら、難しい思想書か何かだと思って、俺がこの本を手に取ることはなかったでしょう。また、この本が30年近くロングセラーを続けることもなければ、版元の晶文社が『僕は本屋のおやじさん』(早川義夫)、『包丁一本がんばったんねん!』(橋本憲一)など、日本人の“ドロップアウト起業家”の本を次々出版してシリーズ化することもなかったと思います。この素晴らしいタイトルを付けたのが翻訳者の中山容氏なのか、担当編集者なのかはわかりませんが、俺は出版史上の名日本語タイトルだと勝手に思っています。
本書は、今こそ読まれるべき本だと思いますが、ひとつだけ注意するべきことがあります。それは、先にも書きましたが、本書が書かれた時代(70年代)と、00年代の今とでは、読者である我々が置かれた状況が、まったく違うということです。
著者のマンゴーは、60~70年代の「カウンターカルチャー(対抗文化)」のひとつの報告として、本書を書いたわけです。カウンターは何のカウンターなのかと言えば、それまでの社会を支配していた、スクエア(保守的)な大人社会に対するカウンターだったわけです。
カウンターカルチャーと、サブカルチャーは、混同されるきらいがありますけれども、本来の意味は違います。
人間の自由を束縛する(と信じられていた)政治体制や、さまざまなシステムや法律、思想・常識などを破壊して、真の自由を得ようとするために、非主流的な文化(ロックやSF、アニメ、マンガなどの子供向けサブカルチャー)、反社会的な文化(ドラッグなどのアングラ文化やフリーセックスなど)をことさらに「価値」として認め、これを使って主流的な文化や体制を揺さぶって転覆を図るのがカウンターカルチャーであります。
身近なところで言いますと、コミック・マーケットは、少なくとも70年代に始まった当初は明らかにカウンターカルチャー運動でした。その頃の同人誌は、商業誌には掲載されない素人の作品でも自由に載せることができる反体制の象徴だったのです。巨大なマス・マーケットに対抗するカウンターカルチャーとしてのコミケは、しかし80年代から巨大化を始め、今や商業出版を脅かし、呑み込まんばかりのイベントになっております。しかし、それでも非商業のボランティアによる運営が建前である以上、あくまでもカウンターカルチャーであるのです。
話を戻します。マンゴーが本書を書いた70年代は、アメリカのベトナムでの敗戦や、オイルショック、ドルショックなど、一時的な景気の後退はあったものの、先進国(資本主義国)の政治システムや経済システムは、おおむね盤石だと思われていました。社会を動かしている「大人の価値観」が確固としていたからこそ、カウンターカルチャーも成立していたわけです。
何か大きくて支配的なものがあって、これに反抗するからカウンターなのです。角度を変えて考えると、カウンターカルチャーの担い手だったヒッピー達も、実は体制に反抗することで、逆に自らの存在価値を確認できていたところがあります。ある意味では体制に寄りかかっていたと言えなくもないのです。
最近の言葉で表現するなら、60~70年代は学生運動を含めて「中二病」の時代だったということもできます。この言葉は、親がかりの未熟な若者が、大人や社会に向かって悟ったような理想論を主張するときに使われます。まだ何もできない若造のくせに、口だけはいっぱしで生意気だというわけです。
生活力もないのに理想論を述べるから中二病と呼ばれるので、声高に理想を主張したとしても、その人に自立した生活力があるのなら、中二病とは呼ばれません。レイモンド・マンゴーの時代に中二病という言葉はありませんでしたが、代わりに青二才とか、書生論という言葉はありました。マンゴーのこの本は、まさに理想を抱いたまま食べていくにはどうすればいいのかを書いた本なのであって、まさにこの意味で、本書は不滅の価値を持っているのだと俺は考えます。
何度も言いますが、この本に書いてある商売を、現代の日本でそのまま実行しようとしてもおそらく難しいだろうと思います。たとえばマンゴーが経営したような小さい町の本屋さんを今から始めるのはとても大変でしょう。版元=取次=書店のトライアングルによる出版産業は、構造自体が動脈硬化を起こしているわけですから。
ただし、マンゴーが追い求めた自由な生き方そのものは、価値を減じているわけではありません。今という時代に合った商売も生き方もきっとあるはずです。そうした心構えで本書を読むのなら、きっと得るものがあるのではないかと思います。
●追記
この文章を書こうとしていた9月3日に、『就職しないで生きるには』の版元である晶文社が、文芸編集部門を閉鎖するというショッキングなニュースが飛び込んできました(倒産ではなく、旧版の在庫販売はしばらく続けるようです。作家で編集者の都築響一氏のブログで「晶文社の死」として書かれたものですが、これを書いている8日現在、まだ晶文社からの公式アナウンスは出ていないようです。都築氏は晶文社からも著作を出されており、会社から都築氏のエントリを否定するアナウンスもないようです。
昨年はやはり良書を多数出していた草思社も倒産し、文芸社の子会社化されるという事件もありました。これを書いている最中にもケータイ小説でヒットを飛ばしたゴマブックスが倒産するなど、シャレにならない話が次々に飛び込んで来ます。
『就職しないで生きるには』が絶版になるのかどうかはわかりませんが、在庫を売り切ったら少なくとも社内では新しい本を作らないようですから、新本で手に入れたい人は今のうちになってしまうかも。
もちろん晶文社には一日も早く立ち直っていただき、良書をこれからも出し続けていただきたいです。
http://roadsidediaries.blogspot.com/2009/09/blog-post_03.html
↑都築響一ブログ「晶文社の死」
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