「やりたいことと」と「やれること」
以下は、6月26日のエントリ「大学で『教授編集者』をやるということ」のコメント欄で、「微老なお年頃」さんが書かれたコメント(30日)に対する俺のレスです。長くなったので、独立したエントリにしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>微老なお年頃さん
学生にとって、確かに将来の予測がつかない不安は大きいです。しかし一番の問題は、自分があこがれている「将来なりたい自分」と「自分が実際にできること(自分の能力・向き不向き)」が一致することは滅多にないのに、そこが見えてないことだと思うんです。
もちろん「やりたいこと」と「やれること」が一致すればこれほど幸せなことはないのだけれど、一致しないから多くの人が苦しんでいる。しかも「努力」することで「やりたいこと」に近づくことができるならまだ問題ないのですが(それは“向いている”範囲だと思う)、多くは努力以前の「才能」の問題だったりします。
たとえば、自分がフィギュアスケーターにあこがれていたとして、ある日突然自分のクラスに浅田真央が転校してきたら、「努力したくらいではどうにもならない才能の差」を目の当たりにして、普通は断念すると思うんですよ。そこで改めて、「自分に本当に向いている仕事は何か」を探し始めると思うわけです。
すると結局この問題は、若いうちに経験や見聞を積んで、「やりたいこと・やれること」の選択肢を増やしていくしかないと思うんですね。たとえば俺が知っている優秀なマンガ編集者には、大学くらいまではマンガ家を目指していて、実際にマンガを描いていた人が結構いるんですよね。でも在学中に持ち込みをしてケチョンケチョンにけなされたり、周囲に自分よりはるかにうまい人がいて、「自分はマンガ家には向いていない」ということを自覚したんだけども、それでもマンガに関わる仕事がしたいと考えて、編集者になった人がかなりいるんです。
俺自身の経験でも、俺は高校くらいまで漠然とマンガ家になりたいと思っていて、実際描いてもいたんだけれど、その後デザイン学校に入ったら一級上に藤原カムイがいて、「どんなに努力したところで、絵では絶対この男にかなわない」と思って断念して編集者の方向に行ったんですね。こういう経験のある人は結構いると思います。
ミュージシャンの細野晴臣も、小学校の頃はマンガ家にあこがれていたそうなんですが、同じクラスに『三丁目の夕日』の西岸良平がいて、一緒にマンガを描いているうちに彼がみるみるうまくなっていって、ある日「超えられない壁」を感じて断念した、とインタビューで答えていました。まあ細野さんの場合は、マンガと同じくらい音楽が好きで、そっちで成功したからよかったんですけど。これで「自分にはマンガしかない」と思い込んでいたままだと、やばかったんじゃないですかね。ノイローゼに陥るか、一生「挫折感」を感じて生きることになりますが、それって損な生き方だと思う。
しかし「自分を活かす道はマンガ以外にもあるんだ」と思えば、挫折を感じることはないわけでしょう。つまり「井の中の蛙」であっても、思い切って大海に出てみれば、おのずと別の道も見えてくると思うんですよ。
で、俺もマンガ家志望者が集まる大学で教え始めて、「マンガの仕事には、作家ばかりでなくて編集者って道もあるよ」と学生に言うんだけれども、たぶんピンと来ていないな、と思うことが多いんですよね。それって無理はないので、ほとんどの人は、マンガ家の仕事ならイメージできるけれどもマンガ編集者ってどういう仕事なのか、貧弱なイメージしか持っていないと思うんですよ。
だって本屋さんに行っても「マンガ家入門」みたいな本はあるけど「編集者入門」は売っていません。俺は今大学で「マンガプロデュース概論」という講義をしているんですが、これは「編集とは何か」を教える講義です。とりあえず俺の知っているマンガと編集者の関わりや、歴史的な名編集者のエピソードなんかを話しているんですが、それで編集という仕事が伝わっているのか、俺の講義によって編集者を志す学生が出てくるのかは、まだ自信がありません。もしかすると、編集者の仕事は、マンガ家以上に「教えづらい」ものではないかと思っています。
編集者って、結局作品そのものを作る仕事ではありませんしね。読者は作品を読んでマンガ家にあこがれることはあっても、姿の見えない黒子にあこがれる人はなかなかいないわけです。
しかし我々が読む「マンガ本」を、「作品(マンガ)」と「本(雑誌含む)」に分けて見るなら、作品を作る人がマンガ家で、本(雑誌)を作る人が編集者になります。どんなに傑作であっても、それが本にならなければ読者は読むことができないわけで、読者のいない作品というのは世間的には存在しないも同然なので、結局どちらが欠けても困る、重要な仕事だと思うんですよ。
もっとも、最近はコミケで同人誌を出すとか、ネットで作品を発表する人もたくさんいて、そういう人の中には「編集者は不要だ」と考える人もいると思うんですが、俺に言わせれば作品を何らかの形で世に出す以上、それは「マンガ家自身が編集者も兼ねている」状態なのだと思うわけです。
作品を描くのが作家の仕事で、それを世に出すのは編集者の仕事なんですよ。
だから、編集抜きで同人誌を作っていると思っている人は、知らないうちに編集者「も」しているわけです。同人誌もメディアですから、メディアを作る以上、それは編集者なんです。
これは、仕事として創作を考えるときには、基本中の基本だと思うんですが、そこを自覚的に考えている人が意外に少ないように思います。下手すると、作家や編集者自身、よくわかっていない人がいますからね。
話が逸れましたのでまとめますが、つまり自分が興味を抱いている世界であっても、さまざまな仕事があるわけなので、将来を考える学生は業界全体の構造をもっと知るべきだし、業界自体も、そうした裏方的な仕事の重要性と「おもしろさ」を、もっと積極的にアピールするべきなんですね。
それで大学という場所は、本来は知識や技術を教える場所であって職業安定所ではないんですけど、学生に対して「仕事の選択肢」を示すことくらいはしてもいいと思いますね。学生は、それを見て自分が本当に「やりたいこと」は何なのか、「やれること」は何なのかをじっくり考えればいいと思うわけです。
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コメント
加えて、目指すべき「業界」が大きな変質を迎えているこの時期に、口を酸っぱくして、
「君達が新しい仕組みを作る必要がある」
事を語りつづけるのが、竹熊さんの歴史的使命という奴なんでしょうね。
聞かされる学生はポカーンてなもんでしょうが。
投稿: けおら | 2010/06/30 10:34
教壇に立ったたけくまさんそのひとが今、何か挫折を味わってはいませんか。
トキワ荘メンバーがデビューしだした時代を回想するまんがを手塚先生は何度か描いてるけど、あれは本当は回想じゃなくてそのまんがを描いている現在の心境を吐露しているように読めました。(「ガチャボイ一代記」なんて典型) 自分の地位が危うい、と。
投稿: JHG | 2010/06/30 11:27
挫折感は教壇に立ってみますと、必ずありますね。
教育は、理想と現実にはさまれて、どちら側に立とうも
実現することは少ないんです。
まして芸術系ですと、学生も先生側も挫折感を味わう。
でも、それ無しに自己実現することを夢見るのは甘いですね。
投稿: 長谷邦夫 | 2010/06/30 12:22
一般人の中に天才を入れて教育する
理由がなんかわかった気がする
あ、これソースurlねぇや。まいった
投稿: 名無しさん | 2010/06/30 12:40
初めてコメントさせてもらいます。
今回の記事を読ませてもらって、「仕事の選択肢」を考える出発点として、「リスペクトの自覚」と「コミットの仕方を考える」ことの2つが大事なんじゃないかと思いました。
前者は、「○○が大好きだし、素晴らしいものだと思ってる」と言える対象を自覚することで、対象が何であれ関わるための出発点でもあるし、関わり続けるためのエネルギー源でもあります。
そして、後者──その好きな対象に自分はどう関わるかを考えていくと、自分が何を仕事にするか、またそのためには自分に何が必要かが見えてくるように思います。
自分の就活時代を思い浮かべると、僕は活字が好きで出版社や書店などを手当たり次第に受けましたけれど、具体的にどうコミットするかについては深く考えてなかった。──リスペクトの対象は自覚していたものの、コミットの仕方の考察が足りなかったように思います。
実際、自分の好きなジャンルの業界に飛び込んでみて、そこで初めてコミットの仕方が見えてくるということはあると思いますが、それでも事前にその業界の人から、生の情報をもらえるならそれに越したことはないですよね。実際に携わっている人にしか分からない、その仕事の面白味というものもあるでしょうから。
投稿: ねこざき | 2010/06/30 12:55
これを励みに頑張って頂きたい。
http://demerin.com/upload/sarushima022.jpg
投稿: プ | 2010/06/30 13:54
http://bbs.avi.jp/photo/456153/132034
何百万円も払って大学でマンガを学んで、何人がマンガで回収できるの?
投稿: tyu | 2010/06/30 14:17
それを言い出したら美大(特にファイン)なんて…
投稿: 22 | 2010/06/30 14:44
>tyu
回収などと言う事を考えてるアンタのような
ヤツは
その時点で漫画家小説家芸術家には成れんヨw
もともとそんなことを考えないヤツが目指すんだしなww
投稿: 肉 | 2010/06/30 14:52
僕は漫画やたけくまさんが好きですが、常々思っていた事があります。
『漫画家人口なんて増やしてどうすんだ。それでも大学か。』
しかし、今回のエントリで、一般的な就職にも対応出来るように育てる意思もあるのだと感じ、すこし溜飲が下りしまた。
投稿: 山 | 2010/06/30 16:16
漫画家になろうとして画力に限界を感じ、編集者になろうとして学歴に限界を感じる。好きなものに限界ばかりが見えて努力する気にもなれず、挫折感のみが残ってクサクサと生きる。こんな人に「見方を変えて」とか「損をしている」と言ってもふて腐れるだけなのではないかなぁ。30歳過ぎると大抵どうでもよくなれるのだが。
投稿: yone | 2010/06/30 18:54
「できること」と「したいこと」そして「すべきこと」。
「こだわり」と「割り切り」そして「あきらめ」。
社会に出て、何らかの仕事を全うにこなして食っている人なら、だれしも常に考えていることではないでしょうか。
ついでに言うと、「できる人」と「できない人」がいる以前に、「する人」と「しない人」に分かれると思います。
他人の卓越した才能に越えられない壁を感じたぐらいでやめてしまうようであれば、そんなになりたい職業でもなかったのかも。
投稿: たみぃ | 2010/06/30 20:09
精華大で、一番、誠実に悩んでこられたのは
竹宮先生ではないでしょうか?!
彼女を尊敬し、彼女のようなマンガ家になりたい!と
学生が大量にやってきた。
しかし、彼女は教え始めて挫折感を持ったと思います。
「プロが出ない」
昔の大垣女子短大の方が、プロデビュー者は明らかに
多いはずです。
では、竹宮先生が無力だったんか??
そんなことは有り得ない話しですよ。
でも彼女は「せめてマンガで食べていける学生」を
育てようと、「解説マンガ~勉強マンガ~企業用マンガ」的な、マンガも描けという指導をなさってきた
ように感じるんです。
つまり<個性的才能・天才性>が無くても描ける
分野のマンガも描きなさいということに、
お力を入れてきませんでしたか?
たけくまサン、どうでしょう?
でも同大学は、その後、間口が大きく拡大しました。
アニメとかね。たけくまサンのブロックもそのひとつ。
浅く広く学生を求めることになった。
ますますプロに成るのが困難な状況かも?
アニメなら、動画スタッフで生きれば
創作力が弱くとも、なんとかはなる。
しかし、マンガとなると、最近の状況からも
「そう簡単には成れねえな…」と、学生にも
理解出来るマイナス状況ですよね。
「同人的」なプロ~という位置ずけは
ぼくには体験もありませんので、何も言えない
感じなんですが、アイマイさが見えます。
ここを乗り切る知恵を、どう出すか?
たけくま実験をサポートするとか、
プロジェクトを併行して立ち上げ、このジャンルを
商業的にも参加する価値がある!と、一種の証明が
欲しい時期かも知れませんね。
投稿: 長谷邦夫 | 2010/07/01 09:29
>長谷先生
「プロが出ない」というのは、僕も最初はそう思っていたんですが、いわゆる「新人賞に佳作入賞した」「雑誌に一回載った」というレベルなら、毎年、何人も出ているのです。
最近、「ジャンプ・スクエア」で連載して単行本も出ている助野嘉昭さんは、精華大マンガ学科出身者です。
連載レベルの作家も、僕の知る範囲で数名います。もちろんマンガ学科を10年やってこのくらいか、と言われるとその通りなんですが、「まったく出ていない」ということはないのです。
しかし、僕も何人もの人から「精華大からは作家が出ていませんねえ」と言われた経験があります。2年前までは、僕自身そう思っていたのですから、よくわかります。
では何か問題なのかというと、大学として、「宣伝」をまったくしていないことでしょう。入学希望者に配るコピーで作った1枚のパンフレットで、「過去の新人賞受賞者・デビュー作家リスト」のようなものを毎年配りますが、大学のサイトで大きく扱うようなことはしていません。
だから、これまで何人の卒業生がデビューして、何人が単行本を出したかという情報が、学内の人間でも、よくわからないのです。
宣伝告知の重要性は、これまで教授会などでも何度も主張したのですが、反応が芳しくありません。どうも、マンガ学部の先生たちは、それは大学広報の仕事で、自分たちの仕事ではないと思っているようです。
大学広報に話をすると、やはりピンと来ていないようです。彼らは入学案内を作ったり、地下鉄の車内ポスターを作ったりが主な仕事で、受験生以外に向けた、社会的な広報活動の重要性を理解しているのか、はなはだ疑問です。
とにかく、大学の「広報ベタ」は驚くべきものです。マンガ学部を抱える他大学だと、大学公式サイトのトップに「マンガ学科生●●、●●社新人賞入選!」と大きく書かれてあったりするんですが、そのくらいやってもいいと僕は思うんですけどね。
そうすると、今度は他学部の先生たちにも気を遣うことが発生するので、面倒くさいのかもしれません。マンガ学部だけをえこひいきできないので。
そうこうするうちに、長谷先生もご指摘のように、今度は肝心の出版社の経営があやしくなってきて、商業マンガ全般が曲がり角に来てしまいました。
僕が最初から大学に主張していたのが、「優秀な学生はいるのだから、大学がWEBマガジンや出版部を作ってデビューさせて、売り出せばいい」ということです。
なかなか難しい問題が山積みなんですが、今は少しずつその方向に向かって動き出しているところです。
投稿: たけくま | 2010/07/01 10:37
>長谷先生
>つまり<個性的才能・天才性>が無くても描ける
>分野のマンガも描きなさいということに、
>お力を入れてきませんでしたか?
>たけくまサン、どうでしょう?
いわゆる「実用マンガ」「企業のPRマンガ」の需要はかなりあって、昔から精華大にも「PRマンガを作りたいので学生作家を紹介してくれ」という依頼が毎年かなりあり、そこから竹宮先生が卒業生に、そういう仕事を紹介していますね。今は、大学に窓口もあるはずです。
しかし、学生も卒業生も、雑誌で自作を発表するマンガ家になりたいので、本気でそうした仕事に取り組もうとする人は少ないようです。ギャップはかなりありますね。
いずれにせよ、現行のマンガ出版システムに依存しない方法は早急に開拓する必要があります。電子出版もそうですが、たとえばアメコミやさいとうプロ、CLAMPがやっている「集団制作」も大学としてもっと研究するべきでは、と思います。
今のまんが界は、相変わらず手塚治虫先生が作家としての基本モデルなんですね。つまりアシスタントは使うけれども、作品の根幹(キャラ・ストーリー・コマ割)は個人の作家が担当するという。しかしこれはとてもハードルの高い要求だと思います。
アニメでいえば、宮崎駿のやり方をスタンダードにしているようなものだと思うんですよ。
ちょっと長くなったので、この問題は、近くエントリにするかもしれません。
投稿: たけくま | 2010/07/01 10:54
精華さんの場合は、長年カトゥーン優位が続いて、ある時事までは学生がストーリーマンガを描いていると怒られた、なんてこともあったわけです。その後遺症もあるのかもしれませんね。もう10年以上も前、牧野さんがいらして変わったのだけど、古い体質を根本から変えるのは大変ですね。
投稿: 6CA7 | 2010/07/01 11:35
たしかに、強すぎる才能を目の当たりにして折れるのは
悲しさとかはあるかもしれませんが、
悪いことばかりではないと思います。
それで開けたり、開き直れたりも多いですし。
まんがは描くだけじゃ出来上がらないよ、
いい作品でも自動的に読者まで届くわけじゃないよ、
ってのは、やってみないとわかりづらいのかもしれませんね。
それを学生時代に体験できるとしたら
きわめて有意義としか。
作品をつくらなければ負け、みたいな
尖ったというか、強い気概をもった学生さんも多いのでしょうけれど
そしてそれも、とても大切な気持ちでしょうけれど、
意固地すぎるのは他の可能性をつぶしてもいるわけで。
まんが界は、本当にいろんな役回りがあると思います。
すごくミクロなところでは
たとえばコミケの申し込みなどでも、
人によって書類づくりの上手い下手があるもので
デキル人はサークル内で重宝がられるものです。
あれはほんと、代行会社があったら
お金を払って任せたいレベルの作業です。
誇るべき才能です。
「まんが家が編集者を兼ねる」のはわかる話ですし、
「編集者がまんが家を兼ねる」ような事態もありえるのかも。
竹熊さんは過去すでに原作者として
そのような立ち位置でいらっしゃったのでしょうけれども。
軸足の置き方や比率次第といいますか、
何事もフレキシブルにいられたら
挫折するばかりではなく、身の振り方が見えてくるのでしょうね。
投稿: 微老なお年頃 | 2010/07/01 13:18
私はたけくまさんくらいの程好い歳ですが、
世間で山ほどよく聞く台詞「凄い○○を見て●●を諦めた」は
今まで耳にする度ずっと引っ掛かっていたんです。
“凄すぎる才能を目の当たりにして折れる”
という現象をよく考えてみると、
(1)先達などを目標に修行している自分が
(2)他人の凄い才能を目の当たりにしてビックリ
(3)今の自分との差に愕然
(4)努力するのがイヤになる
(5)目標を諦め挫折
という過程になるでしょう。
問題は、大概のそういう人の言葉には、
(4)の努力の放棄を選択したことを誤魔化している所にある。
(無自覚の時もあるかもしれないが)
将来の茨の道が見えた時点で、そんな世界へ身を投じて、
想像してきた以上の努力をできるか、
そういうモチベーションが自分にあるか、と
“自分”と向き合う事はハードな事なので、
カッタルイ、メンドクサとすっ飛ばして
(5)に行ってしまう。
結果としてその選択は正しい。
(4)の選択をする人は(5)の決定をしなくても
早晩断念せざるを得ないことになったろうから。
プロ志向の人間は、想像を超える凄い才能を目にして、
クシャッと潰れる人ばかりじゃなく、
「燃え上がる人間」が見込みがある人ですね。
そこで大きな“振り分け”が為される訳です。
もともとムリな人がその道を諦める上で
いい口実が「凄い才能を見て挫折」なんですよ。
そういう意味でも専門業種を教える教育機関は、
ドンドンスゴイ才能を生徒に見せ付けるべきです。
それが業界と生徒本人の将来の為になる訳です。
ただ、二十代の若者の狭い視野世界観では選択肢が乏しく
すぐ一本道が閉ざされたかのように感じてしまう。
自分の持ち味を生かす様々な道の可能性を探るのは
「挫折」じゃないので、挫折感を抱く必要はないんだ、
と言いたいです。
教育機関では、いろいろな選択肢があるんだという事と、
認識されにくい「努力も才能のうち」という概念もちゃんと
教えて欲しいと思いますね。
またごく少数ですが、
自分の中から湧き出る物を表現したくて
創作者の道を選ぶ人などは、他人の才能の多寡など
始めから意に介さない、という事もあります。
そういう人は学校辞めても、我が道を行くでしょうけれど。
長文スイマセン。書きつつ自分を振返り(&戒め)をしてしまい。
投稿: エイジロー | 2010/07/01 17:20
長谷川町子と姉妹社の製作と出版が直結してたのは覚えてたが
さいとうプロ、リイド社も直結してたのか。
まあ稀有な例ですが
投稿: 名無しさん | 2010/07/01 17:44
作者が出版社を作ったという似た例としては、
小池一夫のスタジオシップ→小池書院がありますね。
投稿: 漫バカ日誌 | 2010/07/02 00:18
うーむ、このエントリといい、前のエントリといい、
やっぱり竹熊さんは、ツィッターでシコシコ短文を重ねるよりも、こっちの方が本領だわと意を強くしました。
投稿: 湯の花 | 2010/07/02 05:20
>小池書院
http://www.koike-shoin.co.jp/shopping/prg/search.cgi?mode=details&id=ISBN978-4-86225-604-1
こんなのが
広報も兼用してそうですな
投稿: 名無しさん | 2010/07/02 09:06
お前が言い切るな!
以上。
投稿: つっこみ | 2010/07/02 21:35
TorrentFR.com is a torrent tracker open for anyone to use. There is no need need to register or upload your torrent at the site.. http://www.torrentfr.com/
投稿: TorrentFR | 2010/07/02 23:22
つっこむのなら、主語述語「てにをは」をしっかりな
誰の何に対しての突っ込みかさっぱりだw
ああつぶやきかいw
以上w
投稿: つっこみ返し | 2010/07/03 01:03
How I can write PM to other users? Thanx
投稿: apponnompix | 2010/07/03 20:02
Stupid!hohoho!
投稿: hippo | 2010/07/04 23:37
かわぐちかいじの瑠璃にイーグルな沈黙のジパングとかは
どうみたってシナリオチームがいるけど
名前はでませんよね。
手塚モデルを尊重しているのか
それとも「かわぐち」がそのままチーム名なのかな。
細野先生のギャラリーにせものもシナリオだれそれは不明。
文庫本解説で某小説家が「直木賞候補レベルの話を毎回ひねりだす細野は怪物」とほめていた。
あほだと思った。
投稿: すざざ | 2010/07/06 12:26
さいとうたかおはスタッフリストを明記していて
むしろ独立を促している感じもあるね
投稿: 並平 | 2010/07/06 16:57
初めまして。
現行のマンガ出版ビジネスは、一度作家が固定客を掴むと、長期連載でき、雑誌の枠に居座り続けることが可能という「上の世代に有利なモデル」があり、雑誌の枠が空きづらくなっているから、雑誌連載というカタチでは、新人が出にくくなっていると思っております。
雑誌の枠が空かない上に、そもそも紙での出版ビジネスの収益が年々縮小しています。
ですから、新人・ベテランに関わらず、雑誌媒体以外でのマンガのあり方を考えなければならない。
そこで、いろいろとネット展開を行っているのが佐藤秀峰先生。「雑誌の枠」という既得権益を持っている既存作家でさえも、雑誌媒体に対しては危機感を持っています。
そんな時代に、新人が雑誌デビューしても、単行本出版まで到達したとしても、マンガ出版が幸福だった時代のような価値はありません。
マンガ家は、自分自身で新たなマンガビジネスモデルを作って、販売や宣伝のことまで考えて活動する必要があるんですよね。
マンガの大学や専門学校が、雑誌媒体以外でのマンガ家のなり方の方法論を教えたり、提案することが必要なんだと思いますよ。
投稿: 山野車輪 | 2010/07/07 13:28
さくらももこが少女漫画家を諦めてエッセイ漫画家のほうが自分に向いてるということに気付いた、という話を思い出しました。
たけくまさんの言うとおり自分に何ができるのか、ということをしっかり見極めるというのはすごく大事なことですよね・・・
>エイジローさん
努力するのがカッタルイとかメンドクサイとか
そういうのじゃなくてすごい才能を目の当たりにすると絶望して
無気力になってしまってなにもやる気が起きなくなるんです。
放心状態になるというか自分がみじめで嫌になるんです。
「努力も才能のうち」というけれどやっぱり「才能」というものは存在します。
努力してもとうていかなわないと思わせるような才能が・・・
若造の自分が言ってもあんま説得力が無いのですが・・・。
もちろん「努力も才能のうち」という言葉には賛成します。
努力は誰にでもできるものではない、というのは怠け者の自分が一番よく知ってるので・・・
投稿: 774 | 2010/07/11 02:30
>努力してもとうていかなわないと思わせるような才能が・・・
その断定こそが、客観性を欠いた判断だとも言えるね。
主に若さ、経験や知識の少なさに起因する、視野の狭さや見識の低さがもたらしている台詞と、分析できるな。
大体そんな「努力してもかなわないと」“判断が出来る能力”は無いでしょ。努力ってどんな程度の事を努力って認識してるのか?貧困な想像力で思い浮かぶ範囲だけの事だし。敵わないかどうかは今の君が決める事でもないでしょ。
よーするに単にビビッた腰がひけたっつー事だけのこと。んでそれを楽に生きるちょうどいい言い訳に利用したってこと。
投稿: pistman | 2010/07/12 15:40
たまたま衝撃的才能を見せ付ける相手と、自分を同等な条件で比べる事は出来ない、
これはキッチリ認識すべき。
なにもアンタがそのスターと同じ土俵で勝負することはない、というか、スター的存在と言うのは、自分の土俵に相手を引きずりこんでしまうという能力も身に付けてるものなんだよな。
逆に考えると、例えば宮崎駿に対し「努力してもとうていかなわない」と大抵の場合思ってしまうが、土俵が“ギャグ”だったら、「俺勝てそうな気がする」よ。
まあこれも“青い”から思えちゃってるのかもしれないけど、悲観するこたあないって事だ
お互いにw
投稿: むK | 2010/07/13 12:39
漫画編集者を目指す漫画に、
木尾士目の「げんしけん」の主人公と
甘詰留太の「年下の彼女」の主人公が思い浮かびます。
出版社に就職活動して落ち続ける笹原
彼女が妊娠したのが発覚して就活先で会った女の子の実家に逃げ込み、女の子の実家の家業製本作りをしようとする努
特に年下の彼女の方の主人公のテーマも、
「できると思うこと」と「実際に出来たこと、実際に経験したこと」の違いによる、実際に出来る事の陳腐さを思い知らされ、それでも出来る事で勝負するしかできないんだ
ってところを描いていた。
陳腐な出来る事で勝負する。難しいですよねぇ
エイジローさんの、
>“凄すぎる才能を目の当たりにして折れる”
という現象をよく考えてみると、
>(1)先達などを目標に修行している自分が
>(2)他人の凄い才能を目の当たりにしてビックリ
>(3)今の自分との差に愕然
>(4)努力するのがイヤになる
>(5)目標を諦め挫折
>という過程になるでしょう。
>問題は、大概のそういう人の言葉には、
(4)の努力の放棄を選択したことを誤魔化している所にある。
>(無自覚の時もあるかもしれないが)
>将来の茨の道が見えた時点で、そんな世界へ身を投じて、
>想像してきた以上の努力をできるか、
>そういうモチベーションが自分にあるか、と
>“自分”と向き合う事はハードな事なので、
>カッタルイ、メンドクサとすっ飛ばして
(5)に行ってしまう。
>結果としてその選択は正しい。
>(4)の選択をする人は(5)の決定をしなくても
>早晩断念せざるを得ないことになったろうから
今の自分との差に嫌に愕然とし
努力するのが嫌になる
↑
ここが、まさにポイントだと思います。
赤松健の漫画家になりたい人へのアドバイスで、
「今の描いている自分の絵を見て、下手だな、と思ったら、「絵を観察する」能力が上がっている証拠。納得出来る絵を書けるまで、頑張れ」
↑
ここの努力を、出来るかできないか、努力しなくちゃいけないと思い込める環境にいるかいないか、で、
やっぱり、ひとつのポイントがあると思います。
そして、その業界にいる間に、書き続けることが出来れば、
漫画家になれる、デビューできるチャンスは、絶対にある。
ただ、
・今の自分との差に嫌に愕然とし
・努力するのが嫌になる
これは、プロになっても、何回かついてまわるポイントかもしれませんね。
後輩に追い立てられる漫画家で、努力出来る人と、出来ない人。
努力しても才能ある後輩に勝てなかったっていうのはプロの勝負の厳しさなんですかね。
デビューした後の戦いが壮絶なのは、相原コージさん見ても十分にわかります。
あそこまで身を削って体を張って書いても、ヒットする漫画とそうでない漫画がある。
「何がオモロイの」は、デビューした後に訪れるまたひとつの壮絶なポイントなのかもしれません。
やりたいことをやれても、ヒットにつながらない。
一部の評価じゃ、ご飯が食べられない。プロの壁はまた別の怖さがありますね。
ちょっと話はズレますが、伊集院光の「のはなし」で、
元師匠の楽太郎(当時)さんに、
「憧れと目標は違う。その世界に入るキッカケは憧れでいいんだけれど、いつまでも憧れたまんまは気持ち悪い。
その世界で力量がつかめたら、それに合った目標を設定し、
目標を目指し、目標をクリアする。
その積み重ねの結果、憧れと目標の間に自分が居れたらいいよね」
と言われたそうです。
この、「その世界に入ってしばらくしたら力量を把握して、目標を設定し、それを達成する」
っていうのが、まさに「やれること」を認識し、「やれること」をする、
という事に似ているのかも、と思いました。
>自分が興味をいだいている世界であっても、さまざまな仕事があるわけなので、将来を考える学生は業界全体の構造をもっと知るべきだし、
>業界自体も、そうした裏方的な仕事の重要性と「おもしろさ」を、もっと積極的にアピールするべきなんですね。
「バクマン」の服部さん(先輩の方)と編集長は、編集ってちょっとおもしろそうな仕事だな、って思います。
投稿: ゆうた | 2010/07/16 02:53