80年代型「合同誌」が流行らない理由
一昨年の冬コミから、俺は同人誌「マヴォ」を作って参加するようになったわけです。その時にもエントリを書きましたが、これは俺にとっては1981年、最後にコミケに参加した時以来の、27年ぶりの即売会への「出品参加」でありました。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_fdaf.html
↑27年ぶりにコミケに参加(希望)
上のエントリのタイトルに(希望)がついているのは、これを書いた時点では、まだコミケに当選するかどうかわからなかったからです。結果としては無事当選しまして、それから昨年暮れの冬コミまで、おかげさまですべて参加できています。
同人誌の出品は27年ぶりですが、その間もコミケには一般参加で行っていました。ただし毎回というわけではなく、4~5回に一回という感じで、毎回参加するようになったのは、ここ数年からです。しかし客として行くだけではコミケの一面しか見られないことも事実で、やはり自分で同人誌を作って出品しなければ、分からないことの方が多いと思います。
たとえば俺は、最近になって「合同誌」という言葉を知りました。正直、初めて聞いた時は奇妙な表現に感じたものです。「作家」が集まった同人誌を指して「合同誌」というらしいのですが、「え? それって当たり前じゃない。なんでわざわざ合同誌なんて表現を使うんだろう?」と思ってしまったのです。
これは俺が商業誌の世界で27年仕事をしていたから、そう思うのかもしれません。商業誌は複数の作家が集まって雑誌を構成するのが普通ですからね。いろいろな作家や作品が集まって「雑誌」なんですから、同人誌も同じだろうと考えていました。
そもそも「同人」という言葉は「同好の士」という意味です。プロフェッショナルに対するアマチュアという意味ではありません。思想や趣味嗜好を同じくする者同士で、資金を出し合って出版する雑誌を「同人誌」と言っていたわけです。だから、プロの同人誌という概念もありえます。大正時代に創刊された「文藝春秋」は、最初から一般書店で販売する商業雑誌でしたが、菊池寛が芥川龍之介などのプロ作家に呼びかけて作った「同人誌」でありました。
手元の「大辞林」を引いてみても、
同人【どう じん】志・好みを同じくする人。同好の士。仲間。
同人雑誌【どうじんざっし】主義・志などを同じくする人たちが、自分たちの作品の発表の場として共同で編集発行する雑誌。
と明確に書いてあります。ウィキペディアで「同人」「同人誌」を検索してもほぼ同じ内容です。つまり「同人誌」には最初から「複数の作家が作品を持ち寄って作る雑誌」という意味が入っているので、「合同誌」という言葉が生まれる理由は本来ないはずなのです。かつては特別に一人で編集執筆する雑誌のことを「個人誌」と言って「同人誌」とは区別していました。俺はある人が「マヴォは竹熊健太郎が編集する合同誌」と表現しているのを聞いたとき、合同誌という言葉から「一匹狼の集団」とでもいうような、奇妙なニュアンスを感じてしまいました。
それでずっとひっかかっていたのですが、先の冬コミでマンガ研究家の想田四さんと会話したとき、80年代同人誌の話になって、この疑問が氷解した気分になりました。
想田さんは80年代からコミケに同人誌を出品して参加していたそうですが、彼の経験からすれば、「今、マヴォのような合同誌は売ることが難しいですよ」というのです。その理由として、こう言いました。
想田「70年代までのコミケは大学のマン研(学漫)同人誌がひとつの中心でした。それが80年代に入ると、大学とは関係なく、同人専門の編集者が出てきて、売れ線の同人作家を集めて同人誌を作ることが流行ったんです。実は僕も、80年代に“同人編集”をやっていました」
竹熊「はあ。そうなんですか。そういえば僕も80年代の中頃、まさに“同人誌専門の編集者”に会ったことがありますよ。その人は自分ではマンガを描かなかったんですけど、作家を集めた同人誌を何誌も編集していて、どうやらそれで生活している感じだったので、そんな仕事もあるんだと驚いたことを覚えています」
想田「実際、80年代はそれがかなり売れたんですよ。ところが90年代に入って、個人誌が台頭してきて、急激に“同人編集による同人誌”が下火になったんです。今では個人誌が同人誌の主流なので、複数の作家を集めて作る同人誌とは区別するようになったんですよ」
想田さんとの会話は以上です。このときは立ち話だったので、「なぜ90年代に入ってから集団で作る同人誌が下火になったのか」の理由までは話が及んでいません。しかし、俺としてはなんとなく分かってきたことがありました。
まず、俺が見てきた中でも、90年代以降のコミケは個人が作って個人が頒布する「個人誌」が主流になっていることは明らかです。それが当たり前になったので、同人誌、イコール個人誌の意味になり、反対に昔ながらの集団による同人誌は「合同誌」という言葉で呼ばれるようになって、非主流扱いされるようになったのでしょう。このことを改めて認識するに及んで、もしかすると合同誌が下火になった理由は、こういうことではないかと思いました。
■推理・80年代型「合同同人誌」が下火になった理由
●1 90年代に入って同人印刷の敷居が格段に下がり、即売会の数やシステムが充実して、同人を募って資金を集めなくても、個人で安価に雑誌を作って頒布できるようになった。
●2 合同誌では編集担当者や同人仲間への気兼ねが生じて、好き勝手な作品が描きづらい。その点、個人誌は気楽。
●3 合同誌だと、万一売れて儲かった場合、利益の配分で揉める可能性がある。個人誌なら売り上げはすべて自分に入る(売れれば儲かる)。
●4 読者の購買行動の変化。今の読者は、好きな作家の作品だけが読みたいので、複数作家が載っている雑誌にはお金を払いたくない。これは近年の商業誌不振にも通じる問題。
●5 合同誌はどうしても厚くなる。即売会の限られた時間でより多くの同人誌をゲットする必要があるので、厚い合同誌を一冊買うくらいなら、気に入った作家の薄い個人誌を数冊買ったほうがいい。
たぶん以上のような理由で、「合同誌」が敬遠されて個人誌が主流になったのではないかと思うのですが、同人関係者、特に80年代からコミケに参加している30代・40代のベテラン同人のご意見をぜひ伺いたいものです。
さて、では竹熊はどうして『マヴォ』のような「合同誌」を作ってコミケで頒布しているのかと疑問を持たれるかもしれませんが、理由はひとつしかないです。それは、
自分は『マヴォ』を才能発掘の場と位置づけていて、完全に編集者的興味で編集している。従って「合同誌」以外の形態を考えていない。売れる・売れないもこの場合は目的ではない。同人誌として出すのは、商業的な制約を回避するためである。ただし雑誌を維持しなければならないので、そのための営業販売努力は出来る限りする。
ということです。大学の漫研同人誌を始めとする合同誌に人気がないのは、俺としては「編集が弱い・または不在」だからとしか思えないんですね。多くの学漫同人誌がダメになってしまうのは、仲間が描いた作品は無編集で載せてしまうからだと思うんですよ。
人様に見せる雑誌を作るには、作家の選別と打ち合わせ、場合によってはボツや描き直しを要求することがどうしても必要になります。それは編集者のセンスと責任において実行するわけです。最近、「編集者抜きでマンガ雑誌を作ってみました」と鳴り物入りで創刊された市販雑誌がわずか2号で休刊の憂き目にあいましたが、ここからもわかるように、一般向けの雑誌を編集者抜きで運営・維持することは、事実上不可能だと思います。もしそれが可能になるとしたら、それはその雑誌を作る作家が、編集者としても有能だった場合だけです。
『マヴォ』に関していえば、今は俺は編集に徹しているので、自分の原稿をあまり載せていませんが、近く編集体制を強化して(今は編集は俺一人しかいない)、俺個人の原稿も載せていきたいと考えています。
それから2年後・3年後には電子雑誌に移行させるかもしれません。が、その場合でも単行本は紙で出すでしょう(あるいは紙版と電子版を同時出版する)。このあたりの話は、考えがまとまったら後日別エントリで書くと思います。
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コメント
丁度、冬コミでそういう話をしていました。
「同人誌」を作っている90年代前半からのサークルさんの話をしていて今だとそういう有り様は新しく入ってきた人の感覚には無いよねっていう。
あと、最近だと締切り合わせの問題もありますね。
昨今では小部数でもギリギリ入稿が出来るようになってきたからコピー誌気分で印刷された本を出せるので、これって大人数で締切りを合わせるって感覚では無いんですよね。
今回の冬コミではそこら辺が顕著でした。
コミケが同人誌に締切りを作ったという話は言われて久しいけれど、大体がオフセット印刷になった途端、即売会との間が結構開いたのでよっぽどじゃない限り即売会当日との間をつめることが出来なかったのが最近のオンデマンド印刷の類で期間がつまってますね。
投稿: yuh-suke | 2010/01/16 13:08
80年代の学漫や同人サークルだと、メンバーが描いた作品は平等に載せるみたいな感じで玉石混交というか、評価に値する作品1に対してクズ8位の割合でしたし。編集の選別が入る本ってそんなに多くなかったんですよね。エロパロなどで商売になってくるともとは無償で原稿提供していた人気作家が独立するようになるし、原稿料制にしても一人でサークル引っ張ってるような作家は不満を抱くわけです。ある程度実力のある作家が集まってグループを形成するみたいな流れが90年代にできて(とろろいもとかかな?)。その後はもうそれがさらに個々で個人誌出して儲かるみたいな同人バブル時代になって(コミケに一日10万人とか同人誌販売店の普及とか)、また解体が進んだ感じですね。
こと原稿を描いて表紙をつけて本の形にするという所に限ってはもはや誰がやってもそこそこの形になるので、作業的に気軽になったという事もあると思います。面付けとかの面倒なこともソフトウェアや印刷屋さんへのおまかせでなんとかなりますし。
二年くらい前にコミケで水野流転さんにお会いして。まだ楽書館を出されていることに衝撃を受けたのですが(おヒゲが真っ白でしたw)、あそこみたいに編集者がきちんと選別して出版しているところはまだ生き残ってるんですね。僕は昔楽書館に出入してましたが、きっちり原稿の不採用をくらってます。作品として公開に足るかどうかの判断をすることが、同人誌が本来の同人誌足り得るかの境目でしょうか。
Amazon Kindleとかの流れを見ると、商業作家が個人出版に踏み出すのもそう遠くないと思いますね。
投稿: 後藤寿庵 | 2010/01/16 17:17
あ、ちなみにコミケの抽選はどう考えてもある程度有名な人は無条件で当選させてます。あきらかな書類不備とか、参加決定してからの無断欠席とかがなければたけくまさんは無条件当選だと思いますよ。
投稿: 後藤寿庵 | 2010/01/16 17:23
91年頃、専門学校の学漫で同人誌を作ってましたが、
部員の方向性がバラバラで漫画に対する真剣さにも温度差があって、クオリティの高い方向性が明確な本を作るのは難しかったです。
その為にはモチベーションの低い人や方向性の違う人を斬り捨てねばならず、そしてそれをやったら一緒に使える人まで離れて行くのも目に見えてました。
それを知ってか知らずか、その学漫周辺にげんしけんのハラグーロのような同人誌編集をする人や、学漫と関係なく独自にサークル参加する人などが結構レベルの高いものを作るいるようでした。
投稿: 1026 | 2010/01/16 22:36
逆に言うと、編集者を育成する手段として、合同誌を作らせるということもあり得るかもしれません。
投稿: マノウォー | 2010/01/16 23:25
>1026さん
げんしけんのハラグーロは、有名作家のイラストを集めて載せた「イラスト本」を作らせようとしていたんで、
それを「編集」と呼んで良いのかは迷いますねw。
むしろ笹原がげんしけんの編集をやって、編集者の道を選んだようですが。
投稿: 通公認 | 2010/01/17 00:18
10年前に同人でソコソコ頑張ってらっしゃった方が今何気にエロ本の表紙を描いてたりすると悲しいもんがあるんですよね。今時はどんな按配なんだか分かりませんけど、10年くらい前の、エロ描いて小銭稼ぎに走った系統の方は、十中八九消えて残りはコンビニエロ漫画なんで…。
同人から一般デビューして尚著名って方は、確率的にもっと低くなるんじゃないの? と思いますよ。流行れば流行ったで直ぐ消える人も多いですし。
>モチベーションの低い人や方向性の違う人を斬り捨てねばならず、そしてそれをやったら一緒に使える人まで離れて行く
↑不思議とこれが真ですよ。使える人や人気取れる人が逃げると、後で他がどんなに頑張っても延命措置でしかなかったり。消える雑誌って、そんなもん。
で。使える人が辞める場合は、「モチベーションの低い人や方向性の違う人」と仲が良かったから…ってのもあるんですけど、それ以上に「元々長く居る気も無い」とか「それなりに不満が溜まっていた」から弱者切り捨てされたのをきっかけに(そういった横暴さに腹立てて)…ってケースが多いかも。あんまり周囲は関係ない。
同人の場合はどうだか知りませんけど、プロ気質の人は一匹狼タイプだしそれでもどうにかしちゃうんで、連れション辞めでも内実個人主義だったりしますね。馴れ合いの輪を断たれるから…で辞める質の人は、辞めた後サッパリなケースが多いですよ。
誰かと誰かの繋がりが…じゃなくて、基本個人主義だから他人のことは知ったことじゃないんだけど、想像力豊かなだけに、明日は我が身を思うと居ても立っても居られなくなるんじゃないかな?
編集が人切るときは、そういう部分を考えてあげると吉かも。
投稿: 渡辺裕 | 2010/01/17 15:38
現在同人誌(二次創作に限った話です)は、主に女性向けと男性向けに分かれており、男性向け(主にエロパロ)は個人誌が主流です。
女性向けも個人サークル、個人誌が主流なのは同じなのですが、80年代に流行した合同誌に替わり、最近は「アンソロジー」という主催(主に描き手)+作家数名という形式が流行しています。
作家が作家へ声掛けをして原稿を募り、編集出版流通は主催が行う。原稿料は発生せず、謝礼は完成した本の進呈+粗品程度です。
男性の買い手は作家で本を買い、女性の買い手は「ジャンル(パロディ元ネタ)」で本を買う。この事実を考えると、ジャンル内で上手い作家に声を掛け、本を作った方がクオリティの高いものが作れる=本が売れる。
流行ジャンルを渡り歩き、アンソロジーを作っては暴利を得る「アンソロゴロ」と呼ばれる作家も居たりします。
投稿: とある同人誌作家 | 2010/01/17 16:56
「同人」誌を「合同」誌などと
国語が弱い輩が言い出しそうなこった
“厳密”には個人誌は同人誌じゃない
ただストレートに「個人誌」っていえばいいんだよ
まあゆるく言うなら「同人個人誌」とでもいうが近いか
投稿: 肉 | 2010/01/17 17:46
ジャンルの多様化かな?
自分は、仲間同士の嗜好がバラバラになりました(^^;
初めは、一つのアニメで出していたのですが、好きな漫画、アニメ、ゲームが変わっていき、内容が違うなら一冊の本に出来ないので、解散に。
でも、本を出したいので、個人サークル・個人誌の形になってますね。
しかし、違うサークルに所属してる友人は、「〇〇の同人作るから描いて」と依頼されて、「そんなアニメorゲームなんか、知らないよ」と思っても描いてます。
プロ(目指す)なら、描かなきゃいけないのだろうが、趣味で同人描いてて苦痛を感じるのもねぇ。
それなら個人誌で!
ってな人も多いのでは、ないでしょうか。
な分けで
>個人誌は気楽
これが、ほとんどと思います。
投稿: かめのこ | 2010/01/17 23:15
90年代に同人誌を始めた者です。
最近、東方ネタなどで合同誌が復権している
傾向があると感じています。
これは、
・同人誌購買層は、作家でなく
キャラで買うようになった
・作家数の多いジャンルは、購買者が
情報収集が大変で、合同誌によって
ある程度作家を選別する
という背景があるのではないかと思います。
私も合同誌に参加したことがあり、
合同誌で知って私の個人サークルに
本を買いに来る方もいました。
これは、商業誌の雑誌とコミックスの
関係に似ていますね。
ただし、人間関係や金銭のトラブルは
相変わらず多くあるらしく、編集担当が
叩かれがちになりますので、どうしても
編集担当は、ある程度以上の規模の
サークルの作家が行う事が増えています。
(その方が叩かれにくい)
件の、二号で休止した雑誌の編集担当の
作家も東方同人で同じような事をして
いるので、それであの企画を思いついたの
かも知れませんね。
投稿: 同人歴15年 | 2010/01/18 07:11
>ハラグーロ
作家を育てる点では「編集」ではないが
売る商品にするという点では「編集」だろうなぁ
投稿: 名無しさん | 2010/01/18 10:45
初めてコメントさせていただきます。
以前立川談志がインタビューで
自分のファンは
二人会や寄席よりも
独演会の方を好む
みたいなことを言ってました。
同人誌の世界だけではなく、
他の世界でも言えることなのかなぁ
と思いました。
投稿: かわ | 2010/01/18 10:48
同人誌にも通じる話題ではないかと。
「 アマゾン、「Kindle」向け自費出版サービスを米国外に拡大」
http://mainichi.jp/select/biz/it/cnet/archive/2010/01/18/20406791.html?inb=fi
たけくまさんが目指す「町のパン屋さんのような個人出版」の増大による、
大手出版社の「中抜き」がスタンダードになるのも
そう遠くないかもしれませんね。
投稿: JUN. | 2010/01/18 12:02
>JUNさん
ちょっとわかりにくいんですが。
>大手出版社の「中抜き」がスタンダードになる
ここでいわれているのは、
えーと大手出版社が「中抜き」をするのか?(そういう記事じゃないと思うし)
大手出版社を「中抜き」するのか?(でもこの場合大手と付けるのはおかしいし)
リンクのアマゾンの記事は、作家が同人出版的に電子販売できるようになる、
というような趣旨なので、出版社が「大手」かどうかは関係ないような・・・
「中抜き」という話題なら、既存出版社も流通問屋も中抜きできると言う事になります。
その際アマゾンが出版内容に責任をもつかどうかで、
出版の範疇に関わるかどうか意味合いが変わってきますね。
投稿: にょろ | 2010/01/18 13:17
極めてプリミティブな話になってしまいますが、80年代半ばぐらいまでは、個人の著作物に広義の「活字」を得ることすらなかなか難しく、憧れであったことを思い出します。よく学校の職員室とかに、1台うやうやしく置かれていた日本語タイプライターがうらやましかったですね。
粗いキザキザ明朝ながら、念願叶ってワープロを手に入れたときには、自分の思いついた文章が即座に活字となって出てくることだけで感激したものでした。
それが今や、わざわざ「DTP」なんて単語を口にすることすらなくなったことを思うと、ネットだけでなく紙媒体でも発信の敷居がすこぶる低くなったものだと思います。
投稿: とっかり | 2010/01/19 00:19
>にょろさん。
今まで大手出版社から単行本を出していた
プロの漫画家も、このようなシステムが
今後普及すれば、出版社を経由せずに
自費出版するのが普通になるかもしれない、
要するに、アマゾン等のシステムを利用した
自費出版で食べていけるなら、
その方法を選ぶ作家が今後増えて、それが
未来のスタンダードになる可能性もあるの
では?という意味で「大手出版社の中抜き」と
書いたのですが、誤解を招いてしまったよう
なので、大手うんぬんは関係なく、
「自費出版がスタンダードになるかもしれない」
と、訂正します。
投稿: JUN. | 2010/01/19 03:07
Web漫画やWeb書籍は、まだ来ないと思っていましたが
意外と早く来そうですね
主導するのがアマゾンかグーグルというのが悲しい所ですが
パソコンユーザーの一人として
出版社主導の有料Webページを読む際
どうしてもお金の決済で躊躇しちゃうんですよね
これだけの為にお金を払うのはどうかなと
世界中の本がWebで読める日もそう遠くないかも知れません
ガジェット通信の大手出版社Xは講談社?
http://webdirector.livedoor.biz/archives/52062477.html
投稿: 忍天丼 | 2010/01/19 20:09
昨日、このエントリで紹介した想田四氏からメールをいただきました。僕の紹介での想田発言のニュアンスの訂正と、彼が深く関わっていた80年代同人誌の世界に関する貴重な情報でした。
近く続編のエントリを立てて、想田さんのメールを紹介するつもりです。
投稿: たけくま | 2010/01/20 08:57
発行される同人誌の数が格段に多くなったことも、関係あるのではないでしょうか?
80年代売る方も買う方もやってましたが、売る方はやはり今でいう合同の、隔月刊誌でした。
ですがだんだん同人全体の規模が大きくなると、好きなジャンルだからと全部買うわけにはいかなくなりました。
全部買えないなら好きなものを買いたいと選択しはじめると、まずまるごと好きな個人誌を買い、次に好きな作品が少し載ってる同人誌を買い、好きな作品がまったくない同人誌はお金の余裕があったら買うようになったのです。
さらに同人誌が増え、中身をじっくり確認するわけにはいかなってくると、お金も時間も好きな個人誌を手に入れるだけで終わってしまうようになったのです。それに個人誌の方が後回しにしても入手しやすかったですし。
今は個人誌も、合同誌というよりアンソロジーも、事前にネットで誰が描くか確認できるので、活用しています。
投稿: momo | 2010/04/04 09:15